ジャーヴィス (J級駆逐艦)

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HMS ジャーヴィス
公試中のJ級駆逐艦ジャーヴィス(1939年5月撮影)
公試中のJ級駆逐艦ジャーヴィス
(1939年5月撮影)
基本情報
建造所 ホーソン・レスリー
運用者  イギリス海軍
級名 J級駆逐艦嚮導艦
艦歴
起工 1937年8月26日
進水 1938年9月9日
就役 1939年5月9日
退役 1946年5月
除籍後 1954年にスクラップとして売却
要目
基準排水量 1,690 英トン (1,720 トン)
満載排水量 2,330 英トン (2,370 トン)
全長 356.6 ft (108.66 m)
最大幅 35.9 ft (10.9 m)
吃水 12.6 ft (3.81 m)
機関 蒸気タービン、2軸推進 44,000 shp (33 MW)
最大速力 36ノット (67 km/h)
航続距離 5,500海里 (10,200 km)
15ノット(28km/h)時
乗員 士官、兵員183名(旗艦時218名)
兵装 45口径12cm連装砲×3基
39口径40mm4連装機銃×1基
62口径12.7mm4連装機銃×2基
53.3cm5連装魚雷発射管×2基
爆雷投射機×2基
爆雷投下軌条×1基
爆雷×20発
ソナー 124型 探信儀 (ASDIC)
その他 ペナント・ナンバー:F00 (1937–1940)、G00 (1940–1946)
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ジャーヴィス (HMS Jervis, F00) は、イギリス海軍駆逐艦J級嚮導艦)。艦名はナポレオン戦争時の海軍大臣、初代セント・ヴィンセント伯爵ジョン・ジャーヴィスにちなむ。

ジャーヴィスは第二次世界大戦において、軽巡洋艦オライオン及び駆逐艦ヌビアン英語版と共に戦艦ウォースパイトの14個[1]に次ぐ13個の戦闘名誉章 (Battle honor) を受章した武勲めでたい艦として知られる[2]。戦争期間中主要な戦いの多くに参加したにもかかわらず、一人も戦死者を出さなかった幸運と活躍から「ラッキー・ジャーヴィス(Lucky Jervis)」の渾名で呼ばれた。

艦歴[編集]

ジャーヴィスはタイン河畔ヘブバーンホーソン・レスリー社で1937年8月26日に起工、1938年9月9日に進水し1939年5月8日就役した。

1939年(本国近海)[編集]

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、ジャーヴィスはフィリップ・マック大佐の指揮下で本国艦隊第7駆逐艦戦隊の旗艦となる。最初の6か月間、戦隊の最大の敵は北海の悪天候であり、嵐や駆逐艦同士の衝突に悩まされた。その間ジャーヴィスは3隻の封鎖突破船を拿捕したほか、ドイツ海軍の装甲艦ドイッチュラントに拿捕されたアメリカ船シティ・オブ・フリント (City of Flint)の捜索に従事した。1940年3月、ジャーヴィスはスウェーデン船トール(Tor)と衝突事故を起こし、死者2名・行方不明者15名を出す。そのため、続く3か月間をドックでの修理に費やした。

1940年(地中海)[編集]

修理完了後、マック大佐は旗艦を一時的にジェーナスに移し、1940年5月にジャーヴィスとジェーナスの2隻は地中海艦隊第14駆逐艦戦隊の指揮下に入るために地中海へ移動した。ジャーヴィスのペナントナンバーはこの頃にG00へ変更されている[3]。訓練の後、翌月にはマルタで戦隊に編入された。以降2年間、ジャーヴィスは沿岸部の掃討、陸軍への支援砲撃、輸送船団の護衛、艦隊護衛といった様々な任務に従事した。

1941年[編集]

1941年に入ると、ジャーヴィスは地中海での艦隊行動で顕著な働きを見せた。

ジャーヴィスは1月にマルタ島への輸送作戦MC4作戦(エクセス作戦)に参加、戦艦ウォースパイト、ヴァリアント、空母イラストリアスを含むA部隊(Force A)の護衛を担当した。3月にはマタパン岬沖海戦に参加、航空魚雷の命中で落伍していたイタリア海軍の重巡洋艦ポーラに接近してポーラの生存者を救助したのち、駆逐艦ヌビアンと共にポーラを雷撃処分した。翌4月には、タリゴ船団の戦いにおいてジャーヴィスは僚艦と共にイタリアの輸送船団を護衛艦艇もろとも全滅させる功績をあげた。5月にクレタ島の戦いに参加、この戦いでは準同型艦のケリーを含む多くの艦艇が失われたが、ジャーヴィスは無事に切り抜けた。6月、ヴィシー政権を支持していたフランス委任統治領シリアレバノンオーストラリア軍を中心とする英連邦軍と自由フランス軍が侵攻した(シリア・レバノン戦役)ため、ジャーヴィスは支援砲撃やヴィシー側艦艇への警戒を実施している。夏の間、ジャーヴィスは包囲下にあるトブルクへの輸送任務に従事。

