ジャーヴィス (J級駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
HMS ジャーヴィス
公試中のJ級駆逐艦ジャーヴィス (1939年5月撮影)
公試中のJ級駆逐艦ジャーヴィス
(1939年5月撮影)
基本情報
建造所 ホーソン・レスリー
運用者  イギリス海軍
級名 J級駆逐艦嚮導艦
愛称 ラッキー・ジャーヴィス
(Lucky Jervis)
艦歴
起工 1937年8月26日
進水 1938年9月9日
就役 1939年5月9日
退役 1946年5月
除籍後 1954年にスクラップとして売却
要目
基準排水量 1,690 英トン (1,720 トン)
満載排水量 2,330 英トン (2,370 トン)
全長 356.6 ft (108.66 m)
最大幅 35.9 ft (10.9 m)
吃水 12.6 ft (3.81 m)
機関 蒸気タービン、2軸推進 44,000 shp (33 MW)
最大速力 36ノット (67 km/h)
航続距離 5,500海里 (10,200 km)
15ノット(28km/h)時
乗員 士官、兵員183名(旗艦時218名)
兵装 竣工時[1]45口径12cm連装砲×3基
39口径40mm4連装機銃×1基
62口径12.7mm4連装機銃×2基
7.7mm連装機銃×2基[2]
53.3cm5連装魚雷発射管×2基
爆雷投射機×2基
爆雷投下軌条×1基
爆雷×20発
1944年時[3]45口径12cm連装砲×3基
39口径40mm4連装機銃×1基
45口径10.2cm単装高角砲×1基
20mm単装機銃×6基
53.3cm5連装魚雷発射管×1基
爆雷投射機×2基
爆雷投下軌条×1基
爆雷
1945年時[4]45口径12cm連装砲×3基
39口径40mm4連装機銃×1基
20mm連装機銃×4基(Mk.V電動式銃架×2基・手動式銃架×2基)
53.3cm5連装魚雷発射管×2基
爆雷投射機×2基
爆雷投下軌条×1基
爆雷
※爆雷搭載数は他の同型艦同様に増加していると思われるが不詳
レーダー 285型射撃用
286P型対水上
271型対水上
293型対空
ソナー 124型 探信儀 (ASDIC)
電子戦
対抗手段
FM3 MF/DF
FM7 HF/DF
その他 ペナント・ナンバー:F00 (1937–1940)、G00 (1940–1946)
テンプレートを表示

ジャーヴィス (HMS Jervis, F00/G00) は、イギリス海軍駆逐艦J級嚮導艦)。艦名はナポレオン戦争時の海軍大臣、初代セント・ヴィンセント伯爵ジョン・ジャーヴィスにちなむ。

ジャーヴィスは第二次世界大戦において、軽巡洋艦オライオン及び駆逐艦ヌビアンと共に戦艦ウォースパイトの14個[5]に次ぐ13個の戦闘名誉章 (Battle honor) を受章した武勲めでたい艦として知られる[6]。戦争期間中主要な戦いの多くに参加したにもかかわらず、一人も戦死者を出さなかった幸運と活躍から「ラッキー・ジャーヴィス(Lucky Jervis)」の渾名で呼ばれた。

艦歴[編集]

ジャーヴィスはタイン河畔ヘブバーンホーソン・レスリー社で1937年8月26日に起工、1938年9月9日に進水し1939年5月8日就役した[7]

1939年(本国近海)[編集]

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、ジャーヴィスは艦長兼戦隊司令(Captain (D))フィリップ・ジョン・マック(Philip John Mack)大佐の指揮下で本国艦隊第7駆逐艦戦隊(7th Destroyer Flotilla)の旗艦となる。開戦後は戦隊の僚艦と共にドイツ艦船の捜索と船団護衛に従事した[7]

最初の6か月間、戦隊の最大の敵は北海の悪天候であり、嵐や駆逐艦同士の衝突に悩まされた。その間ジャーヴィスは3隻の封鎖突破船を拿捕したほか、ドイツ海軍の装甲艦ドイッチュラントに拿捕されたアメリカ船シティ・オブ・フリント (City of Flint)の捜索に従事した[7]

