シャルム・エル・シェイク
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シャルム・エル・シェイク Sharm Al Shaykh | |
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![]() 紅海の眺め | |
愛称: The City of Peace | |
北緯27度51分 東経34度16分 / 北緯27.850度 東経34.267度座標: 北緯27度51分 東経34度16分 / 北緯27.850度 東経34.267度 | |
国 |
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県 | 南シナイ県(シナイ半島) |
等時帯 | UTC+2 |
シャルム・エル・シェイク(アラビア語: شرم الشيخ , IPA: [ˈʃɑɾmeʃˈʃeːx] シャルメシェーフ; Sharm el-Sheikh, Sharm al-Shaykh)は、エジプト、シナイ半島南部の都市。エジプトにおける第一の国際的リゾート地であり、中東各国のみならずヨーロッパ各国からも多数の定期便、チャーター便が就航するなど世界的に人気が高い。
歴史[編集]
かつては辺鄙な漁村だったが、シナイ半島の南端にあり、アカバ湾の入り口であるティラン海峡に面する戦略的要衝であることからエジプト海軍の基地が置かれるようになり、しばしば戦場となった。1956年のスエズ危機ではイスラエル国防軍により急襲、占領されたが、翌1957年にエジプトに返還された。しかし1967年の第三次中東戦争でイスラエルに再び占領された。1979年のエジプト・イスラエル平和条約でシナイ半島がエジプトに返還されることが決定し、1982年に返還された。
イスラエルは占領中に「オフィラ」という入植地を築き、ナーマ湾周辺にリゾートホテルやダイビングクラブなどを建設し、この地をリゾート地として大開発した。返還された後、エジプト政府はイスラエルの残したインフラをもとに観光開発を継続、旧オフィラ空軍基地を改造してシャルム・エル・シェイク国際空港を作り、イスラエルを含めた中東やヨーロッパ各地から保養客が訪れるという中東随一の高級リゾート地へと変身させた。国際会議も誘致されるほか、パレスチナやイラクなど中東の紛争解決に関わる国際会議や首脳会議も、数多くこの地で行われている。
一大観光地であることからエジプト国内でも治安は良い方であるが、2005年7月23日に市場や複数のホテルの近くなどで自動車が爆発するテロ事件があり、多くの死傷者を出した。それ以降、この地に向かう道路における検問や観光施設への警備が強化されている。
ホスニー・ムバーラク元大統領はシャルム・エル・シェイクを愛し、閣僚を呼び寄せて政務を執ったり、各国の首脳会議をこの地で行ったりすることもあった。2011年エジプト騒乱による失脚後、彼はこの地の私邸に滞在していた。
交通[編集]
航空[編集]
- シャルム・エル・シェイク国際空港 - カイロから飛行機で約1時間
道路[編集]
- 国道35号線
船[編集]
- シャルム・エル・シェイク港、ナーマ港