ジム・モリソン

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ジム・モリソン
Jim Morrison
Jim Morrison 1969.JPG
1969年のショット
基本情報
出生名 James Douglas Morrison
別名 The Lizard King、Mr. Mojo Risin'
生誕 1943年12月8日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州メルボルン
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
死没 (1971-07-03) 1971年7月3日(27歳没)
フランスの旗 フランスパリ
ジャンル サイケデリック・ロックハード・ロックブルース・ロックアシッド・ロック
職業 ミュージシャンシンガーソングライター詩人映画監督作詞家
担当楽器 ヴォーカルマラカスハーモニカタンバリンキーボード
活動期間 1963年 – 1971年
レーベル エレクトラ・レコード
共同作業者 ドアーズ
公式サイト http://www.thedoors.com/

ジェームズ・ダグラス・"ジム"・モリソンJames Douglas "Jim" Morrison1943年12月8日 - 1971年7月3日)は、アメリカミュージシャン詩人ロックバンドドアーズボーカリストソングライターとして知られる。また、バンド活動とは別に数冊の詩集を発表している。

ローリング・ストーン誌の選ぶ「史上最も偉大なシンガー100人」において第47位[1][2]

Q誌の選ぶ「史上最も偉大なシンガー100人」において第40位[3]

人物[編集]

生い立ち[編集]

ジェームズ・ダグラス・モリソンは、アメリカ海軍の軍人のジョージ・スティーヴン・モリソン(後に米海軍提督となる人物)を父として、クララ・クラーク・モリソン(1916〜2005)を母として、1943年にフロリダ州メルボルンで生まれた。後に妹と弟が一人ずつ生まれた。モリソンは厳格で保守的な両親によって育てられた。(が、成長後の彼は両親の教育とは徹底的に異なった価値観に基づく作品表現を行うことになる。)

モリソンによれば、彼の人生で最も重要な出来事は1947年ニューメキシコ州への家族旅行中に起きた[4]。彼は以下のように語っている。

「僕が発見した最初のだった...僕と母と父、そして祖母に祖父は夜明けに砂漠を通っていた。インディアン達の乗ったトラックが別の車か何かと衝突して、彼らはハイウェイ中にまき散らされ、血を流して死んでいた。僕はただの子供だった。だから、父と祖父が事故を確かめに行ったけれど、車の中にとどまっていなければならなかった。僕は何も見なかった。僕が見たのは奇妙な赤いペンキとそのまわりに寝転がっている人たちだった。でも僕は彼らが僕同様に何が起きたのか分かっていないのを理解した。それは僕が初めて味わった恐怖だった...そして僕はその瞬間思った。死んだインディアン達の魂は - たぶん彼らの内一つか二つ - ちょうどそこらを走り回り、幻覚のように奇妙な行動をし、僕の魂に入り込んだ。そして僕はスポンジのようにそこに座ってそれを吸い取る準備が出来ていたんだ。」

モリソンは自身の歌にこの出来事をたびたび登場させている。 ただし、モリソンの伝記『No One Here Gets Out Alive』によると、ジェームズの父や妹はこの事故について、ジェームズが語ったのとは異なったように記憶している。インディアン居留地で事故に出くわした時、ジェームズはまだ子供で、ひどく動揺した、と。(モリソン以外の、生き残った)ドアーズのメンバーによって書かれた本"The Doors"では、ジェームズがこの出来事について語ったことと、ジェームズの父が語ったことの相違の大きさが指摘されている。同書が載せているジェームズの父の発言は「我々は幾人かのインディアンの脇を通り過ぎた。それが幼いジェームズに何らかの印象を生んだ。彼は泣き叫ぶインディアンのことをずっと考えた。 "We went by several Indians. It did make an impression on him [the young James]. He always thought about that crying Indian."」というものである。これは、ジェームズの発言「彼らはハイウェイ中にまき散らされ、血を流して死んでいた。」という発言とは対照的である。同書はジェームズの妹の発言も掲載している。いわく「彼はあのお話を、語り、誇張することを楽しんだのよ。彼は道路脇に死んだインディアンを見た、と言ったけれど、本当にそうだったかどうか、分かったもんじゃないわ。"He enjoyed telling that story and exaggerating it. He said he saw a dead Indian by the side of the road, and I don't even know if that's true."」[5]

