ジェームズ・ワトキンス
ジェームズ・ワトキンス James David Watkins | |
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ジェームズ・ワトキンス大将、1982年 | |
生年月日 | 1927年3月7日 |
没年月日 | 2012年7月26日 |
出身校 | 海軍兵学校 |
在任期間 | 1989年3月1日 - 1993年1月20日 |
大統領 | ジョージ・H・W・ブッシュ |
ジェームズ・ワトキンス James David Watkins | |
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所属組織 |
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軍歴 | 1949 - 1986 |
最終階級 | 海軍大将 |
ジェームズ・デービッド・ワトキンス(James David Watkins、1927年3月7日 - 2012年7月26日)は、アメリカ合衆国の海軍軍人、政治家。1982年6月30日に第22代アメリカ海軍作戦部長に就任した。退役後の1989年3月1日に第6代アメリカ合衆国エネルギー長官に就任。
経歴[編集]
軍人[編集]
1949年に海軍兵学校を卒業し海軍に入隊する。1958年に海軍大学校に入校、修了後に機械工学修士号を取得する。その後、駆逐艦や巡洋艦の艦長、海軍作戦本部人事局長、第6艦隊司令官、太平洋艦隊司令長官を歴任し、1979年4月に第19代海軍作戦次長に就任する。
1982年6月30日に第22代海軍作戦部長に就任する。この間冷戦の対立が新たな局面を迎えつつあり、アメリカ海軍の新戦略の確立や体制改革、特に水兵のための生活環境改善や人事制度の改革に尽力する。在任中に関った軍事作戦ではレバノン内戦、グレナダ侵攻、ペルシャ湾問題がある。1986年6月30日に退役。
政治活動[編集]
ワトキンスは海軍を退役した後に、レーガン政権の下で1987年に「後天性免疫不全症候群に関するワトキンス委員会」委員長を務め、ジョージ・H・W・ブッシュ政権下の1989年3月に第6代アメリカ合衆国エネルギー長官に就任する。
1993年から2000年まで合同海洋研究所長を、1993年から1998年まではニューヨーク・カーネギー財団の理事を務める。
ジョージ・W・ブッシュ大統領は2000年に可決された海洋法を下に、海洋政策に関する委員会を設立し、海洋戦略の第一人者としてワトキンスが委員長を務めるよう任命した。16名からなる委員会は新たな包括的国家海洋方針を提示した。最終報告書は2004年に公表された。同年には合同海洋委員会イニシアティブ共同議長に就任する。
2012年7月26日、死去[1]。85歳没。
外部リンク[編集]
- Admiral James D. Watkinsアメリカ海軍
脚注[編集]
- ^ Extraordinary Ocean Leader Admiral James D. Watkins Passes Away The Consortium for Ocean Leadership 2012年7月28日閲覧
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