シャルム・エル・シェイク

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シャルム・エル・シェイク

شرم الشيخ
エジプトの旗

Sharm Al Shaykh
紅海の眺め
紅海の眺め
愛称: 
مدينة السلام (The City of Peace)
シャルム・エル・シェイクの位置(エジプト内)
シャルム・エル・シェイク
シャルム・エル・シェイク
シャルム・エル・シェイクの位置(シナイ半島内)
シャルム・エル・シェイク
シャルム・エル・シェイク
北緯27度51分 東経34度16分 / 北緯27.850度 東経34.267度 / 27.850; 34.267座標: 北緯27度51分 東経34度16分 / 北緯27.850度 東経34.267度 / 27.850; 34.267
 エジプト
南シナイ県シナイ半島
等時帯 UTC+2

シャルム・エル・シェイクアラビア語: شرم الشيخ ‎, IPA: [ˈʃɑɾmeʃˈʃeːx] シャルメッシェーフ; Sharm el-Sheikh, Sharm al-Shaykh)は、エジプトシナイ半島南部にある都市。紅海に面しており、世界有数のスキューバダイビングの名所としてリゾート地になっている[1]中東各国のみならずヨーロッパ各国からも多数の定期便、チャーター便が就航している。

都市名は「シャイフ入り江」という意味である。エジプト現地では「シャルム」(アラビア語: شرم‎)の略称が多用される。また、「平和の都市」(アラビア語: مدينة السلام‎)という愛称もある[2]

歴史[編集]

かつては辺鄙な漁村だったが、シナイ半島の南端にあり、アカバ湾の入り口であるティラン海峡に面する戦略的要衝であることからエジプト海軍の基地が置かれるようになり、しばしば戦場となった。1956年スエズ危機ではイスラエル国防軍により急襲、占領されたが、翌1957年にエジプトに返還された。しかし1967年第三次中東戦争でイスラエルに再び占領された。1979年エジプト・イスラエル平和条約でシナイ半島がエジプトに返還されることが決定し、1982年に返還された。

イスラエルは占領中に「オフィラ」というユダヤ人入植地を築き、ナーマ湾周辺にリゾートホテルやダイビングクラブなどを建設し、この地をリゾート地として大開発した。返還された後、エジプト政府はイスラエルの残したインフラをもとに観光開発を継続。旧オフィラ空軍基地を改造してシャルム・エル・シェイク国際空港を作り、イスラエルを含めた中東やヨーロッパ各地から保養客が訪れるという中東随一の高級リゾート地へと変身させた。国際会議も誘致されるほか、パレスチナやイラクなど中東の紛争解決に関わる国際会議や首脳会議も、数多くこの地で行われている。

一大観光地であることからエジプト国内でも治安は良い方であるが、2005年7月23日に市場や複数のホテルの近くなどで自動車が爆発するテロ事件があり、多くの死傷者を出した。それ以降、この地に向かう道路における検問や観光施設への警備が強化されている。シナイ半島ではイスラム過激派が活動しており、アブドルファッターフ・アッ=シーシー政権は貴重な外貨収入源であるこの街を守るため、2019年から高さ5メートル、総延長40キロメートルのコンクリート壁で内陸部からのテロリスト侵入を防ぐ工事を進めている[1]

ホスニー・ムバーラク元大統領はシャルム・エル・シェイクを愛し、閣僚を呼び寄せて政務を執ったり、各国の首脳会議をこの地で行ったりすることもあった。2011年エジプト騒乱による失脚後、彼はこの地の私邸に滞在していた。

交通[編集]

シャルム・エル・シェイク周辺地図。シナイ半島南端の海岸部にリゾートが連なる。

航空[編集]

道路[編集]

  • 国道35号線

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  • シャルム・エル・シェイク港、ナーマ

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 【米同時テロ20年】エジプト 過激派 拡散揺らぐ秩序/リゾート地 城塞都市化『読売新聞』朝刊2021年9月8日(国際面)
  2. ^ Sharm El-Sheikh, city of peace” (英語). Arab News (2012年11月21日). 2021年1月29日閲覧。