11月25日、ジャーヴィスはイタリアの船団攻撃に向かう戦艦クイーン・エリザベス、ヴァリアント、バーラムらを護衛した。ジャーヴィスは16時17分に不審な音を探知したが、担当者は潜水艦ではないと判断した。しかしそれはドイツの潜水艦U-331であり、U-331が発射した魚雷3本が命中したバーラムは左舷側に横転、爆沈した。12月2日には、ジャーヴィスの2番砲がジャッカルを誤射する事故を起こし、ジャッカルの艦長を含む2名が死亡、1名が重傷を負った。その後ジャーヴィスは第1次シルテ湾海戦に参加した。

しかしアレクサンドリアに帰還後、そこで停泊中だったジャーヴィスはイタリア海軍の人間魚雷による攻撃に遭遇し大破、6週間のドック入りを余儀なくされた。

1942年[編集]

ジャーヴィスは1942年1月下旬に復帰後、健康上の問題で艦を降りたマック大佐に代わり、A.L.ポーランド大佐が艦長兼戦隊司令として着任し、翌年までその地位にいた。3月にポーランド大佐の指揮下でジャーヴィスは第2次シルテ湾海戦を戦っている。5月10日にベンガジへ向かう敵船団攻撃のため、駆逐艦ジャッカル、キプリングライヴリーと共にアレクサンドリア港から出撃した(MG2作戦)。しかしドイツ空軍機の空襲により3隻が失われ、ジャーヴィスのみが生き残った。ジャーヴィスは3隻の生存者約650名を救助し帰還した。6月には物資不足に苦しむマルタ島への輸送作戦であるヴィガラス作戦に護衛艦艇の一隻として参加したが、作戦は多大な損失を出し失敗した。8月10日、ジャーヴィスはペデスタル作戦を支援するために3隻の輸送船からなる囮船団に参加(MG3作戦)。11月にジャーヴィスは敵船団攻撃のためK部隊に加わった。12月2日、ジャーヴィスは駆逐艦ジャベリン、ヌビアン、ケルヴィンと共に、アルバコア雷撃機により撃沈された輸送船の乗員を救助中だったイタリアの水雷艇ルポを捕捉、撃沈している。

1943年[編集]

さらにジャーヴィスは、1943年2月2日にはA.F.パグスリー大佐の指揮の元でドイツ海軍の潜水艦U-205を、駆逐艦パラディン及び南アフリカ空軍ブレニム爆撃機と共同で撃沈する[4]

1943年6月1日から2日にかけての夜、ジャーヴィスはギリシャ海軍の駆逐艦ヴァシリッサ・オルガと共にスパルティヴェント岬沖において輸送船2隻、護衛の駆逐艦と水雷艇各1隻からなるイタリアの船団を攻撃、ウェリントン爆撃機が投下した照明弾に照らされた船団をわずか30分あまりの戦闘で全滅させた[5][6][7]

その後もジャーヴィスはアドリア海での活動のほか、パンテッレリーア島シチリアカラブリアタラントサレルノアンツィオへの上陸作戦に従事。イギリス第8軍およびユーゴスラヴィアパルチザンへの支援砲撃を実施している。秋にはエーゲ海ドデカネス諸島の戦いに参加したが、作戦は失敗に終わった。

ジャーヴィスは10月16日から17日にかけて、カリムノス島沖でドイツ海軍の駆潜艇UJ-2109(元英ハント級掃海艇ウィドネス)を駆逐艦ペンと共同で撃沈している[8]

1939年(本国近海)[編集]

近代化改装後のジャーヴィス。1945年6月撮影。

1944年になると、ジャーヴィスは改装のためにイギリス本国へ帰還し戦隊旗艦の任を解かれた。艦長ロジャー・ヒル少佐の下で、ジャーヴィスはノルマンディー上陸作戦を支援した。8月12日には、ドイツ軍に占領されていたチャンネル諸島オルダニー島を砲撃する戦艦ロドニーを駆逐艦フォークナーと共に護衛。8月17日に哨戒中だったジャーヴィスはオルダニー島の砲台から熾烈な砲撃を受けたが、一発の命中弾もなく脱出に成功した。作戦後の9月に、更なる改装を受けるためチャタムで退役した。

