ジュゼッペ・マリア・クレスピ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ジュゼッペ・マリア・クレスピ
Giuseppe Maria Crespi
Giuseppe Maria Crespi - self-portrait - Pinacoteca di Brera, Milan.jpg
自画像(1720年代後半)
生誕1665年3月14日
ボローニャ
死没1747年7月16日
ボローニャ

ジュゼッペ・マリア・クレスピ(Giuseppe Maria Crespi、1665年3月14日 - 1747年7月16日)はイタリアの画家である。「ロ・スパニョーロ(lo Spagnolo)」または「ロ・スパニョレット(lo Spagnoletto)」の通称でも呼ばれた。

略歴[編集]

ボローニャで生まれた。「ボローニャ派」の画家で、若いころ、ぴっちりしたスペイン風の衣服を着るのを好んだことから「ロ・スパニョーロ(lo Spagnolo)」や「ロ・スパニョレット(lo Spagnoletto)」の仇名で呼ばれた[1]。絵の教育を、アンジェロ・ミケーレ・トニ(Angelo Michele Toni:1640-1708)やドメニコ・マリア・カヌーティ(Domenico Maria Canuti: 1625-1684)、カルロ・チニャーニ(Carlo Cignani: 1628 - 1719) といったボローニャの画家から受けた[1]。ボローニャの支援者から援助を受けて、ローマなどを旅し、コレッジョフェデリコ・バロッチら、ルネサンス後期の画家の作品を研究し、色使いを特徴とするヴェネツィア派の画家たちとも知り合った。

クレスピは広い題材を描いた画家で、宗教画、風俗画、肖像画も描いた[2]。1700年から1705年の間はサヴォイア家の一族、オイゲン・フォン・ザヴォイエンのためにウィーンでも作品を描き[3]、その後、トスカーナのフェルディナンド・デ・メディチの娘のがパトロンとなった。1711年に教皇クレメンス11世の勅許を得た、ボローニャの美術アカデミー、Accademia Clementinaの一員として活動した。

ボローニャで没した。

息子のルイージ・クレスピ(Luigi Crespi: 1708-1779) も画家になった。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Andrea Santucci (a cura di), La mostra di Giuseppe Maria Crespi, Bologna, 1990. p. 19.
  2. ^ "Le Muse", De Agostini, Novara, 1965, Vol. III, pag.500
  3. ^ Andrea Santucci (a cura di), La mostra di Giuseppe Maria Crespi, Bologna, 1990. p. 20.

参考文献[編集]

  • Jane Turner (a cura di), The Dictionary of Art. 8, pp. 140–146. New York, Grove, 1996. ISBN 1884446000
  • Jane Turner (a cura di), The Dictionary of Art. 8, pp. 140–146. New York, Grove, 1996. ISBN 1884446000
  • Domenico Sedini, Giuseppe Maria Crespi, catalogo online Artgate della Fondazione Cariplo, 2010, CC-BY-SA.
  • Andrea Santucci (a cura di), La mostra di Giuseppe Maria Crespi, Bologna, 1990.