1940年3月19日の夜、ジェーナス及びジャベリンと共にロサイスへ向け航行中だったジャーヴィスはスウェーデン船トール(Tor)と衝突事故を起こし、死者2名・行方不明者15名を出す。そのため、続く3か月間をドックでの修理に費やした[7]

1940年(地中海)[編集]

1940年5月にマック大佐は地中海艦隊第14駆逐艦戦隊(14th Destroyer Flotilla)の指揮を執ることになったが、嚮導艦のジャーヴィスが修理中であったため旗艦を一時的にジェーナスに移し地中海へ移動した。その後修理が終わったジャーヴィスも6月に地中海へ移動し、正式に第14駆逐艦戦隊の旗艦となった。この頃にジャーヴィスのペナントナンバーはG00へ変更されている。7月6日にはマルタ島で空襲を受けたが損害はなかった[7]

以降2年間、ジャーヴィスは沿岸部の掃討、陸軍への支援砲撃、輸送船団の護衛、艦隊護衛といった様々な任務に従事した。

11月11日にはタラント空襲(ジャッジメント作戦)を行う空母イラストリアスの護衛に参加、12月上旬から中旬にかけて、エジプトに侵攻したイタリア軍に対する反攻作戦であるコンパス作戦の支援を行った[7]

1941年[編集]

1941年に入ると、ジャーヴィスは地中海での艦隊行動で顕著な働きを見せた。

ジャーヴィスは1月にマルタ島への輸送作戦MC4作戦(エクセス作戦)に参加、戦艦ウォースパイト、ヴァリアント、空母イラストリアスを含むA部隊(Force A)の護衛を担当した[7]

3月にはエジプトからギリシャへ兵力輸送を行うラスター作戦の護衛を行う。さらに3月28日から29日にかけてマタパン岬沖海戦に参加、ウォースパイトらの砲撃で大破した重巡洋艦ザラを雷撃処分したほか、航空魚雷の命中で落伍していたイタリア海軍の重巡洋艦ポーラに接近してポーラの生存者を救助したのち、駆逐艦ヌビアンと共にポーラを雷撃処分した[7]

4月16日には、タリゴ船団の戦いにおいてジャーヴィスは僚艦と共にイタリアの輸送船団を攻撃。輸送船5隻を護衛の駆逐艦3隻もろとも全滅させる功績をあげた[7]

5月にクレタ島の戦いに参加、この戦いでは準同型艦のケリーを含む多くの艦艇が失われたが、ジャーヴィスは無事に切り抜けた。5月26日に空母フォーミダブルとヌビアンがドイツ空軍機の爆撃を受け大破してしまったため、ジャーヴィスはジャッカルと共にヌビアンの救援を行った。その後はクレタ島からの連合軍部隊の撤退を支援した[7]

日曜日の礼拝を行うジャーヴィスの乗員。

6月、ヴィシー政権を支持していたフランス委任統治領シリアレバノンオーストラリア軍を中心とする英連邦軍が侵攻した(シリア・レバノン戦役)ため、ジャーヴィスは支援砲撃やヴィシー側艦艇への警戒を実施している。6月16日にジャーヴィスはニュージーランド海軍軽巡洋艦リアンダーと駆逐艦キンバリーと共に、フランス海軍の大型駆逐艦ヴァルミ及びゲパールと交戦した。6月18日にベイルートを砲撃中にフランス海軍の潜水艦から雷撃されたが、魚雷はジャーヴィスの艦底を通過していったため無傷であった[7][8]

その後夏の間、ジャーヴィスは包囲下にあるトブルクへの輸送任務(Tobruk Ferry Service)に従事した[7]

11月25日、ジャーヴィスはイタリアの船団攻撃に向かう戦艦クイーン・エリザベス、ヴァリアント、バーラムらを護衛した。ジャーヴィスは16時17分に不審な音を探知したが、担当者は潜水艦ではないと判断した。しかしそれはドイツの潜水艦U-331(en:German submarine U-331)であり、U-331が発射した魚雷3本が命中したバーラムは左舷側に横転、爆沈した。12月2日には、ジャーヴィスの2番砲がジャッカルを誤射する事故を起こし、ジャッカルの艦長を含む2名が死亡、1名が重傷を負った[9]

