ジェフ・ホーナセック

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ジェフ・ホーナセック
Jeff Hornacek
フェニックス・サンズ HC
名前
本名 Jeffrey John Hornacek
ラテン文字 Jeff Hornacek
英語 Jeffrey John Hornacek
基本情報
誕生日 1963年5月3日(51歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州エルムハースト
身長 193cm  (6 ft 4 in)
体重 86kg (190 lb)
選手情報
ポジション シューティングガード
背番号 14(永久欠番)
ドラフト 1986年 46位
選手経歴
1986-1992
1992-1994
1994-2000
フェニックス・サンズ
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ
ユタ・ジャズ
指導者経歴
2013-現在
フェニックス・サンズ

ジェフリー・ジョン・ホーナセック (Jeffrey John Hornacek, 1963年5月3日 - ) はアメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。1986年から2000年までシューティングガードとしてNBAの3チームを渡り歩いた。 NBAフェニックス・サンズヘッドコーチを務める。

大学時代[編集]

1981年にアイオワ州立大学に「レッドシャート」(Redshirt; スポーツ活動に集中するため1年間大学課程を引き延ばす学生)として入学したホーナセックは1982-1986年まで大学のチームでプレイしている。プロ入りを目指す選手としては珍しく奨学金やスカウトに入部を補償された選手ではなく、入学後に自ら入部を申し出ている。その後、高校のバスケットボール部のコーチの息子だったホーナセックはビッグエイトカンファレンスの選抜チームにも選ばれるほどの活躍を見せ始め、1986年にはNCAA男子バスケットボールトーナメント優勝へとチームを導いた。当時ポイント・ガードだったホーナセックはミネアポリスメトロドームでの1戦では同点に追いつくショットを決め、延長では26フィートからのジャンプショットでアイオワ州立大学に1944年以来のトーナメント優勝をもたらした(決勝の対戦相手、マイアミ大学シューティングガードロン・ハーパー)。大学での665アシストはリーグ記録、1313ポイントはアイオワ州立大学史上最多である。

NBA時代[編集]

1986年のNBAドラフトでは第2巡目にフェニックス・サンズの22位指名(全体46位指名)を受け、サンズのスター選手として活躍。しかし自己最高成績を残したプロ6シーズン目終了後にはチャールズ・バークレーとのトレードで他2選手と共にフィラデルフィア・セブンティシクサーズへ移籍。シクサーズにはすでに他のシューティングガードがいた為、ホーナセックはポイントガードとしてプレイする事となった。1992-1993年のシーズンには1試合平均6.9アシストという自己ベスト記録を達成したものの、チームは26勝56敗と大きく負け越した。翌シーズン半ばの1994年2月24日にはジェフ・マローンとの交換でユタ・ジャズへトレードされ、ジョン・ストックトンの横で元のシューティングガードのポジションへと戻った。1997年と1998年にはジャズのNBAファイナル出場に貢献した(両年シカゴ・ブルズに敗戦し準優勝に終わる)。2000年に膝のケガで引退を余儀なくされるまでジャズでプレイした。

1994年11月23日のシアトル・スーパーソニックス戦では当時のNBA記録となる1試合中8回連続のスリーポイントショットを決めた。同シーズン1994年12月30日から1995年1月11日にかけてNBAタイ記録となる11回連続のスリーポイントショットも決めている。

フリースローの名手としても知られるホーナセックは1999年11月12日から2000年1月6日までの試合で67回連続でフリースローを成功させている。フリースロー前に3回頬を摩る癖も注目を浴び、自身はこの動作は3人の子供への挨拶だと説明している[1]。フリースロー成功率87.7%はNBA史上12位の記録である[2]

引退後[編集]

引退後、ホーナセックの背番号14はユタ・ジャズの永久欠番となった。2007-2008年のシーズンにはジャズの特命コーチとしてアンドレイ・キリレンコ等のシュート技術向上に努めた[3][4]。2008年5月にはコーチ候補としてシカゴ・ブルズのゼネラルマネージャー、ジョン・パクソンとの面接を受けたものの、家族にかかるプレッシャーを考慮し自ら候補から辞退した[4]。現在は妻と三人の子供とアリゾナ州に住む。

その後2011-12シーズンよりジャズのアシスタントコーチを務めた後2013-14シーズンよりフェニックス・サンズのヘッドコーチに就任。惜しくもプレーオフ進出は逃したものの、レギュラーシーズン48勝34敗を記録し、周囲を驚かせた。

記録[編集]

  • アイオワ州立大学
    • 通算アシスト数: 665
    • 通算スチール数: 211
    • 1シーズンアシスト数: 219 (1985-1986年; 歴代2位)
    • 1シーズン1試合平均アシスト数: 6.83 (1984年; 歴代2位)
  • NBA
    • 出場試合: 1,077
    • 出場時間: 33,959分
    • ポイント: 15,659 (1試合平均14.5)
    • アシスト: 5,281 (1試合平均4.9)
    • スチール: 1,536 (1試合平均1.43)
    • NBAオールスターゲーム出場 (1992年)

脚主[編集]

  1. ^ "Changing teams: Hornacek will trade NBA for family". - CNN/Sports Illustrated. - (CNNSI.com). - Wednesday, April 26, 2000.
  2. ^ "Career Leaders and Records for Free Throw %". - Basketball-Reference. - 2007-08-23
  3. ^ "Kirilenko plays best game of the season: Hornacek credited for big improvement in shooting prowess". - Deseret Morning News. - 2008年1月26日. - Retrieved: 2008-06-16
  4. ^ a b Hanley, Brian. - "Hornacek was 'player-coach'". - Chicago Sun-Times. - 2008年5月26日. - Retrieved: 2008-06-16

外部リンク[編集]