一家は父の職業の影響で転居を重ね、そのためかジムは家に閉じこもって読書にふけることが多くなった。

モリソンは特に幾人もの哲学者や詩人からインスピレーションを得るようになった。ニーチェの美学や道徳論、アポロン的・ディオニソス的英語版な二項対立の影響を受けた(その影響は後の彼の歌にも表れている)。またプルタルコスの『対比列伝』、フランスの象徴主義の詩人アルチュール・ランボーの作品(後のモリソンの散文詩の形式に影響を与えた)の影響も受けた。またウィリアム・S・バロウズジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグルイ=フェルディナン・セリーヌen:Lawrence Ferlinghettiシャルル・ボードレールモリエールフランツ・カフカアルベール・カミュオノレ・ド・バルザックジャン・コクトー、それと実存主義の哲学者のほとんどの影響も受けた[5][6]

高校時代の英語教師によると、モリソンはクラスの他のどの生徒よりも読書家だったという。ただし、モリソンがあまりにとんでもない本のことをレポートに書いた時には、モリソンのでっち上げではないのか、本当にそんな本があるのか?といぶかしんだ。というのは、それは16世紀や17世紀の悪魔学に関する本であったからで、その英語教師はそんな本について聞いたこともなかった。ちょうどアメリカ議会図書館に行くことになっていた別の教師がいたので、たのんで確認してもらったところ、確かにそれは存在していた。そしてモリソンがその本、おそらくアメリカ議会図書館でしか読めないような本、を読んだというレポートを読んで感銘を受けた[7]

高校卒業後はフロリダ州立大学に入学するが、哲学にのめり込み、1964年の1月に家族の反対を押し切りUCLAの映画学科に編入する(なお、同級生にフランシス・フォード・コッポラがいた)。

ドアーズ[編集]

ザ・ドアーズ (1965年-1972年)

1965年夏、UCLAでレイ・マンザレクに出会ったモリソンは、彼に自作の詩を読んで聞かせた。マンザレクは彼の詩に惹かれ、バンドを組むことにする。モリソンはマンザレクと彼の兄リック、メディテーションセンターで出会ったジョン・デンズモアと共にデモ・レコードを制作。その後リックがバンドを辞め、代わりに同じメディテーションセンターの仲間だったロビー・クリーガーが参加。こうしてドアーズのラインナップが完成した。モリソンの詩人のイメージから、ドアーズの作詞はすべてモリソンが担当したと勘違いされることが多いが、クリーガー作曲の場合は、歌詞も主にクリーガーが書いている。

「ドアーズ」というバンド名は、オルダス・ハックスレーの『知覚の扉(The Doors of Perception)』(ウィリアム・ブレークの詩「忘れがたい幻想」から採られた書名)が元になった。

犯罪容疑で収監されたモリソン (1970年9月)

彼は自らを「ミスター・モジョ・ライジン(Mr. Mojo Risin)」としたが、これは「ジム・モリソン(Jim Morrison)」のアナグラムである。それは彼の参加した最後のアルバムに収録されている「L.A.ウーマン」のリフレインに用いられた。さらに彼は「トカゲの王(The Lizard King)」と呼ばれた。これはアルバム『太陽を待ちながら』の中に現れる彼の有名な叙事詩「ザ・セレブレーション・オブ・ザ・リザード」から来ており、それは1990年代にミュージカルとして上演された。

ドアーズの結成前からモリソンは様々なドラッグを服用し、多量の飲酒で様々などんちゃん騒ぎに耽っていた。時にはレコーディング時も酔っぱらい、その様子はたびたび録音された。「ファイヴ・トゥ・ワン」の中では彼のしゃっくりが聞かれる。また、ジミ・ヘンドリックスとのセッションでも酔っぱらった様子が録音されている。