その後ジャーヴィスは第1次シルテ湾海戦に参加した。しかしアレクサンドリアに帰還後、そこで停泊中だったジャーヴィスはイタリア海軍の人間魚雷による攻撃に遭遇した。タンカーサゴナが爆破された際に接舷して給油中だったジャーヴィスは巻き添えを食らい大破、6週間のドック入りを余儀なくされたものの死傷者は出なかった[7][10]

1942年[編集]

ジャーヴィスは1942年1月下旬に復帰後、健康上の問題で艦を降りたマック大佐に代わり、アルバート・ローレンス・ポーランド(Albert Lawrence Poland)大佐が艦長兼戦隊司令として着任し、翌年までその地位にいた[11]。3月にポーランド大佐の指揮下でジャーヴィスは第2次シルテ湾海戦を戦っている[7]

5月10日にベンガジへ向かう敵船団攻撃のため、駆逐艦ジャッカル、キプリングライヴリーと共にアレクサンドリア港から出撃した(MG2作戦)。しかしドイツ空軍LG 1/第1(爆撃)飛行隊の空襲によりライヴリーとキプリングが相次いで撃沈され、ジャッカルも大破後にジャーヴィスが曳航を試みたものの果たせず、ジャーヴィスによって雷撃処分された。最終的にジャーヴィスのみが生き残り、3隻の生存者約650名を救助し帰還した[12]

6月には物資不足に苦しむマルタ島への輸送作戦であるヴィガラス作戦に護衛艦艇の一隻として参加したが、作戦は多大な損失を出し失敗した。8月10日、ジャーヴィスはペデスタル作戦を支援するために3隻の輸送船からなる囮船団に参加(MG3作戦)。11月にジャーヴィスは敵船団攻撃のためK部隊に加わった。12月2日、ジャーヴィスは駆逐艦ジャベリン、ヌビアン、ケルヴィンと共に、アルバコア雷撃機により撃沈された輸送船の乗員を救助中だったイタリアの水雷艇ルポを捕捉、撃沈している[7]

1943年[編集]

ジャーヴィスの乗員がドイツ兵捕虜に給食を行っているところ。レトリビューション作戦中の1943年5月撮影。

1943年1月22日、アンソニー・フォレット・パグスリー(Anthony Follett Pugsley)大佐の指揮の元で軽巡洋艦クレオパトラユーライアラスと駆逐艦ヌビアン、ケルヴィン、ジャベリンはズワーラ砲撃を行った[13]。さらにジャーヴィスは、2月2日にドイツ海軍の潜水艦U-205(en:German submarine U-205)を、駆逐艦パラディン及び南アフリカ空軍のブレニム爆撃機と共同で沈めた[14]

5月上旬、ジャーヴィスはレトリビューション作戦(Operation Retribution)に参加し、陥落寸前のチュニジアから敵部隊の撤退を阻止する海上封鎖を行った。ジャーヴィスはヌビアン、パラディンと共に100名以上の敵兵を捕虜にしたほか、イギリス空軍の搭乗員1名を救助した。5月19日には僚艦と共に、病院船を装って兵員輸送を行っていたドイツ船を拿捕している[7]

1943年6月1日から2日にかけての夜、ジャーヴィスはギリシャ海軍の駆逐艦ヴァシリッサ・オルガと共にスパルティヴェント岬沖において輸送船2隻、護衛の水雷艇カストーレ及び小型護衛艦X137からなるイタリアの船団を攻撃、ウェリントン爆撃機が投下した照明弾に照らされた船団をわずか30分あまりの戦闘で全滅させた[15][16][17][18]。6月20日にはトリポリからマルタ島へ向かう国王ジョージ6世の御召艦である軽巡洋艦オーロラをヌビアン、駆逐艦ルックアウト、エスキモーと共に護衛した[19]。6月22日、艦長兼戦隊司令がジョン・スチュアート・クラウフォード(John Stuart Crawford)大佐に交代[11]

その後もジャーヴィスはパンテッレリーア島シチリアカラブリアタラントサレルノへの上陸作戦に従事した。9月17日にサレルノで上陸支援中だったウォースパイトが空襲を受け誘導爆弾フリッツXにより大破したため、ジャーヴィスは配下の駆逐艦を率いて撤退するウォースパイトを護衛した[7]

