シャバク人

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シャバク人
(50万 - 55万人[1][2][3])
居住地域
最大の居住地
モースル、ゴグジャリ (Gogjali)、バルテラ英語版[4][5]
言語
シャバク語クルド語アラビア語
宗教
シーア派シャバキズム英語版スンナ派

シャバク人(シャバクじん、英語: Shabak peopleアラビア語: الشبك‎、クルド語: شەبەک)は、イラクの民族集団のひとつで、クルド人の一部が用いる北西イラン語群英語版ザザ・ゴラニ語英語版シャバク語を話す人々。シャバク人たちは、タイファ (ta'ifa) と称される宗教的コミュニティを作って暮らしており、モースルの東方に35ヶ所ほどの集落がある。シャバク人の祖先は、クルド人とされる神秘主義者サフィーッディーン・イスハーク・アルダビーリー14世紀初めに興したサファヴィー教団英語版の信者たちであった[6]。シャバク人の信仰上の重要文献は、ブイルーク英語版、ないし「キタブ・アル=マナキブ (Kitab al-Manaqib)」(「模範行為の書」の意)と称される、トルクメン語で書かれたものである[2]

クルド系の部族であるバジャラン人英語版ザンガネ人英語版、ダウーディ人 (Dawoody) は、シャバク人の社会に統合されているが、その後もクルマンジーという北部クルド語を話し続けている[1]

2017年の時点で、シャバク人は、イラク政府やクルド人勢力と対立している。ほとんどのシャバク人たちは、2014年ISISによる北部イラク侵攻英語版によって故郷の町や村から追い立てられたが、モースルの戦いでイラク政府軍、ないし、ペシュメルガによって奪還された後は、徐々に故郷に帰還しつつある[3][7]

人口[編集]

1925年の調査の基づく推計では、シャバク人の人口は10万人ほどと見込まれていた。また、1970年代には、1万5千人程度と推計されていた[6]。近年の推計では、50万人から55万人程度と推定されている[8]

起源[編集]

「シャバク (Shabak)」という言葉の由来ははっきりしていない。一説には、「シャバク」はアラビア語で「撚り合わせ」を意味する「شبك」に由来し、シャバク人が数多くの異なる部族のから構成されてきたことを意味しているという[9]トルコトゥンジェリの少数部族の中にはシャベカン (Shabekan) 族がおり、イラン北東部のホラーサーナク英語版にはシャバカンル (Shabakanlu) 族がいる。

オースティン・ヘンリー・レヤードは、シャバクがイランに起源をもつクルド人の子孫であると考え、アリー・イラーヒー派英語版と関わりがあるものと信じていた[9]。他にも、アナトリア半島にいたトルクメン人が、チャルディラーンの戦いイスマーイール1世が敗北した後に、強制的にモースル地域に移住させられたのがシャバク人の起源だとする説などがある[9]

強制移送と強制同化[編集]

シャバク人は、近年、強制移送と強制同化の双方を経験してきた。シャバク人の地理的分布は、1988年のアンファル作戦による大量強制移送や、1991年の難民危機によって、劇的に変化した。多数のシャバク人が、ザンガネ人やハウラミ人 (Hawrami) ともども、イラク領内のクルディスタン地域ハリール英語版周辺に設けられた、アラビア語で「ムジャマート」と称される収容所に移された。この時期には、1,160人のシャバク人が殺害されたと推定されている。

さらに、シャバク人たちに自分たちのアイデンティティを抑圧し、アラブ人ないしクルド人というアイデンティティだけを意識するよう強いる動きが強化されていった。イラク政府は、強制同化英語版アラブ化英語版、宗教弾圧を通して、シャバク人たちを脅かす圧力を強めていった。あるシャバク人は、調査者に対して「政府は、私たちのことをアラブ人だ、クルド人ではないというが、もし私たちがアラブ人なら、なぜ彼らは私たちを故郷から移送したのか」と語っている[10][11]2016年の時点で、イラク議会におけるシャバク人の代表者のひとりサリム・アル=シャバキ (Salim al-Shabaki) は、「シャバク人はクルド同胞の一部である」と述べ、シャバク人が民族的にはクルド人であるという主張を強調している[12]2006年8月21日、シャバク民主党 (Shabak Democratic Party) の指導者、フナイン・カド (Hunain Qaddo) は、イラク領内の少数派をクルド化英語版やアラブ化から保護するために、ニーナワー平野の領域に新たな州を設けることを提案した[13]。同年12月20日、シャバク人代表10名は全員が一致して、モースルのシャバク人居住地区をクルド地方政府英語版の管轄に編入することに反対投票をした。多くのシャバクジンの村の議員たちは、クルド当局によって、クルドへの編入を求める請願に署名することを強要されたと述べた[14]2011年6月30日、ニーナワーの州議会は、政府職員に6,000区画の土地を配給した。シャバク顧問委員会 (the Shabak Advisory Board) の委員長サレム・フドル・アル=シャバキ (Salem Khudr al-Shabaki) によれば、これらの区画の大部分は恣意的にアラブ人に割り当てられたという[15]。シャバク人の政治家フナイン・アル=カド (Hunain al-Qaddo) は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対して、ペシュメルガはシャバク人コミュニティの保護を本気で考えてはおらず、クルド人保安部隊は、シャバク人を保護することよりも、彼らとその指導者たちを支配することに関心を寄せていると語っている[16]

信仰[編集]