1969年3月、マイアミでのコンサートで彼はズボンを下げ自慰行為を見せたという容疑で公然わいせつ罪で逮捕され、後に有罪判決を受けた。このスキャンダルによってドアーズそのものが反社会的であると非難され、ライブ活動はしだいに縮小していった。1970年12月12日のニューオーリンズでのステージを最後にモリソンはライブ活動を停止。1971年1月に『L.A.ウーマン』のレコーディングを終えると、同年3月、著作に専念するためパリへ移り住んだ。

突然の死[編集]

モリソンの墓

1971年7月3日、モリソンはパリル・マレのアパートにあるバスタブの中で死体として発見された。第一発見者は当時交際していたパメラ・カーソン英語版。事件性がないと考えたパリの警察は検死を行わず、死因は心臓発作と発表した。しかし、パメラの証言から薬物の過剰摂取が死の原因ではないかとも考えられている[8]。また、アメリカ政府による暗殺の可能性も一部でささやかれたりもしたが、後年になって知り合いであったマリアンヌ・フェイスフルも、薬物摂取の概ねを明らかにしている[9]

彼の遺体はパリの東にあるペール・ラシェーズ墓地に埋葬され、この墓地はパリの人気観光名所の一つとなっている。一時は訪れるファンによる落書きやゴミの放置が問題視され、墓所を移転することも検討されたが、後にこの可能性は公式に否定された[10]

一部のファンは、彼の死はスポットライトから逃れるための偽装だと信じている。そして政府による陰謀を主張する者は、彼のガールフレンド、パメラ・カーソンが「彼は非常に疲れていて、病院で休んでいる」と新聞に語ったことを指摘する。実際に死体が埋葬されるのを見たのはごく少数で、またモリソンは「死」に先立つ数か月前からバンドのメンバーによく「アフリカへの逃亡」を冗談めかして話していた。デンズモアが、モリソンの墓に初めて訪れた際、彼は「(遺体が入るには)墓が短すぎないか?」と話したと言われている。

モリソンの死はブライアン・ジョーンズジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスに続くロックスターの悲劇となった。偶然にも彼らは同じ27歳で死亡しており、27クラブというロック界におけるひとつのジンクスとなっている。

死後[編集]

モニュメント

2007年春、ドアーズのファンが1969年のマイアミでのコンサートでモリソンが犯したとされる公然わいせつ罪について恩赦を要請する手紙をフロリダ州知事に宛てて送った[11]。2010年12月、事件後40年を経て恩赦が与えられた[12]

2013年6月5日、体長が約1.8メートル、最大で27キログラムと推定される巨大な化石種のトカゲに、モリソンに因んで、「Barbaturex morrisoni」の名が与えられた。モリソンが、爬虫類に関心があったためとされる[13]

音楽的影響[編集]

ジム・モリソンを失ったドアーズは、残された3人のみでドアーズの名を継承する道を選んだ。しかし、モリスンの影響力は大きかったと見えて、2枚のフル・アルバムを発表したものの、商業的に成功とは言えず、結局解散する。その後も、ドアーズの人気は衰えず、数多のコピー・バンドが現れた。2007年には、自分はジム・モリスンの息子だと主張する男が、クリフ・モリスンの名前でユーチューブに登場し、リザード・サンというバンドをバックに、以後も活動を続けている。彼は一時、ロビー・クリーガーの息子と共演していた。

彼のステージ上での扇情的なパフォーマンスと、ドラッグとアルコールへの耽溺による破滅的な生き方は、後の世代のロックミュージシャンに大きな影響を与えた。ストゥージスイギー・ポップも、1967年にミシガン大学で彼のパフォーマンスを見て強い影響を受けた。[14]

