ジム・カンタルーポ

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ジム・カンタルーポ
Jim Cantalupo
マクドナルド社長兼CEO
任期
2003–2004
個人情報
生誕James Richard Cantalupo
(1943-11-14) 1943年11月14日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州オークパーク
死没2004年4月19日(2004-04-19)(60歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州オーランド
死因心筋梗塞
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
子供2人
教育イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校

ジェームズ・リチャード・カンタルーポ(James Richard Cantalupo、1943年11月14日 - 2004年4月19日)は、アメリカ合衆国実業家である。マクドナルド社長最高経営責任者(CEO)を務めたが、在任中に心臓発作により60歳で急逝した。

若年期と教育[編集]

カンタルーポは、イリノイ州オークパークで、アイルランド系とイタリア系の家系に生まれた。父は検眼士だった。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で会計学の学位を取得した。

キャリア[編集]

カンタルーポは公認会計士になり、アーサー・ヤング会計事務所に8年間勤務した。マクドナルドはこの会計事務所の顧客だった。カンタルーポは急成長を遂げていたマクドナルドから役員のオファーを受け、1か月間悩んだ末に1974年に入社した。同年に副社長に昇進し、1981年には上級副社長に就任した[1]。1987年にマクドナルド・インターナショナルの社長、1991年に同社のCEOに就任した。1999年にはジャック・M・グリーンバーグ英語版にトップの座を奪われた[2]。マクドナルド社は2001年4月にカンタルーポが引退する予定であると発表したが、12月1日にグリーンバーグが辞任し、カンタルーポは経営陣の交代を支援するためにもう1年留任することに同意した[3]

2003年1月1日、カンタルーポがCEO兼会長を引き継いだ。株主からは、カンタルーポの就任は「同族経営」的だと批判を受けたが[2]、その後の12か月で会社の業績が回復し、カンタルーポの功績が認められた。カンタルーポは、サラダなどの健康的な食品の導入を加速させるなどの計画を練り、それを実行していた[2]フロリダ州オーランドで開催されたマクドナルドのコンベンションに出席中、心臓発作に襲われ、そのまま亡くなった[4]

脚注[編集]

  1. ^ Jack Greenberg to Retire from McDonald's” (英語). QSR magazine (2002年12月9日). 2019年3月15日閲覧。
  2. ^ a b c Reed (2004) p. 30
  3. ^ Day, Sherri (2002年12月6日). “Chief Executive Of McDonald's Plans to Retire” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2002/12/06/business/chief-executive-of-mcdonald-s-plans-to-retire.html 2019年3月14日閲覧。 
  4. ^ McDonald's CEO Cantalupo dies suddenly; Bell succeeds - Apr. 19, 2004”. money.cnn.com. 2019年3月14日閲覧。

参考文献[編集]

  • Reed, Christopher (2004) "Burger king who revived chain with salads: James Richard Cantalupo, Businessman, 1943-2004" (obituary reprinted from The Guardian) in The Sydney Morning Herald, 2004-04-22, p. 30

外部リンク[編集]

ビジネス
先代
ジャック・M・グリーンバーグ英語版
マクドナルドCEO
2003–2004
次代
チャーリー・ベル英語版