ジュゼッペ・デ・ニッティス

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ジュゼッペ・デ・ニッティス(自画像)

ジュゼッペ・デ・ニッティス(Giuseppe De Nittis、1846年2月25日 - 1884年8月21日)は19世紀後半のイタリアの画家である。パリ印象派の画家たちと活動した。

略歴[編集]

イタリア南部の港町、バルレッタで生まれた。バルレッタの画家、 Giovanni Battista Calòのもとで学んだ後、ナポリの美術学校(Accademia di Belle Arti di Napoli)でロマン派の画家、マンチネッリ(Giuseppe Mancinelli)やスマルジアッシ(Gabriele Smargiassi)に学んだ。1864年にすでにナポリの展覧会で賞を得た[1]

1867年にパリに出て、画商のアドルフ・グーピルと契約を結び、よく売れる風俗画を書くことを求められた。パリで展覧会に出展し、少し知られるようになった後、イタリアに戻り、ヴェスヴィオ山などの風景画を描いた。

1872年に、再びパリに出て、この時はグーピルとの契約は結ばず、サロン・ド・パリに出展し、1874年に出展した絵画で成果を上げた.[2]。同じ年にナダールのスタジオで開かれた印象派の展覧会に、エドガー・ドガから出展を求められた。ドガは当時のパリに滞在したイタリアの画家たち、シニョリーニ(Telemaco Signorini)、ボルディーニ(Giovanni Boldini)、ザンドメネーギ(Federico Zandomeneghi)らと親しかった。デ・ニッティスは5点の絵画を出展した。デ・ニッティスの絵画を、受け入れない印象派の画家もいて、その後、デ・ニッティスは印象派の展覧会には参加しなくなった[3]。その年ロンドンに渡り、ロンドンの人々を題材に描いた。

1878年のパリの万国博覧会に出展した作品で高い評価を受けた。フランス政府から、レジオンドヌール勲章を受勲した。パリで没した。

作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ E. Piceni, Giuseppe De Nittis, Roma 1933, p. I.
  2. ^ E. Piceni, cit., pp. III-IV.
  3. ^ Efrem Gisella Calingaert. "De Nittis, Giuseppe." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 9 Aug. 2013.<http://www.oxfordartonline.com/subscriber/article/grove/art/T022153>

参考文献[編集]

  • Broude, Norma (1987). The Macchiaioli: Italian Painters of the Nineteenth Century. New Haven and London: Yale University Press. 0-300-03547-0
  • Steingräber, Erich; Matteucci, Giuliano (1984). The Macchiaioli: tuscan painters of the sunlight. New York: Stair Sainty Matthiesen Gallery.