ジグメ・ティンレー
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ジグメ・ティンレー བློན་པོ་འོད་ཟེར་ཕྲིན་ལས། | |
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ジグメ・ティンレー (2012) | |
生年月日 | 1952年9月9日(72歳) |
出生地 | ブータン、ブムタン県 |
出身校 | ペンシルベニア大学 |
所属政党 | ブータン調和党(DPT) |
在任期間 | 1998年7月20日 - 1999年7月9日 |
元首 | ジグミ・シンゲ・ワンチュク |
在任期間 | 2003年8月30日 - 2004年8月20日 |
元首 | ジグミ・シンゲ・ワンチュク |
第12代ブータン王国閣僚評議会議長 | |
在任期間 | 2008年4月9日 - 2013年7月27日 |
元首 | ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク |
ジグメ・エーセール・ティンレー(ゾンカ語: འཇིགས་མེད་འོད་ཟེར་འཕྲིན་ལས།, ラテン文字転写: Jigme Yoser Thinley)は、ブータンの政治家。同国首相を3期務めた(第2・7・12代)。下院議員。
日本の報道では「ジグミ・ティンレイ」とも表記される。
経歴
[編集]父は歴代国王の側近であった[1]。1976年、アメリカ合衆国ペンシルベニア大学で公共政策の修士号を取得。帰国後は国家公務員となり[1]、様々な官職を歴任した。
1998年、国民議会における閣僚候補信任投票で候補中最多票を獲得し、閣僚評議会入りして外務大臣に就任した。また、任期中に閣僚評議会議長(閣僚輪番制の首相相当職)も務めた。2003年、閣僚評議会の改組で再度信任投票を受け、再び最多票を獲得する。閣僚評議会では内務文化大臣に就任し、閣僚評議会議長も務めた。
閣僚在任中、1期目の1999年6月、2期目の2006年10月に1回ずつ訪日した[2]ほか、2005年にも訪日し、愛知万博に足を運んでいる。
2007年8月、ブータンで新たに組織された政党の1つであるブータン調和党(DPT)の党首に選出された。翌2008年3月24日、初の普通選挙による国民議会(下院)選挙で、DPTはサンゲ・ゲドゥプが率いる国民民主党(PDP)を破り、全47議席中45議席を占める圧勝を収めた。この結果、同年4月9日にジグメ・ティンレーはブータン史上初の民選首相に任命された[3]。
首相就任後、それまでのほぼインド一辺倒だったブータンの外交を、多方面への拡大路線に変更し、特に中国に接近している。この動きに、インドは補助金などの支援を減らした。ジグメ・ティンレー政権が倒れた後、インドは減らした支援を復活させている[4]。
脚注
[編集]- ^ a b 『朝日新聞』2008年3月27日
- ^ 外務省「各国・地域情勢 ブータン王国」(2008年3月25日閲覧)
- ^ Kuensel Online 2008/04/09His Majesty to confer Dakyen on PM today(2008年4月9日閲覧)
- ^ “インド首相 初外遊はブータンに 対中牽制、訪日は来月”. 産経新聞. (2014年6月7日) 2014年6月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- Kuensel Online
- 国民議会ホームページ掲載の経歴[1]
公職 | ||
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先代 レンドゥプ・ドルジ(代行) キンザン・ドルジ キンザン・ドルジ |
ブータン王国首相 第2代:1998 - 1999 第7代:2003 - 2004 第12代:2008 - 2013 |
次代 サンゲ・ゲドゥプ イェシュイ・ジンバ ツェリン・トブゲ |