なお、ザ・ストロークスのフロントマンであるジュリアン・カサブランカスは、ジムモリソンの破滅的なライフスタイルを真似ることに対し否定的で、「ザ・ドアーズはひどい手本だった。ジム・モリソンは多分、何年もシラフの状態で素晴らしい文学作品を読んだり研究して、詩に取り組んできたんだろう。で、やっと成功したら、パーティーに明け暮れクレイジーな振る舞いをするようになった。みんな、“なるほど、かっこよく歌いたければ、ウィスキー飲まなきゃな”って思うんだ」

「でも、それじゃあうまく行かない。彼は27歳で死んだだろ。僕はそういう陳腐なとこマネして生きてたと思う…。ホントに荒んだような気がしてた。それで、自分が本当にやりたいのはポジティヴなものを作ることなんだって気づいたんだ」と語っている。[15]

パール・ジャムのボーカリストとして知られるエディ・ヴェダーもジムモリソンから大きな影響を受けた一人として知られ[16]、ドアーズがロックの殿堂入りした際にはプレゼンターを務め、ドアーズのメンバーと共に、ハートに火をつけてと、ロードハウスブルースと、ブレイクオンスルーを演奏した。[17][18][19] 

著作[編集]

  • 「神」「新しい創造物」:The Lords and the New Creatures (1969). 1985 edition: ISBN 0-7119-0552-5
篠原一郎訳 新宿書房 (2005) ISBN 978-4880083452
  • アメリカン・プレイヤー」:An American Prayer (1970) privately printed by Western Lithographers. (Unauthorized edition also published in 1983, Zeppelin Publishing Company, ISBN 0-915628-46-5. The authenticity of the unauthorized edition has been disputed.)
  • 「ウィルダネス」:Wilderness: The Lost Writings Of Jim Morrison (1988). 1990 edition: ISBN 0-14-011910-8
  • The American Night: The Writings of Jim Morrison (1990). 1991 edition: ISBN 0-670-83772-5

演じた俳優[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 米誌が「最も偉大なシンガー」発表、あの“ソウルの女王”が1位に。
  2. ^ 史上最も偉大なシンガー100人 ベスト1~50位(2)
  3. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  4. ^ 伝説のロック歌手の破滅への衝動
  5. ^ a b Gaar, Gillian G. (2015). The Doors: The Illustrated History. Minneapolis (US): Voyageur Press. p. 12. ISBN 978-1-62788-705-2. https://books.google.com/books?id=GzLCCAAAQBAJ. 
  6. ^ The Verse of the Lizard King: An Analysis Of Jim Morrison's Work”. Return of Kings (2013年12月3日). 2015年12月1日閲覧。
  7. ^ Hopkins; Jerry and Daniel Sugerman (1980). No One Here Gets Out Alive. Warner Books. ISBN 978-0-446-69733-0. 
  8. ^ ザ・ドアーズの未公開トラックが発見される。来年1月に再発される『L.A.ウーマン』に収録
  9. ^ マリアンヌ・フェイスフル、「ジム・モリソンは自分の交際相手が売った薬物で死んだ」 - RO69
  10. ^ Jim Morrisonの墓地の移動はなしと公式発表
  11. ^ ドアーズのファン、ジム・モリソンの名誉回復を要請
  12. ^ コンサートで裸になり「公然わいせつ罪」に問われた故ジム・モリソン、罪が40年ぶりに恩赦
  13. ^ “「トカゲの王」J・モリソンさん、太古の巨大爬虫類の名に”. AFPBB News. (2013年6月5日). http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2947998/10850163 2013年6月5日閲覧。 
  14. ^ http://www.tapthepop.net/live/29785
  15. ^ https://www.barks.jp/news/?id=1000109218
  16. ^ http://inflooenz.com/?artist=Eddie+Vedder&influencer=jim+morrison
  17. ^ https://www.youtube.com/watch?v=n23YU6dFBsE
  18. ^ https://www.youtube.com/watch?v=WY1Q01K7qac
  19. ^ https://www.youtube.com/watch?v=UfljH8mfJp8

関連事項[編集]

外部リンク[編集]