秋にはエーゲ海ドデカネス諸島の戦いに参加したが、作戦は失敗に終わった。続いてアドリア海とイタリア西岸で活動し、イギリス第8軍(Eighth Army)およびユーゴスラヴィアパルチザンへの支援砲撃を実施している。10月16日から17日にかけて、ジャーヴィスはカリムノス島沖でドイツ海軍の駆潜艇UJ-2109[20]を駆逐艦ペンと共同で撃沈している[21]。11月16日にはクラウフォード大佐が離任し、ハロルド・ピトケアン・ヘンダーソン(Harold Pitcairn Henderson)大佐に交代した[11]

1944年(本国近海)[編集]

近代化改装後のジャーヴィス。1945年6月撮影。

1944年1月22日にアンツィオの戦い(シングル作戦)が始まると、ジャーヴィスもジェーナスと共に上陸援護に参加した。作戦中だった翌23日にヨアヒム・ヘルビッヒ中佐指揮下のドイツ空軍LG 1/第1(爆撃)飛行隊による空襲に見舞われ、ジェーナスが撃沈されジャーヴィスも艦首を切断したが奇跡的に死傷者はいなかった[22]

ジブラルタルでの2ヶ月間の修理の後、ジャーヴィスはノルマンディー上陸作戦に備えた事前訓練と改装のためにイギリス本国へ帰還し戦隊旗艦の任を解かれた。艦長ロジャー・パーシヴァル・ヒル(Roger Percival Hill)少佐の下で、ジャーヴィスはノルマンディー上陸作戦を支援した。8月12日には、ドイツ軍に占領されていたチャンネル諸島オルダニー島を砲撃する戦艦ロドニーを駆逐艦フォークナーと共に護衛。8月17日に哨戒中だったジャーヴィスはオルダニー島の砲台から熾烈な砲撃を受けたが、一発の命中弾もなく脱出に成功した。作戦後の9月に、長期修理と近代化改装を受けるためベルファストで退役した[7]

1945年と戦後[編集]

改装完了後の1945年5月に再就役した後は、地中海で警備任務に就いた。ジャーヴィスも戦後の1946年5月に予備役に編入され、グリーノックで係留練習艦として使用された。ジャーヴィスは1947年10月に廃棄リストに載り、翌年ストリベン湖で他のいくつかの船と共に爆発物の実験に用いられた[23]

ジャーヴィスは1949年1月にブリティッシュ・アイアン・アンド・スチール・コーポレーション(BISCO)にスクラップとして売却され、その後同年9月にアーノット・ヤング社の手でトルーンに曳航後、スコットランドポート・バナタインにて解体された[7]

ラッキー・ジャーヴィス[編集]

ジャーヴィスは戦争中、幸運な艦であるとみなされていた(準同型艦のケリーが不幸な艦とみなされていたことと対照的である)。5年半という長い戦争期間、参加した戦闘のうち主要なものだけでも13回を数えた激しい戦歴にもかかわらず、乗員から一人も戦死者を出すことがなかったという稀有な記録を持っている[24]

敵潜水艦から雷撃を受けるも、魚雷が艦底を通過して無事だったり[25]、6発の音響機雷が次々と爆発しても軽微な損傷で済む[26]など危険な状況を幾度も切り抜けた。

1944年1月23日のアンツィオの戦いにおけるジャーヴィスのエピソードは、その幸運の一つと言ってよいかもしれない。上陸作戦を支援中だったジャーヴィスと僚艦ジェーナスはドイツ空軍機による空襲に見舞われた。両艦はドイツの対艦ミサイルHs293による攻撃を受け被弾し前部弾薬庫が誘爆したジェーナスが沈没、多数の犠牲者を出した。

一方のジャーヴィスも艦首を吹き飛ばされたが、自力で安全にナポリまで後退できた。驚くべきことにこの事件でジャーヴィスの死傷者はゼロであり、そしてジェーナスの生存者を救助することができた[27]

栄典[編集]

