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シャルロッテ・フォン・ハーナウ=リヒテンベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャルロッテ
Charlotte
ヘッセン=ダルムシュタット方伯妃

全名
出生 (1700-05-02) 1700年5月2日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ハーナウ=リヒテンベルク伯領、ブーフスヴァイラー
死去 (1726-07-01) 1726年7月1日(26歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=ダルムシュタット方伯領ダルムシュタット
配偶者 ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ8世
子女 ルートヴィヒ9世
ゲオルク・ヴィルヘルム
カロリーネ・ルイーゼ
家名 ハーナウ家
父親 ハーナウ=リヒテンベルク伯ヨハン・ラインハルト3世
母親 ドロテア・フレーデリケ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハ
宗教 キリスト教ルター派
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シャルロッテ・フォン・ハーナウ=リヒテンベルクドイツ語:Charlotte von Hanau-Lichtenberg, 1700年5月2日 - 1726年7月1日)は、ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ8世の妃。

生涯

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シャルロッテは最後のハーナウ=リヒテンベルク伯ヨハン・ラインハルト3世とドロテア・フレーデリケ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハの一人娘として生まれた。ハーナウ伯領の唯一の相続人であった。

最初に結婚を申し込んだのは、後のヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム8世であった[1]。この結婚が行われていた場合、ハーナウ伯領はヘッセン=カッセル伯領に併合されていたと思われるが、ヴィルヘルム8世がカルヴァン派であるのに対し、シャルロッテはルター派であったため、宗教上の問題によりこの結婚は成立しなかった[2]

その後、ルター派であったヘッセン=ダルムシュタット方伯の継嗣ルートヴィヒ8世との結婚が決められた。1717年4月5日に結婚式は行われた[3]。この結婚で以下の子女が生まれた。

シャルロッテは1726年7月1日にダルムシュタットで死去した。1726年7月にダルムシュタットで葬儀の説教が多く出版された[4]

ハーナウ伯領の相続争い

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シャルロッテが父ヨハン・ラインハルト3世より先に亡くなったため、シャルロッテの息子ルートヴィヒ9世がハーナウ伯領の法定相続人となった。しかし、伯領のうちミュンツェンベルク地域については、ハーナウ家とヘッセン=カッセル家の間に以前に結ばれた相続契約でヘッセン=カッセル家に譲渡されていたため、ルートヴィヒ9世が相続人となったのはハーナウ伯領のうちリヒテンベルクの地域についてであった。

バーベンハウゼンがどちらに属するかが明確でなかったため、争いが起こり、軍事衝突に発展した。ヘッセン=ダルムシュタット家はディーツェンバッハシャーフハイムおよびシュリーアバッハを占領した。ヘッセン=カッセル家はバーベンハウゼンの残りの地域を占領し、すでにハーナウに駐留していた部隊を配備した。

この対立は、帝国の最高裁判所で長期にわたる訴訟がなされ、その後解決に至った。アルトハイム、ディーツェンバッハ、ハルパーツハウゼン、シャーフハイムおよびシュリーアバッハの町はヘッセン=ダルムシュタット家に与えられ、シャーフハイム地区に編入された。

脚注

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  1. ^ Hessian State Archive Marburg, file: 4a:85.1
  2. ^ エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエールの手紙による: Holland, p. 25: Letter from the Duchess of 14 April 1716 to Louise Raugravine of the Palatinate
  3. ^ 結婚式の際に、記念集が発行された: In the House Hanau [...] joy, 1717; reference: Hanau City Library, Department of Hesse-Hanau, Signature: I o 2 F 4, further documentation in: Hessian State Archive Marburg, Signature: Coll 15, Box 242, No. 10
  4. ^ John Rhenius and Johann Reinhard Vulpius: Funeral sermon, Gießen, undated, printed by Johann Reinhard Vulpius. Reference: Lenz, Catalogue No. 350; Christoph Friedrich Ayrmannus: [funeral sermon], Gießen, undated, printed by Müller. Reference: Lenz, Catalogue No. 441, Johann Heinrich Stephani and Wilhelm Krebs: Darmstad's most guilty tears and Love sacrifice, as Hereditary Princess Charlotta Christina Magdalena née Countess Johanna of Hanau died 07/01/1726, Darmstadt, 1726. Reference: Public Library Hanau, Dept. Hesse-Hanau, Signature: I h 2 B, Lenz, Catalog No. 442, and further in the Hessian State Archives, Marburg, files: ECR 15, 242; 81 Hanau government A 46.6. Reference: Marburg Catalogue, and further in the Hessian State Archives, Darmstadt, inventory: D 4 No. 412/3. Reference: Catalog State Archives Darmstadt

参考文献

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  • Alfred Börckel: Wives of the princes of Hesse from St. Elizabeth to the present day, represented in their life and work, 2nd ed. Gießen, 1908, p. 74 ff.
  • Reinhard Dietrich: The state constitution in the Land of Hanau = Hanauer history publications, vol. 34, Hanau 1996, ISBN 3-9801933-6-5
  • Louis William Holland: Letters of the Duchess Elisabeth Charlotte of Orleans from the years 1716 to 1718 = Library of the Literary Association, vol. 122, Tübingen 1874.
  • Catalog of funeral sermons and other writings of mourning in the Hessian State Archives, Marburg = Marburg staff research journal, vol 14, Sigmaringen 1992.
  • Catalog of funeral sermons and other writings of mourning in the Hessian State Archive Darmstadt = Marburger staff research journal, vol 13, Sigmaringen 1991.
  • Manfred Knodt: The Regents of Hesse-Darmstadt. 2nd ed, Darmstadt 1977.
  • Rudolf Lenz: Catalogue of funeral sermons and other writings of sadness in the Hesse University and State Library = Marburger staff research journal, vol 11, Sigmaringen 1990.
  • Reinhard Suchier: Genealogy of Countly House of Hanau, in: Festschrift of the Hanau Historical Association for its fifty-year jubilee celebration on 27 August 1894, Hanau 1894.
  • Ernst J. Zimmermann: Hanau city and country, 3rd Edition, Hanau 1919, reprinted 1978.

関連項目

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