シャムキル県

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座標: 北緯40度49分57秒 東経46度1分35秒 / 北緯40.83250度 東経46.02639度 / 40.83250; 46.02639

シャムキル県
Şəmkir Rayonu
—    —
シャムキル県の位置
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
設置 1930年
県都 シャムキル英語版
行政
 - 県知事 Nazim Veysov
面積[1]
 - 計 1,660km2 (640.9mi2)
人口 (2011)[2]
 - 計 196,100人
等時帯 アゼルバイジャン時間 (UTC+4)
 - 夏時間 アゼルバイジャン夏時間 (UTC+5)
市外局番 241
ウェブサイト www.shamkir-ih.gov.az

シャムキル県(アゼルバイジャン語: Şəmkir)はアゼルバイジャン北西部のギャンジャ=ガザフ経済地区の県。
ソ連1930年に「シャムコル県」として設置し、1991年の独立と共に改名した。
県都はシャムキル英語版
2011年の人口は約19.6万人。 北から時計回りに

に接する。

自治体[編集]

  • 市:1ヶ所(シャムキル)
  • 都市型集落:4ヶ所(チナリ、ダッラー、ザヤム、クラ)
  • 村:59ヶ所

土地利用[編集]

合計 1660.00 km2
農地 1245.00 km2
農業不適地 415.00 km2
牧畜 827.00 km2
野菜 388.00 km2
果樹園 27.70 km2

都市化率は33.5%。

歴史[編集]

シャムキルの尖塔

古代シャムキルはクラ川右岸の20haの要塞で、川には2本の橋が架かっていた。

7世紀イスラム帝国がシャムキルを占領し、Mütəvəkkilliyəと名付けた。

9世紀12世紀セルジューク朝の支配下でシャムキルは繁栄した。

12世紀イルデニズ朝の支配下でシャムキルは繁栄した。

13世紀、シャムキルはモンゴル帝国への抵抗の重要拠点だった。

16世紀、地元のZülqədəz族の首長が支配した。

アゼルバイジャン・ハン国が存在した時代には、シャムキルはギャンジャ・ハン国英語版に属した。

1803年ロシア帝国が占領し併合した。

1826年9月3日、ロシア・ペルシャ戦争 (1826年-1828年)の中で、ロシア帝国ガージャール朝をシャムキルで破った。

19世紀前半、ロシア皇帝はコーカサス・ドイツ人英語版を大量にコーカサスに移住させ、シャムキルにも大きな社会が出来た。
シャムキルは「アニオ」と改名された。

1938年ソ連は「シャムコル」に改名した。

1991年アゼルバイジャンの独立と共に「シャムキル」に改名された。

著名人[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

関連資料[編集]