ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン

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1848年発行の『美味礼賛』の挿絵より

ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランJean Anthelme Brillat-Savarin, 1755年4月1日 - 1826年2月2日)はフランスの法律家、政治家。ただし、何にもまして『美味礼讃』を著した食通として有名である。本来の姓は「ブリア」(実際には「ブヒヤ」に近い発音)だが、サヴァランという女性が全財産を相続させる条件として自分の名前を受け継ぐことを要求したため、「ブリア=サヴァラン」を名乗った。

略歴[編集]

ブリア=サヴァランはローヌ川を渡ればサヴォイアとなるアン県ベレの裕福な法律家の家に生まれた。ディジョンで法学・化学・医学を学んだのち、故郷で弁護士事務所を開設。1789年、フランス革命直前の1789年、代議士として三部会に席を連ねる。その後すぐに三部会の第三身分が結成した国民議会でも、極刑を擁護する演説を行ったことなどで一定の声望を得ていた。

革命末期、自分の首に賞金がかけられたことを知ったブリア=サヴァランは、まずスイスに亡命。後にオランダ、生まれたばかりの東部アメリカへと亡命。アメリカには3年間滞在。その間、フランス語とヴァイオリンの教師としてボストン、ニューヨークフィラデルフィア、ハートフォードを渡り歩く。ニューヨークのパーク・シアターでは第一バイオリンを務めたこともある。

1797年執政政府下のフランスにもどり、司法官の職を得る。その後死ぬまでパリ控訴裁判所の裁判官を務めた。法律や政治経済に関する著書をいくつか出版している。生涯独身を通したが、恋愛に縁がなかったわけではなく、第六感に属するものと考えていた。

もっとも有名な著作である『美味礼讃』は1825年、死の2ヶ月前に出版された。原題は直訳すると『味覚の生理学、或いは、超越的ガストロノミーをめぐる瞑想録 文科学の会員である一教授によりパリの食通たちに捧げられる理論的、歴史的、時事的著述』である。

没後、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。

美味礼讃[編集]

『美味礼讃』は直訳のタイトルに<味覚の生理学>とあるように、学問書を意図しているのでその手の書籍に有りがちな、記述が冗長だったり誇張が含まれていたり(ときには信憑性に乏しい面も)、教条的だったりする面も多々あるが、現在に至るまでその重要性を失わず、論議の対象となっている。

モンテーニュの随筆の影響が見られるこの著作は、娯楽を求めるにも知的欲求を満たすにも文章の調子が散漫すぎ、せっかちな現代の読者に手が出せるものではないが、食事を学問として扱い、その楽しみについて述べられている。

文体は、ヴォルテールルソーフェネロンビュッフォンコーチンダゲッソーら、ブリア=サヴァランの好んだアンシャン・レジームの文筆家にならったものである。またブリア=サヴァランはラテン語の他、5つの現代語に堪能であり、時を見計らって遠慮なくそれをひけらかした。フランス人にとっては誤記としか思えなかった sip という「ちびちび飲む」を意味する単語を英語から転用したりと、外来語の借用にためらうということのない現代的な著述家でもあった。

日本語訳ほか[編集]

  • 美味礼讃』 関根秀雄訳・戸部松実(娘)訳、岩波文庫上下、のちワイド版、2005年 
     他に白水社にもあるが、訳文が古く正確さに欠けるきらいがある。以下も参照
  • ロラン・バルト 『バルト、〈味覚の生理学〉を読む』(松島征訳、みすず書房 1985年)、解説と巻末に抄訳。
  • 辻静雄 『美味礼讃を読む』(<岩波セミナーブックス>岩波書店、1989年)
     のち『辻静雄著作集』(新潮社、1995年)、読みやすい訳文で引用している。
  • 川端晶子 『いま蘇るブリア=サヴァランの美味学』 (東信堂、2009年)

引用[編集]

  • 「ふだん何を食べているのか言ってごらんなさい、そしてあなたがどんな人だか言ってみせましょう」
  • 「新しい星を発見するよりも新しい料理を発見するほうが人間を幸せにするものだ」
  • 「消化不良に苦しんだり泥酔したりするものは、飲食の真髄をまったくわきまえていないのである」

外部リンク[編集]