ジェームズ・S・シャーマン

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ジェームズ・S・シャーマン
James Schoolcraft Sherman
生年月日 (1855-10-24) 1855年10月24日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ユーティカ
没年月日 (1912-10-30) 1912年10月30日(57歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ユーティカ
出身校 ハミルトン・カレッジ
所属政党 共和党
配偶者 キャリー・バブコック
子女 3人
サイン

在任期間 1909年3月4日 - 1912年10月30日
大統領 ウィリアム・タフト
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ジェームズ・スクールクラフト・シャーマン(英語:James Schoolcraft Sherman1855年10月24日 - 1912年10月30日)は、アメリカ合衆国の政治家。ニューヨーク州選出の連邦下院議員ウィリアム・タフト政権にて第27代アメリカ合衆国副大統領を務めた。

生涯[編集]

1855年10月24日にニューヨーク州オナイダ郡ユーティカで誕生した。1878年にハミルトン・カレッジを卒業した。彼は1880年に法曹界入りし、ウティカで弁護士業を始めた。彼はウティカ・トラスト・アンド・デポジット社及びニューハートフォード・キャニング社の社長であり、1884年にウティカの市長に就任した。彼は第50及び第51議会(1887年3月4日 - 1891年3月3日)に共和党から選出された。1890年に落選したが、第53議会に再び当選して続く7期(1893年3月4日 - 1909年3月3日)を務めた。

1908年アメリカ合衆国大統領選挙[編集]

1908年アメリカ合衆国大統領選挙では共和党のウィリアム・タフトの伴走候補者となり、1909年3月4日に副大統領に就任した。そして1912年6月には副大統領候補に再指名された。シャーマンは大統領選挙の数日前にユーティカで死去し、ニコラス・M・バトラーが投票で後任の副大統領候補となった。しかし民主党ウッドロウ・ウィルソントーマス・R・マーシャルが当選した。

死後はフォレスト・ヒル墓地に埋葬された。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代
チャールズ・W・フェアバンクス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国副大統領
第27代:1909年3月4日 - 1912年10月30日
次代
トーマス・R・マーシャル