シャバク人の大多数は自らをシーア派と自認しており、スンナ派を自認する者は少数である[3][17][18][19]。しかし、それにもかかわらず、シャバク人たちが実践している信仰や儀式はイスラム教とは異なるものであり、近隣のムスリムたちとは区別される特徴をもっている。その特徴の中には、キリスト教から持ち込まれた告解や、アルコールの摂取、またヤズィーディーの聖地への巡礼を行うことなどが含まれる[20]。他方でシャバク人たちは、ナジャフカルバラーなどシーア派の聖地へも巡礼し、シーア派の教えの多くを実践している[21]。実態としてのシャバク人たちの信仰は、イスラム教、キリスト教、ヤズィーディーの要素を組み込んだシンクレティズム(混合宗教)である。

シャバク人たちは、スーフィズムの要素を、彼ら独自の「神的現実」の解釈と結び付けている。シャバク人の述べるところでは、神的現実は、シャリーアとして示されるクルアーンの文章の解釈よりも進んだものとされる。シャバク人の霊的指導者は「ピルス (Pirs)」と呼ばれ、祈祷の文言や、この宗派の儀式に通じている。ピルスたちは、最高指導者バーバ (Baba) の指導の下にある[9]。ピルスは、神的な力と一般のシャバク人たちとの間の仲介者である。こうした信仰の混合的特徴は、ヤルサーン英語版の信仰とよく似ている[22]

シャバク人たちは、イスマーイール1世の詩を、神の啓示と見なしており、宗教的集会などにおいてイスマーイールの詩を暗唱する[22]

脚注[編集]

  1. ^ a b Kehl-Bodrogi, Krisztina; Kellner-Heinkele, Barbara; Otter-Beaujean, Anke (1997). Syncretistic Religious Communities in the Near East: Collected Papers of the International Symposium "Alevism in Turkey and Comparable Sycretistic Religious Communities in the Near East in the Past and Present" Berlin, 14-17 April 1995. BRILL. p. 159. ISBN 978-90-04-10861-5. https://books.google.com/books?id=TUhwyBmBnI4C&pg=PA159 2012年10月29日閲覧。 
  2. ^ a b Martin van Bruinessen (2000). Mullas, Sufis and Heretics: The Role of Religion in Kurdish Society : Collected Articles. Isis Press. p. 3000 
  3. ^ a b c Mina al-Lami (2014年8月21日). “Iraq: The Minorities of the Nineveh Plain”. 2014年10月9日閲覧。
  4. ^ “Part I: ISIS exploited the marginalized minority groups of Iraq”. Rudaw. (2017年4月27日). http://www.rudaw.net/english/kurdistan/260420172 2017年5月13日閲覧。 
  5. ^ C.J. Edmonds (1967年). “A Pilgrimage to Lalish”. p. 87 
  6. ^ a b Amal Vinogradov (1974). “Ethnicity, Cultural Discontinuity and Power Brokers in Northern Iraq: The Case of the Shabak”. American Ethnologist 1 (1): 207-218. 
  7. ^ “2,500 Shabak IDPs Return to Their Homes in Nineveh”. Basnews. (2017年1月2日). http://www.basnews.com/index.php/en/news/iraq/321964 2017年5月13日閲覧。 
  8. ^ Total population” (2013年10月29日). 2014年8月22日閲覧。
  9. ^ a b c d Dr. Michiel Leezenberg. “The Shabak and the Kakais”. 2014年11月2日閲覧。
  10. ^ Michiel Leezenberg, The Shabak and the Kakais: Dynamics of Ethnicity in Iraqi Kurdistan, Publications of Institute for Logic, Language & Computation (ILLC), University of Amsterdam, July 1994, p. 6.
  11. ^ Efforts to stop attacks on Shabak minority in Mosul” (2010年4月22日). 2014年10月14日閲覧。
  12. ^ Kurdistan”. rudaw.net. 2016年10月24日閲覧。
  13. ^ NINEWA: SHABAK PUSH FOR AN END TO KURD ENCROACHMENT” (2006年9月6日). 2014年10月14日閲覧。
  14. ^ NINEWA: SHABAK REJECT INCORPORATION INTO KRG” (2007年1月27日). 2014年10月14日閲覧。
  15. ^ Shabak official: Nineveh province is arabizing our areas” (2011年6月30日). 2014年10月14日閲覧。
  16. ^ On Vulnerable Ground”. Human Right Watch (2009年11月10日). 2017年11月10日閲覧。
  17. ^ Kamal, Adel (2008年6月10日). “The Shabak Search for Identity”. niqash. 2017年11月10日閲覧。
  18. ^ al-Lami, Mina (2014年7月21日). “Iraq: The minorities of Nineveh”. BBC. 2017年11月10日閲覧。
  19. ^ Hasan, Shafaq (2016年7月7日). “Iraq’s Religious, Ethnic Minorities Disappearing Due to ISIS Violence and Global Inaction”. NPQ: Nonprofiy Quarterly. 2017年11月10日閲覧。
  20. ^ Kjeilen, Tore. "Shabak / Religion - LookLex Encyclopaedia"
  21. ^ Imranali Panjwani. Shi'a of Samarra: The Heritage and Politics of a Community in Iraq. p. 172 
  22. ^ a b A. Vinogradov, Ethnicity, Cultural Discontinuity and Power Brokers in Northern Iraq: The Case of the Shabak, American Ethnologist, pp. 214-215, American Anthropological Association, 1974

関連文献[編集]

外部リンク[編集]

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