シーフィールド伯爵

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シーフィールド伯爵
Earl of Seafield

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th grandquarters, quarterly: 1st and 4th, Argent a Lion passant guardant Gules imperially crowned Or; 2nd and 3rd, Argent a Cross engrailed Sable (Ogilvie); 2nd and 3rd grandquarters, Gules three Antique Crowns Or (Grant) Crests:Dexter: A Lady richly attired from the waist upwards proper wearing a pointed fifteenth-century Head-dress Argent (Ogilvie); Sinister: A burning Hill between two Scots Pine Saplings proper (Grant) Supporters: Dexter: A Lion rampant guardant Or armed Gules; Sinister: A Savage or Naked Man bearing upon his shoulder a Club proper and wreathed about the head and middle with Laurel Vert
創設時期1701年6月24日
創設者ウィリアム3世
貴族スコットランド貴族
初代初代伯ジェームズ・オグルヴィ
現所有者13代伯イアン・オグルヴィ=グラント
相続人リードヘイヴン子爵フランシス・オグルヴィ=グラント
付随称号シーフィールド子爵
リードヘイヴン子爵
オグルヴィ卿(1698)
オグルヴィ卿(1701)
現況存続
邸宅カレン・ハウス英語版
1811年までフィンドレイター伯爵を兼ねた

シーフィールド伯爵: Earl of Seafield)は、イギリスの伯爵貴族スコットランド貴族爵位。オグルヴィ氏族英語版の流れを汲む第4代フィンドレイター伯爵ジェームズ・オグルヴィ1701年に叙されたことに始まり、現在はその女系子孫のオグルヴィ=グラント家(Ogilvie-Grant Family)が爵位を保持する。

伯爵位はデスクフォードのオグルヴィ卿及びフィンドレイター伯爵を前身とする。1811年までは二つの伯爵位は継承権者を一つにしていた。

歴史[編集]

オグルヴィ氏族英語版の一員ウォルター・オグルヴィ(?-1626)は1615年に「デスクフォードのオグルヴィ卿(Lord Ogilvy of Deskford)」に叙せられた[1]。これがシーフィールド系統オグルヴィ氏族の爵位叙爵の初出にあたる。

その子のジェームズ(?-1653)主教戦争の休戦に尽力した人物で、王党派と盟約派(ハントリー侯爵英語版第5代モントローズ伯爵)との仲を取り持っている[2]。その彼は1638年2月20日スコットランド貴族として「フィンドレイター伯爵(Earl of Findlater)」及び「デスクフォード卿(Lord Deskford)」を授けられた[2][3]。この叙爵は一族の長たるジェームズ・オグルヴィ英語版に先んじて行われたために同人の激しい怒りを買っている[注釈 1][2]。また、伯爵には男子がなかったため、娘婿パトリック・オグルヴィに相続させるべく、1641年に爵位を一旦爵位を返上して再叙爵(ノヴォダマス)を受けた[3]。そのため、以降の爵位継承はパトリック(2代伯)の子孫によって続く。

シーフィールド伯爵位を得る[編集]

初代シーフィールド伯爵ジェームズ・オグルヴィ。法曹官僚として栄達を遂げた。

2代伯の孫の4代伯ジェームズ(1663–1730)スコットランド弁護士会英語版に属した弁護士で、のちに栄達してスコットランド法務次官英語版スコットランド大法官英語版を務めている[5]。爵位の面でも上昇し、1698年6月24日に「シーフィールド子爵(Viscount Seafield)」及び「カレンのオグルヴィ卿(Lord Ogilvy of Cullen)」を授けられた[3]。続いて1701年には、「シーフィールド伯爵(Earl of Seafield)」、「リードヘイヴン子爵(Viscount Reidhaven)」及び「デスクフォード=カレンのオグルヴィ卿(Lord Ogilvy of Deskford and Cullen)」に叙されている[注釈 2][3][7][8]。一連の叙爵の背景には、スコットランド合同を推進する政府がオグルヴィの政治力を見込んで栄達させたという思惑があった[9]

その子の5代伯ジェームズ(1689-1764)スコットランド貴族代表議員スコットランド海軍次官を歴任した[10]。官職スコットランド警察卿(Lord of Police)に至っては、6代伯ジェームズまで親子二代にわたって務めている[10]

しかし、7代伯ジェームズが子のないまま死去すると、フィンドレイター伯爵位、デスクフォードのオグルヴィ卿位、デスクフォード卿位は継承者を欠き休止した[1]。他方、女系継承可能なシーフィールド伯爵位は又従弟の第8代準男爵サー・ルイス・グラント英語版が相続した[11]。この際に、グラント家は同じく女系継承によって「(コフーンの)準男爵(Colquhoun baronetcy, of Colquhoun)」を世襲していたことから、この準男爵位も伯爵位に従属することとなった[11]。また、ルイスに嗣子はなかったことから、弟フランシス(6代伯、1778–1853)、その子ジョン(7代伯、1815–1881)へと伯爵位は継承された。

