シーグルド・レヴェレンツ

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Chapel of Resurrection
Church of St. Mark
Church of St. Mark Interior

シーグルド・レヴェレンツ(Sigurd Lewerentz 、1885年-1975年)は、スウェーデン建築家。エリック・グンナール・アスプルンドととともにスコーグスシュルコゴーデン(1932年)を担当した。

1905年から1908年にヨーテボリにあるチャルマース工科大学でメカニカルエンジニアとしての訓練を受け、その後ドイツで建築設計の見習いを始めた。クララ・スクールと呼ばれる私設学校の同級生で会合を介してアスプルンドと出会い、墓地の設計に関わるようになった。

その後スウェーデン美術工芸界で知られる存在になり、持ち家運動や墓地改善運動などで活躍したという。1911年ストックホルムで最初に自身の事務所を開設。

1914年から1915年にかけて行われるストックホルムサウス(ウッドランド)墓地設計競技に彼らは一緒に勝利のために参加し当選。このプロジェクトは、両方の建築家によって最初に実施されていたが、ステージはアスプルンドが単独で設計を担当。レヴェレンツは復活の礼拝堂を担当するが、1934年、レヴェレンツはプロジェクトを降ろされる。1940年、アスプルンドの死後は一人で自身の死の直前まで担当した。

彼とアスプルンドのための主要建築家に任命されたストックホルム国際展(1930年)のできに後に幻滅し、その後建築設計から顔をそむけ、1940年からは工場を手に入れ、ストックホルムの地下鉄システム拡張の為の製品創作、窓や自身の設計の建築パーツを生産する工場を経営していた。

自作のマルメオペラとミュージックシアターは一緒に設計した同僚と、機能主義建築の傑作の一つとみなされているものを作成したと述べている。その開口面と美しい大理石の階段を使用して、特定の美しさとみなされ、それは、カール・ミレスとアイザック・グリューネといったアーティストによる芸術作品で飾られている。

人生の最後の10年間で、彼は2つの教会で復帰。1969年までスウェーデン・スコーネ地方の「マルメ東部墓地」プロジェクトや他の墓地・墓苑設計に取り組む。マルメ東部墓地は1916年に入選したコンペ案を元に長い年月をかけて計画が進められ、サン・ピエトロのセント・マークス教会(1963年)で評価を復活させた。復活の礼拝堂は、古典をデザインに取り入れているが、教会では、シンプルな表現をとっている。第一回スウェーデン建築賞を受賞した。ほかにBjorkhagen教会群(1956年~60年)とSkaneのKlippan(1962年~66年)があり、死の直前まで、コンペの提案や家具のデザインをし続けた。

参考文献[編集]

  • Sigurd Lewerentz Nicola Flora Phaidon Press (2006,ISBN-10: 1904313469 ISBN-13: 978-1904313465)