ジム・ジョーンズ

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ジム・ジョーンズ
Jim Jones
Jim Jones in front of the International Hotel.jpg
ジム・ジョーンズ(1977年)
生誕 James Warren Jones
1931年5月13日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
インディアナ州 ランドルフ郡
死没 (1978-11-18) 1978年11月18日(47歳没)
ガイアナの旗 ガイアナ バリマ・ワイニ州英語版
ジョーンズタウン英語版
死因 拳銃による自殺もしくは射殺
出身校 インディアナ大学
職業 教祖
活動期間 1963年 - 1978年
団体 人民寺院
活動拠点 ガイアナの旗 ガイアナ バリマ・ワイニ州英語版
ジョーンズタウン英語版 (1974-1978)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州
サンフランシスコ (1963-1974)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 インディアナ州
インディアナ州 インディアナポリス (1955-1963)
敵対者 レオ・ライアン
宗教 キリスト教
宗派 人民寺院 (1955-1978)
メソジスト (1931-1955)
配偶者
子供 7名

ジェームス・ウォーレン “ジム” ジョーンズ(James Warren “Jim” Jones、1931年5月13日 - 1978年11月18日)は、アメリカ出身のキリスト教系のカルト教団、人民寺院の教祖。自ら共産主義を信奉する救世主を標榜する。しかし晩年は強迫観念が強くなり、その独裁体制や強制労働などに対する批判が高まるにつれて過激化。サンフランシスコからガイアナの密林の奥地へ教団を移動し、最後は900名を超える信者を集団自殺殺戮に導いて世界に衝撃を与えた。

来歴[編集]

1931年アメリカインディアナ州に生まれる。父親はクー・クラックス・クランの信奉者でジョーンズが12歳の時に家族を捨てた。母親は地元でボランティア活動に積極的に参加し弱者救済をしていた。家系はチョクトー族インディアンの血を引いている[1]

ジョーンズは日曜日になると母親や兄弟と共に教会に通い、マルクス毛沢東スターリンヒトラーなどの本も愛読していた[2]。優秀な成績で高校卒業の後、1949年に結婚。インディアナ大学在学中、メソジスト教会で牧師として働き、猿を売り歩いて生計を立てた。後に核戦争への危惧から南米に核シェルターを建設、移住した。

1955年インディアナポリス人民寺院(People's Temple)を結成。その後、1963年カリフォルニア州サンフランシスコに移る。黒人、若者、身寄りの無い高齢者といった恵まれない人々に福祉サービスを行い、優れた社会活動家という報道が話題となり時代のヒーローとして扱われ、有力政治家ともつながりを持った。

一方で教団内では強制労働や女性信者への性的虐待など、ジョーンズとその一派の独裁による問題が発生したことから、主要な幹部を含めた信者達が脱退するようになった。

1977年、脱退信者やマスコミなどから批判を受けるようになってからは、追われるように南米ガイアナの密林奥地に本拠地を移し、自らの名をとってジョーンズタウンと名付け、自分の妻と養子、信者らと共に入植。信者たちに強制労働が行われているとの噂が立ち、1978年11月18日アメリカ下院議員レオ・ライアンら5人がジョーンズタウンに調査に訪れた。調査を終え帰る途上、人民寺院の信者の一隊が議員一行を襲撃して殺害。この直後ジョーンズは信者らに死を命じる。大きな鍋に入ったシアン化合物入りの飲料水を摂取する事により、ジョーンズの妻子を含め大多数の信者が集団自殺を遂げた。ジョーンズ自身もこめかみに銃弾を受け死亡した(但し、自殺か他殺かは不明)。死者914人を数えた。

その他[編集]

  • ゴルゴ13 - 『地獄からの生還者』で教祖を殺害している(あくまでもフィクションだが、ゴルゴ13が殺害した数少ない実在の人物)。

脚注[編集]

  1. ^ 『死ぬには良い日だ オジブエ族の戦士と奇跡』(三五館)
  2. ^ Reiterman, Tom; Jacobs, John (1982), Raven: The Untold Story of Rev. Jim Jones and His People, Dutton, ISBN 0-525-24136-1 P. 24

外部リンク[編集]