ジャイルジーニョ

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はヴェントゥーラ第二姓(父方の)はフィリョです。
ジャイルジーニョ Football pictogram.svg
Jairzinho 1974.jpg
名前
本名 ジャイール・ヴェントゥーラ・フィリョ
愛称 ジャイルジーニョ (小さなジャイール)
フラカォン (ハリケーン)
ラテン文字 JAIRZINHO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1944-12-25) 1944年12月25日(73歳)
出身地 リオデジャネイロ
身長 173cm
体重 76kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1959-1974 ブラジルの旗 ボタフォゴFR
1974-1975 フランスの旗 オリンピック・マルセイユ
1976 ブラジルの旗 クルゼイロEC
1977 ベネズエラの旗 ポルトゥゲサFCスペイン語版
1978-1979 ブラジルの旗 ECノロエスチ
1979 ブラジルの旗 ファスト・クルーベポルトガル語版
1980-1981 ボリビアの旗 ウィルステルマン
1981-1982 ブラジルの旗 ボタフォゴFR
代表歴
1964-1982 ブラジルの旗 ブラジル 81 (33)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャイルジーニョ (Jairzinho) こと、ジャイール・ヴェントゥーラ・フィリョ(Jair Ventura Filho、1944年12月25日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

経歴[編集]

クラブ歴[編集]

1959年、15歳でボタフォゴの左ウイングとしてプロデビューした。ジャイルジーニョの本来のポジションは右ウイングだったが、当時のボタフォゴの右ウイングには彼のヒーローでもあったガリンシャがいたため、主に左ウイングまたはセンターフォワードとしてプレーし、ガリンシャが不在時のみ右ウイングを務めた。後にガリンシャ右ウイングのポジションを奪い、リオ・デ・ジャネイロ州選手権を4度制した。

1974年にフランスのオリンピック・マルセイユに移籍したが短期間でブラジルに帰国。1976年に加入したクルゼイロで同年のコパ・リベルタドーレスに優勝した。

代表歴[編集]

1964年、怪我のガリンシャに代わって19歳でブラジル代表デビュー。2年後の1966 FIFAワールドカップでは右ウイングにガリンシャがいたために左ウイングとして出場した結果、本領が発揮できず、チームも敗退。大会終了後、ガリンシャが代表から引退したため、以後は右ウイングとしてプレーする。

1970年大会では、ワールドカップ史上初となる初戦から決勝戦までの全試合でゴールを決め(1次リーグ初戦チェコスロバキア戦で2得点、以降の5試合は各1得点)、ブラジル代表の3度目の優勝に貢献した。ワールドカップ6試合連続の得点は1958年大会ジュスト・フォンテーヌと共にタイ記録である。

自身3度目のW杯となった1974 FIFAワールドカップでは2ゴールを挙げ、大会後に実質的に代表から退く。1982年3月3日、チェコスロバキアを相手に引退試合を行った。

引退後[編集]

1999年ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で27位に選出された。

2003年にガボン代表監督に就任したが、2006 FIFAワールドカップ本大会への出場が果たせず、2005年9月に解任された。ブラジルのサンクリストヴァンを率いていた際には、当時14歳だったロナウドを見いだした。

2013年現在はリオデジャネイロ近郊のファヴェーラで青少年に無料でサッカーを教えている[1]

脚注[編集]

外部リンク[編集]