シャルル・リュシアン・ボナパルト

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シャルル・リュシアン・ボナパルト
Bonaparte Charles Lucien 1803-1857.png
Charles Lucien Bonaparte
生誕 (1803-05-24) 1803年5月24日
死没 (1857-07-29) 1857年7月29日(54歳没)
国籍 フランス
研究分野 動物学
プロジェクト:人物伝

シャルル・リュシアンカルロ・ルチアーノ・ジュール・ローラン・ボナパルト(Charles Lucien (Carlo Luciano) Jules Laurent Bonaparte, 2nd Prince of Canino and Musignano, 1803年5月24日1857年7月29日)は、フランス生物学者鳥類学者。妻との間にリュシアン・ルイ・ボナパルトを含む12人の子がいる。  

生涯[編集]

シャルル・リュシアンはリュシアン・ボナパルトアレクサンドリーヌ・ド・ブレシャンの間の息子であり、フランス皇帝ナポレオン1世の甥である。彼はイタリアで育った。1822年6月29日、ブリュッセルでいとこのゼナイードと結婚した。結婚後まもなく、夫婦はゼナイードの父ジョゼフ・ボナパルトと一緒に暮らすために、米国フィラデルフィアに向かった。[1]イタリアを離れる前に、すでにカルロ(彼のイタリア名)はムシクイ類の新種マミジロヨシキリ (学名:Moustached warbler)を発見している。そしてまた彼は旅行の中で新しいウミツバメ科の標本を収集。米国に到着すると、この新しい鳥についての論文を発表、この鳥はのちにアレキサンダー・ウィルソンの名にちなんで名付けられている (英名:Wilson's storm petrel 和名:アシナガウミツバメ)。

その後、ボナパルトは米国の鳥類学を研究し、ウィルソンの『American Ornithology』を最新のものにする。この改訂版は1825年から1833年の間に出版された。1824年、ボナパルトは当時まだ無名だったジョン・ジェームズ・オーデュボン自然科学アカデミーに受け入れさせようとしたが、鳥類学者ジョージ・オードが反対した。

1826年の暮れに、ボナパルトと家族はヨーロッパに戻った。彼はドイツを訪れ、フィリップ・ヤコブ・クレッチマーに会った、そしてイングランドを訪問し、彼は大英博物館ジョン・エドワード・グレイに会い、知人オーデュボンと関係を新たにした。1828年、家族はローマに定住した。イタリアにおいて、彼は複数の科学会議の発起人であり、そしてまた講義を行い、アメリカおよびヨーロッパの鳥類学、博物学の他部門において幅広く執筆した。1832年と1841年の間に、ボナパルトはイタリアの動物についての研究『Iconografia della Fauna Italica』を発表した。また彼はイタリア種およびフィラデルフィアの緯度における鳥の比較を提示した著書『Specchio Comparativo delle Ornithologie di Roma e di Filadelfia』 (Pisa, 1827)を発表した。彼はナゲキバトおよびその近縁種を、妻にちなんでゼナイーダ (学名:Zenaida 和名:ハジロバト属)と考案した。

1849年、彼はローマ共和国の建国に参加し、ローマ議会に選出された。ジャスパー・リドリーによると議会が初めて招集された時のこと: 「カルロ・ボナパルトの名があるとき、ヴィテルボのメンバーを代表して呼ばれ、彼は共和国万歳! (Viva la Repubblica!)と大声で点呼に答えた」。[2]彼はいとこのルイ・ナポレオンによって送られた約40,000人のフランス軍に対するローマ防衛に参戦した。彼は共和国の軍隊が1849年7月に敗北した後にローマを去った。彼はマルセイユに上陸したが、ルイ・ナポレオンによって国を離れるよう命じられた。翌年、彼は共和国構想を記念してアカミノフウチョウ (学名:Cicinnurus respublica)と命名したことで彼の政治的信念は再確認された。

彼はイングランドを旅し、バーミンガムの英国協会の会議に出席した。彼は南部スコットランドに住んでいるサーウィリアム・ジャーディンを訪問した。その後、採集物を研究するため欧州全域の博物館を訪問し、世界すべての鳥の系統的分類の準備作業を始めた。1850年、彼はフランスに帰国すること、パリの自宅で生涯の残りを過ごすことを許された。1854年、彼はパリ植物園の管理者になった。1855年、彼はスウェーデン王立科学アカデミーの外国人メンバーになった。彼は第1巻『Conspectus Generum Avium』を発表したあと死去した。第2巻はヘルマン・シュレーゲルが編集した。

またボナパルトは、両生類爬虫類を研究し、一般的にOrsini's viperとして知られるノハラクサリヘビの原著者でもあった。

家族[編集]

