ジャック・カーティス (俳優)

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ジャック・カーティス
Jack Curtis
Jack Curtis
『咬み殺すまで』(1925年)ロビーカード
アニタ・スチュワート
本名 ジョナサン・カーティス Jonathan Curtis
別名義 ジョン・アーチャー・カーティス John Archer Curtis
マスター・ジャック・カーティス Master Jack Curtis
生年月日 (1880-05-28) 1880年5月28日
没年月日 (1956-03-16) 1956年3月16日(満75歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッド
職業 俳優
ジャンル ヴォードヴィル演劇サイレント映画トーキー
配偶者 リル・サザーランド 死別
著名な家族 2児

ジャック・カーティスJack Curtis, 1880年5月28日 - 1956年3月16日)は、アメリカ合衆国俳優である[1]。本名ジョナサン・カーティスJonathan Curtis)、ジョン・アーチャー・カーティスJohn Archer Curtis)、マスター・ジャック・カーティスMaster Jack Curtis)ともクレジットされた[1]

人物・来歴[編集]

1880年(明治13年)5月28日カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる[1]。カーティス家は財界・法曹界に名の知れた一家であった[1]

香港行きの船上でリル・サザーランドと出会い、やがて1904年(明治37年)に結婚する[1]。カーティス夫妻はヴォードヴィル演劇の一座に所属し、各地を旅した[1]。1914年(大正3年)4月7日、娘のローラ・アン・カーティスが誕生する[1]

1915年(大正4年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に入社、映画界にデビューする[1]。同年中は、バートン・キングらが監督する短篇映画に出演していたが、1916年(大正5年)、同社が子会社として製作会社・ブルーバード映画を設立、その第1作としてロバート・Z・レナード監督の『』を発表、カーティスは同作で初主演を果たす[1][2]。『恨の短剣』、『沼の秘密』、『沼の少女』、『虹晴』、『神の坩堝』、『運命の浪』、『南方の判事』、『大自然』、 Mr. Opp と1917年(大正6年)まで、リン・F・レイノルズが監督し、マートル・ゴンザレスジョージ・ハーナンデスが主演するブルーバード映画の常連となる[1]。同年、レイノルズ、ハーナンデスとともにトライアングル・フィルム・コーポレーションに移籍する[1]

1949年(昭和24年)、妻リルが死去する[1]。1951年(昭和26年)、ジャック自身も脳梗塞で倒れ、映画界を退く[1]

1956年(昭和31年)3月16日、カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドで死去した[1]。満75歳没。同州ロサンゼルス郡サンタモニカにあるウッドローン墓地に眠る[1]

おもなフィルモグラフィ[編集]

脚本作1作以外はすべて出演作である[1]

1910年代[編集]

1920年代[編集]

1930年代[編集]

1940年代以降[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Jack Curtis, Internet Movie Database (英語), 2010年5月18日閲覧。
  2. ^ 『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.

外部リンク[編集]