ジェームズ・ルーズベルト1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
James Roosevelt I
1895年、息子フランクリンと共に。
生誕 (1828-07-16) 1828年7月16日
アメリカ合衆国ニューヨーク州ハイドパーク英語版
死没 (1900-12-08) 1900年12月8日(72歳没)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
テンプレートを表示

ジェームズ・ルーズベルト1世James Roosevelt I1828年7月16日 - 1900年12月8日、"Squire James"とも[1])は、アメリカ合衆国実業家。ルーズベルト家の一員で、息子フランクリン・ルーズベルト大統領を務めた。アイザック・ダニエル・ルーズベルトとメアリー・レベッカ・アスピンウォール(1809年 - 1886年)の息子として、ニューヨーク州ハイドパーク英語版で生まれた。

1847年にユニオン大学を卒業した。名家の生まれで、かつ長身、細身、裕福な男であった。1853年、又従妹のレベッカ・ブリアン・ハウランド(1831年1月15日 - 1876年8月21日)と結婚し、ジェームズ・ルーズベルト・ルーズベルト英語版が生まれた。

1876年のレベッカの死から4年後、遠縁のセオドア・ルーズベルトハーバード大学卒業を祝うパーティーで、同じく遠縁のサラ・デラノ英語版と出会った。2人は1880年10月7日に結婚し、1882年フランクリン・ルーズベルトが生まれた。良き父親であったが、繰り返しの心臓障害により、病人になった。息子フランクリンは父を必死に介護した。

主に石炭や輸送事業に関わった。デラウェア・アンド・ハドソン鉄道副社長、 サザン鉄道セキュリティ会社の社長を務めた。

1900年に死亡し、遺産の大半を妻サラに、残りをフランクリンに残した。[2]

参考文献[編集]

Notes

  1. ^ Miller, Nathan (1992). Theodore Roosevelt: A Life 
  2. ^ Brands, H.W. (2008). Traitor to his Class. New York, NY: Doubleday. p. 28. ISBN 978-0-385-51958-8