ジャグ・バンド

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キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ

ジャグ・バンド (jug band) とは、20世紀の初めごろにアメリカ合衆国南部の地域で興った音楽バンドの形式、あるいはそのバンドの演奏する音楽。ジャグ・バンドの「ジャグ」とはウイスキーなどの飲み物を貯蔵するための瓶を意味する。ジャグは、口に息を吹き込むことによって、低音楽器として使用される。元々ジャグ奏者 (ブロワーと呼ばれる) がバンドに加わることが多いことからこのような名前が付けられたものと思われるが、必ずしもジャグ・ブロワーはジャグ・バンドの必須条件ではない。実際に今も昔も、ジャグ・ブロワーを含まないジャグ・バンドは数多く存在する。

一般的な演奏形態[編集]

バンドの編成はまちまちであるが、ジャグ (瓶)、ウォッシュボード (洗濯板)、ミュージカルソー (ノコギリ)、カズー(ストーブの煙突、櫛、ティッシュペーパーを使ったもの)、ウォッシュタブ・ベース (洗濯桶とモップから作ったベース)、スプーンなど、身の回りにあるものから作られた手製の楽器を多く使うのが特徴と言える。これらの楽器にハーモニカバンジョーギターマンドリンアコーディオンなどの楽器が加わる。音楽的には、トラディショナルなジャズブルースカントリー、ブルーグラスなどを基調としたものが一般的である。

歴史[編集]

ジャグ・バンドの誕生[編集]

ジャグ・バンドの生誕の地は、ケンタッキー州ルイビルであると言われている[1]。この地で最初に活躍したジャグ・バンドが、1900年に結成されたサイ・アンダーソン・ジャグバンドであった。

1924年9月、ルイビル出身のシンガー、サラ・マーティンがジャグ・ブロワーのアール・マクドナルドと組み、レコーディングを行った。これが、ジャグ・バンドとして初めてのレコーディングとされている[2][3]

メンフィスへ[編集]

この頃になると、ジャグ・バンドはルイビルから飛び火し、メンフィスで新たなバンドが誕生するようになった。メンフィスのバンドの中には、ガス・キャノン率いるキャノンズ・ジャグ・ストンパーズ、そしてウィル・シェイド率いるメンフィス・ジャグ・バンドがあった。ともに代表的なジャグ・バンドとして知られるようになる存在である。この他にも、メンフィス・ミニー、ファリー・ルイスなどジャグ・バンド・スタイルの演奏を展開するミュージシャンが多く登場し、メンフィスのシーンを賑わせた。

1920年代から30年代にかけて、ルイビルとメンフィスの2都市を中心に人気を博したジャグ・バンドだが、1930年後半頃から都会的なスタイルがもてはやされるようになり、その勢いを失っていった。

横浜ジャグバンド・フェスティバル (2006年)

リバイバル[編集]

1950年代イギリスに登場したロニー・ドネガンの「ロック・アイランド・ライン」のヒットにより、イギリスで大きなスキッフル・ブームが起こるが、このスキッフルは一般的に、ジャグ・ブロワーを含まないジャグ・バンドを指す言葉として知られる。

一方本場アメリカでは、1950年代後半から60年代にかけてのフォーク・ブームの盛り上がりとともに、ジャグ・バンドが若い世代に浸透するようになった。その流れの中で登場したのがボストンを拠点としたジム・クウェスキン・ジャグ・バンドであり、ジョン・セバスチャンらが参加したニューヨークのイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドであった。双方のバンドに、若かりし頃のマリア・マルダーも参加していた。ルーフ・トップ・シンガーズの曲「ウォーク・ライト・イン」は、ジャグ・バンド唯一の全米ナンバー1ヒットとなった。またグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアらも、もともとはジャグ・バンドのメンバーだった。

日本のシーン[編集]

日本でも特に近年、ジャグ・バンド音楽は一定の人気を持っており、日本全国に多くのバンドが存在する。2002年には、MAD-WORDSなどで活躍するミュージシャンのムーニー(橋詰宣明)が中心となり、「横浜ジャグバンド・フェスティバル」が横浜市で開催された。以後、毎年4月にこのフェスティバルは開催されており、例年日本各地からバンドが集結する。

代表的なバンド、ミュージシャン[編集]

日本のバンド[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ ブルース・ギター・ブック【保存版】アコースティック・ブルース&ジャグ・バンドの今昔 (シンコー・ミュージック), P. 94
  2. ^ ジャグバンド風雲録
  3. ^ ブルース・ギター・ブック【保存版】アコースティック・ブルース&ジャグ・バンドの今昔 (シンコー・ミュージック), P. 94

外部リンク[編集]