ストラスペイ男爵位との関係[編集]

伯爵家の旧邸宅カレン・ハウス英語版

ジョン・オギルヴィ=グラント英語版(1815-1881)は伯爵位継承後、1858年8月14日連合王国貴族として「インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵(Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)」に叙された[11][12]。ゆえに伯爵家は自動的に英貴族院に議席を得ることとなったが、彼の嫡男イアン(8代伯、1851-1884)は生涯未婚のまま死去したため、男爵位は廃絶となった[11]

8代伯の伯父ジェームズ(1817-1888)は9代伯として爵位を継いだのち、1884年6月17日に同名の爵位「インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵」を再創設されており、この爵位は現存する[13][14]

その後、9代伯の孫にあたる11代伯ジェームズ(1876-1915)が男子のないまま第一次世界大戦で戦死を遂げた[15][16]。この際に男子への相続を求めるストラスペイ男爵位は弟トレヴァーが継承して伯爵位と分離している[注釈 3][14][17]。他方、女系継承可能なシーフィールド伯爵位を始めとするスコットランド貴族爵位は11代伯の長女ニーナ(12代女伯、1906-1969)が相続することとなった[15]

その長男の13代伯イアン(1939-)がシーフィールド伯爵家現当主を務めている。

かつての伯爵家の邸宅にはカレン・ハウス英語版があった。

現当主の保有爵位[編集]

現当主である第13代シーフィールド伯爵イアン・オグルヴィ=グラントは、以下の爵位を有する[11]

  • 第13代シーフィールド伯爵(13th Earl of Seafield)
    1701年6月24日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第13代シーフィールド子爵(13th Viscount Seafield)
    1698年6月24日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第13代リードヘイヴン子爵(13th Viscount Reidhaven)
    (1701年6月24日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第13代カレンのオグルヴィ卿(13th Lord Ogilvy of Cullen)
    (1698年6月24日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第13代デスクフォード=カレンのオグルヴィ卿(13th Lord Ogilvy of Deskford and Cullen)
    (1701年6月24日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)

一覧[編集]

フィンドレイター伯爵家時代の紋章。現在の伯家紋章はこのクォータリングに更にグラント家の家紋が追加されている。

デスクフォードのオグルヴィ卿(1616年)[編集]

フィンドレイター伯爵(1638年)[編集]

シーフィールド伯爵(1701年)[編集]

爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるリードヘイヴン子爵(儀礼称号)ジェームズ・アンドリュー・オグルヴィ=グラント(1963-)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし、氏族長のジェームズ・オグルヴィ自身も翌年にはエアリー伯爵位英語版を得ている[4]。この爵位も2021年現在、現存する。
  2. ^ 彼が新規に与えられた5つの爵位にはいずれも両系男子に継承を認める規定が定められている[6]
  3. ^ 男爵位と同様に男子への継承を求める(コフーンの)準男爵位も弟トレヴァーへ相続されている。

出典[編集]

  1. ^ a b Heraldic Media Limited. “Ogilvy of Deskford, Lord (S, 1615 - dormant 1811)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2021年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月27日閲覧。
  2. ^ a b c Stevenson, David. "Ogilvy, James, first earl of Findlater". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/67508 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Findlater, Earl of (S, 1638 - dormant 1811)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2021年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月27日閲覧。
  4. ^ Airlie, Earl of (S, 1639)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2021年7月26日閲覧。
  5. ^ John R. Young. "Ogilvy, James, fourth earl of Findlater and first earl of Seafield". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/20598 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  6. ^ Cokayne 1890, p. 351-352.
  7. ^ Cokayne 1890, p. 351.
  8. ^ Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. p. 811. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/810/mode/2up 
  9. ^ 青木康編著仲丸英起松園伸君塚直隆 他薩摩真介一柳峻夫、金澤周作、川分圭子『イギリス近世・近代史と議会制統治』吉田書店、2015年、74-75頁。ISBN 9784905497387 
  10. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 383–384.
  11. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Seafield, Earl of (S, 1701)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2021年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月27日閲覧。
  12. ^ "No. 22171". The London Gazette (英語). 6 August 1858. p. 3667.
  13. ^ "No. 25364". The London Gazette (英語). 13 June 1884. p. 2610.
  14. ^ a b Strathspey, Baron (UK, 1884)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年8月15日閲覧。
  15. ^ a b Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood. 3 (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 3552. ISBN 0-9711966-2-1 
  16. ^ “Death of Lord Seafield”. The Evening Post XCI (5): p. 3. (1916年1月7日). http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=EP19160107.2.23 2014年10月14日閲覧。 
  17. ^ Arthur G.M. Hesilrige. “Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. p. 811. 2020年8月16日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]