公シャルル、公女ゼナイード・ボナパルトには12人の子供がおり、以下リストである:

名前 生年月日 死亡日
ジョセフ・リュシアン・シャルル・ナポレオン・ボナパルト, 第3代ムジニャーノおよびカニーノ公 1824年2月13日 (1865-09-02) 1865年9月2日(41歳没)
アレクサンドリーヌ・ゲルトルーデ・ゼナイード・ボナパルト 1826年6月9日 1828年5月
リュシアン・ルイ・ジョゼフ・ナポレオン・ボナパルト, 第4代ムジニャーノおよびカニーノ公 1828年11月15日 (1895-11-19) 1895年11月19日(67歳没)
ジュリー・シャルロット・ボナパルト 1830年6月5日 (1900-10-28) 1900年10月28日(70歳没)
シャルロット・オノリーヌ・ジョゼフィーヌ・ポーリーヌ・ボナパルト 1832年3月4日 (1901-10-01) 1901年10月1日(69歳没)
レオニー・ステファニー・エリーズ・ボナパルト 1833年9月18日 (1839-09-14) 1839年9月14日(5歳没)
マリー・デジレ・ウジェニー・ジョゼフィーヌ・フィロメーヌ・ボナパルト 1835年3月18日 (1890-08-28) 1890年8月28日(55歳没)
オギュスタ・アメリー・マクシミリアーヌ・ジャクリーヌ・ボナパルト (シャルロット・ボナパルト・ガブリエッリの息子と結婚) 1836年11月9日 (1900-03-29) 1900年3月29日(63歳没)
ナポレオン・シャルル・グレゴワール・ジャック・フィリップ・ボナパルト, 第5代ムジニャーノおよびカニーノ公 1839年2月5日 (1899-02-11) 1899年2月11日(60歳没)
バティルド・アロイーズ・レオニー・ボナパルト 1840年11月26日 (1861-06-09) 1861年6月9日(20歳没)
アルベルティーヌ・マリー・テレーズ・ボナパルト 1842年3月12日 (1842-06-03) 1842年6月3日(0歳没)
シャルル・アルベール・ボナパルト 1843年3月22日 (1847-12-06) 1847年12月6日(4歳没)

著書[編集]

  • American Ornithology, or, The Natural History of Birds Inhabiting the United States (4 vols., Philadelphia, 1825-'33). This work contains more than 100 new species discovered by Bonaparte.
  • Conspectus Generum Avium (Leyden, 1850)
  • Revue critique de l'ornithologie Européenne (Brussels, 1850)
  • Monographie des loxiens (Leyden, 1850) in collaboration with H. Schlegel
  • Catalogue des oiseaux d'Europe (Paris, 1856)
  • Memoirs (New York, 1836)

In conjunction with M. de Pouancé, he also prepared descriptive catalogue of pigeons and one of parrots which were published after his death. Among his papers published are:

  • “Observations on the Nomenclature of Wilson's ‘Ornithology,’” Journal of the Academy of Philadelphia
  • “Synopsis of the Birds of the United States,” Annals of the Lyceum of New York
  • “Catalogue of the Birds of the United States,” Contributions of the Maclurian Lyceum of Philadelphia

家系[編集]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Wikisource-logo.svg Wilson, James Grant; Fiske, John, eds. (1900). "Bonaparte, Charles Lucien Jules Laurent". Appletons' Cyclopædia of American Biography. New York: D. Appleton. 
  2. ^ Jasper Ridley, Garibaldi, Viking Press (1976), p. 268.

参考文献[編集]

  • Thomas, Phillip Drennon (2002年). “The emperor of nature: Charles-Lucien Bonaparte and his world. [Review of: Stroud, P.T. The emperor of nature: Charles-Lucien Bonaparte and his world. Philadelphia: U. of Pennsylvania Pr., 2000]”. Journal of American history (Bloomington, Ind.) 88 (4): pp. 1517. 2002. PMID 16845779 
  • Stroud, Patricia Tyson - The Emperor of Nature. Charles-Lucien Bonaparte and his World ISBN 0-8122-3546-0
  • Mearns, Barbara and Richard - Biographies for Birdwatchers ISBN 0-12-487422-3
  • Ridley, Jasper - Garibaldi Viking Press (1976)
  • Wikisource-logo.svg Herbermann, Charles, ed. (1913). "Charles-Lucien-Jules-Laurent Bonaparte". Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company. 

外部リンク[編集]

シャルル・リュシアン・ボナパルト

1803年5月24日 - 1857年7月29日

爵位
先代:
リュシアン1世
カニーノ=ムジニャーノ公
1840年–1857年
次代:
ジョセフ