1945年と戦後[編集]

改装完了後の1945年5月に再就役した後は、地中海で警備任務に就いた。ジャーヴィスも戦後の1946年5月に予備役に編入され、グリーノックで係留練習艦として使用された。ジャーヴィスは1947年10月に廃棄リストに載り、翌年ストリベン湖で他のいくつかの船と共に爆発物の実験に用いられた。

ジャーヴィスは1949年1月にブリティッシュ・アイアン・アンド・スチール・コーポレーションにスクラップとして売却され、その後同年9月にアーノット・ヤング社の手でトルーンに曳航後、スコットランドポート・バナタインにて解体された。

ラッキー・ジャーヴィス[編集]

ジャーヴィスは戦争中、幸運な艦であるとみなされていた(準同型艦のケリーが不幸な艦とみなされていたことと対照的である)。5年半という長い戦争期間、参加した戦闘のうち主要なものだけでも13回を数えた激しい戦歴にもかかわらず、乗員から一人も戦死者を出すことがなかったという稀有な記録を持っている。

敵潜水艦から雷撃を受けるも、魚雷が艦底を通過して無事だったり[9]、6発の音響機雷が次々と爆発しても軽微な損傷で済む[10]など危険な状況を幾度も切り抜けた。

1944年1月23日のアンツィオの戦いにおけるジャーヴィスのエピソードは、その幸運の一つと言ってよいかもしれない。上陸作戦を支援中だったジャーヴィスと僚艦ジェーナスはドイツ空軍機による空襲に見舞われた。両艦はドイツの対艦ミサイルHs293による攻撃を受け被弾し前部弾薬庫が誘爆したジェーナスが沈没、多数の犠牲者を出した。一方のジャーヴィスも艦首を吹き飛ばされたが、艦尾を前にして安全に曳航された。驚くべきことにこの事件でジャーヴィスの死傷者はゼロであり、そしてジェーナスの生存者を救助することができた[11]

参考文献[編集]

  • Colledge, J. J.; Warlow, Ben (2006) [1969], Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy (Rev. ed.), London: Chatham, ISBN 978-1-86176-281-8, OCLC 67375475 
  • G.G.Connell, Mediterranean Maelstrom: HMS Jervis and the 14th Flotilla (1987) ISBN 0-7183-0643-0
  • English, John (2001). Afridi to Nizam: British Fleet Destroyers 1937–43. Gravesend, Kent: World Ship Society. ISBN 0-905617-64-9. 
  • Friedman, Norman (2006). British Destroyers & Frigates: The Second World War and After. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-86176-137-6. 
  • Hodges, Peter; Friedman, Norman (1979). Destroyer Weapons of World War 2. Greenwich: Conway Maritime Press. ISBN 978-0-85177-137-3. 
  • Langtree, Charles (2002). The Kelly's: British J, K, and N Class Destroyers of World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-422-9. 
  • Lenton, H. T. (1998). British & Empire Warships of the Second World War. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-048-7. 
  • March, Edgar J. (1966). British Destroyers: A History of Development, 1892–1953; Drawn by Admiralty Permission From Official Records & Returns, Ships' Covers & Building Plans. London: Seeley Service. OCLC 164893555. 
  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2. 
  • Warlow, Ben (2004). Battle Honours of the Royal Navy. Cornwall: Maritime Books. ISBN 1-904459-05-6. 
  • Whitley, M. J. (1988). Destroyers of World War Two: An International Encyclopedia. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-326-1. 

脚注[編集]

  1. ^ ちなみにウォースパイトは第一次世界大戦でも1個を獲得している。
  2. ^ Connell(1987) p249
  3. ^ HMS Jervis at naval-history.net
  4. ^ Connell(1987) p188
  5. ^ Destroyer Man by Rear-Admiral AF Pugsley in collaboration with Captain Donald Macintyre. Weidenfield and Nicholson, London 1957, pages 141 to 144
  6. ^ The Naval Review, Volume XXXVII No. 3, August 1949, page 274
  7. ^ https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bar_to_DSO.JPG
  8. ^ Charles (2002) p162
  9. ^ Connell(1987) p122
  10. ^ Charles (2002) p175
  11. ^ Connell(1987) p227-p228

外部リンク[編集]

座標: 北緯32度38分 東経26度20分 / 北緯32.633度 東経26.333度 / 32.633; 26.333