ジャヤ・シンハヴァルマン3世

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ジャヤ・シンハヴァルマン3世
जय आनंद
第12王朝
第4代国王
王朝 第12王朝
在位期間 1288年 - 1307年
生年 不詳
没年 1307年
インドラヴァルマン6世
ガウレンドラクスミ
后妃 タパシ
パラメクヴァリ

ジャヤ・シンハヴァルマン3世サンスクリット語: जय सिंहवर्मन, ラテン文字転写: Jaya Simhavarman III, 生年不詳 - 1307年)は、チャンパ王国占城国中国語版)第12王朝の第4代国王(在位:1288年 - 1307年)。初名はスリ・ハリジット・ポー・デヴァダ・スヴォルチャム語: Sri Harijit Po Devada Svor)。『大越史記全書』では制旻ベトナム語: Chế Mân)、『元史』では補的と記される。

生涯[編集]

インドラヴァルマン6世の長子。王子時代からチャンパの実権を握っていた。1282年11月に占城行省中国語版の兵が上陸すると、元に臣従することを潔しとしなかった[1]ハリジットは木城を築いて抵抗した。元の李天祐らが降伏を勧めてきたが、応じなかった。1283年1月、元の陳仲達・劉金らに木城を破られると、父王と共に王都ヴィジャヤ英語版を放棄して西北の鴉候山に逃亡した。ハリジットは元軍に投降するような素振りを見せつつ、抵抗を続けた。1284年3月に元軍を撤兵に追い込んだ。

父王の死後、王位を継承した。1301年大越太上皇仁宗をチャンパに迎えて約9ヶ月の間歓待した。去り際に仁宗は娘の玄珍公主中国語版との婚約を提案した。ジャヤ・シンハヴァルマン3世には既にジャワ出身のタパシという妃がいたがこれを受け入れた[2]

1306年、玄珍公主(パラメクヴァリ)を妃に迎えた[2]。返礼としてヴヤルベトナム語版(現在のクアンチ省)とウリクベトナム語版(現在のトゥアティエン=フエ省)の二つの地域を大越に割譲した。翌1307年5月に死去。

出典[編集]

  1. ^ Cœdès,P192
  2. ^ a b Cœdès,P217

参考資料[編集]

先代:
インドラヴァルマン6世
チャンパ王
第12王朝第4代:
1288年 - 1307年
次代:
ジャヤ・シンハヴァルマン4世