ジャンヌ・ド・ダンマルタン

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ジャンヌ・ド・ダンマルタン
Jeanne de Dammartin
カスティーリャ王妃
Coat of Arms of Jeanne of Dammartin as Queen of Castile.svg
カスティーリャ王妃ジャンヌの紋章
称号 オマール女伯
ポンチュー女伯
出生 1220年
死去 1279年3月16日
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国アブヴィル
配偶者 カスティーリャレオンフェルナンド3世
  ファルヴィーおよびラ・エレル領主ジャン・ド・ネール
子女 フェルナンド
レオノール
ルイス
ヒメノ
フアン
ギー
イド
父親 オマール伯シモン・ド・ダンマルタン
母親 ポンチュー女伯マリー
宗教 ローマ・カトリック
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ジャンヌ・ド・ダンマルタンJeanne de Dammartin1220年頃 - 1279年3月16日)は、フランスのオマール女伯、ポンチュー女伯。オマール伯シモン・ド・ダンマルタンとポンチュー女伯マリーの子。

生涯[編集]

1230年頃、父シモンがフランス王ルイ9世との婚約を整えるが、後にルイによって破棄された[1]。1237年、ブルゴスにてカスティーリャ・レオンフェルナンド3世と結婚し、5子をもうけた。カスティーリャ語ではフアナ・デ・ダンマルティン(Juana de Danmartín)と呼ばれた。

  • フェルナンド(1238年-1264年) - オマール伯
  • レオノール(1241年-1290年) - ポンチューおよびモントルイユ女伯。1254年にイングランドエドワード1世と結婚。
  • ルイス - マルチェダおよびスエロス領主
  • ヒメノ(1244年没)
  • フアン(1244年没)

フェルナンド3世に先立たれると、ジャンヌは引退し自分の領地に戻った。1254年頃、ファルヴィーおよびラ・エレル領主ジャン・ド・ネールと再婚、2子をもうけた。

  • ギー - アルスレーヌおよびオカンクール領主
  • イド(フィリップ) - フランス元帥ロベール8世ベルトラン・ド・ブリックベックと結婚

1259年、従姉であるブローニュ女伯およびダンマルタン女伯マティルド・ド・ダンマルタンが死ぬと、ジャンヌはブローニュ伯領の相続を目論んだ。しかし、パリ高等法院は1262年に裁定を下し、ブローニュ伯領はアデライード・ド・ブラバン(母がブローニュ女伯マリーの娘)に、ダンマルタン伯領はル・ヴォーマン領主マチュー・ド・トリに相続させた。

脚注[編集]

  1. ^ François César Louandre, Histoire ancienne et moderne d'Abbeville et son arrondissement, 1834, p. 96.