ジャーヴィスは生涯で13個の戦闘名誉章(Battle Honour)を受章した。

Mediterranean(1940-44)・Libya(1940-42)・Malta convoys(1941-42)・Matapan(1941)・Sfax(1941)・Crete(1941)・Sirte(1942)・Sicily(1943)・Salerno(1943)・Aegean(1943)・Adriatic(1944)・Anzio(1944)・Normandy(1944)[28]

この記録に並ぶのはジャーヴィスと共に地中海で戦った軽巡洋艦オライオン及び駆逐艦ヌビアンの2隻だけであり、二度の世界大戦に参加した地中海艦隊旗艦、戦艦ウォースパイトただ1隻のみが上回っている。

脚注[編集]

  1. ^ 中川務「イギリス駆逐艦史」、『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、 82頁、 ISBN 978-4905551478
  2. ^ 常設しておらず必要に応じて弾薬庫から出して銃架に据え付けた。Charles (2002), p39
  3. ^ Charles (2002), p171
  4. ^ Charles (2002), p181
  5. ^ ちなみにウォースパイトは第一次世界大戦でも1個を獲得している。
  6. ^ Connell(1987), p249
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s http://www.naval-history.net/xGM-Chrono-10DD-36J-JervisJERVIS%201a.htm HMS Jervis at naval-history.net
  8. ^ Connell(1987), p122
  9. ^ Connell(1987), p136-p139
  10. ^ Connell(1987), p145-p147
  11. ^ a b c http://www.uboat.net/allies/warships/ship/4448.html
  12. ^ Charles (2002), p143-p144
  13. ^ Charles (2002), p157
  14. ^ Connell(1987), p188
  15. ^ Destroyer Man by Rear-Admiral AF Pugsley in collaboration with Captain Donald Macintyre. Weidenfield and Nicholson, London 1957, pages 141 to 144
  16. ^ The Naval Review, Volume XXXVII No. 3, August 1949, page 274
  17. ^ https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bar_to_DSO.JPG
  18. ^ Charles (2002), p159
  19. ^ Connell(1987), p204
  20. ^ 元英ハント級掃海艇(en:Hunt-class minesweeper (1916))ウィドネス。クレタ島の戦いで空襲により擱座・放棄された後、ドイツ軍に捕獲されたもの。
  21. ^ Charles (2002), p162
  22. ^ Connell(1987), p227-p228
  23. ^ Charles (2002), p191-p192
  24. ^ https://www.dday-overlord.com/en/material/warships/hms-jervis 2018年8月15日閲覧。
  25. ^ Connell(1987), p122
  26. ^ Charles (2002), p175
  27. ^ Connell(1987), p227-p228
  28. ^ Warlow. Battle Honours of the Royal Navy. p. 129. 

参考文献[編集]

  • Colledge, J. J.; Warlow, Ben (2006) [1969]. Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy (Rev. ed.). London: Chatham Publishing. ISBN 978-1-86176-281-8. OCLC 67375475. 
  • Connellh, G.G. (1987). Mediterranean Maelstrom: HMS Jervis and the 14th Flotilla. London: William Kimber & Co Ltd. ISBN ISBN 0-7183-0643-0. 
  • English, John (2001). Afridi to Nizam: British Fleet Destroyers 1937–43. Gravesend, Kent: World Ship Society. ISBN 0-905617-64-9. 
  • Friedman, Norman (2006). British Destroyers & Frigates: The Second World War and After. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-86176-137-6. 
  • Hodges, Peter; Friedman, Norman (1979). Destroyer Weapons of World War 2. Greenwich: Conway Maritime Press. ISBN 978-0-85177-137-3. 
  • Langtree, Charles (2002). The Kelly's: British J, K, and N Class Destroyers of World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-422-9. 
  • Lenton, H. T. (1998). British & Empire Warships of the Second World War. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-048-7. 
  • March, Edgar J. (1966). British Destroyers: A History of Development, 1892–1953; Drawn by Admiralty Permission From Official Records & Returns, Ships' Covers & Building Plans. London: Seeley Service. OCLC 164893555. 
  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2. 
  • Warlow, Ben (2004). Battle Honours of the Royal Navy. Cornwall: Maritime Books. ISBN 1-904459-05-6. 
  • Whitley, M. J. (1988). Destroyers of World War Two: An International Encyclopedia. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-326-1. 

外部リンク[編集]

関連項目[編集]