シャドウ・DN11

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
シャドウ・DN11
カテゴリー F1
コンストラクター シャドウ
デザイナー ジョン・ジェントリー
先代 シャドウ・DN9
後継 シャドウ・DN12
主要諸元
エンジン コスワースDFV 3.0リッター V型8気筒 NA
トランスミッション ヒューランド 5速 マニュアル
燃料 バルボリン
タイヤ グッドイヤー
主要成績
ドライバー スウェーデンの旗ステファン・ヨハンソン
イギリスの旗ジェフ・リース
アイルランドの旗デヴィッド・ケネディ
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
初戦 1980年アルゼンチングランプリ
最終戦 1980年モナコグランプリ
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
6 0 0 0
テンプレートを表示

シャドウ・DN11 (Shadow DN11) は、シャドウ・レーシング・カーズ1980年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。DN11は出走6戦の内1回だけ予選を通過したが、ポイントを獲得することはできなかった。

背景[編集]

1971年にドン・ニコルズによって創設されたシャドウは1973年にF1世界選手権に参戦した。参戦初年度、シャドウのマシンは何度か表彰台を獲得した。1977年にオーストリアグランプリでアラン・ジョーンズがチームに初の勝利をもたらした。シーズン終了後、トニー・サウスゲートを含む数名のスタッフとメインスポンサーが離脱し、アロウズを設立した。シャドウのドライバーは1978年シーズンは6回、1979年シーズンは4回予選落ちした。1979年シーズンはエリオ・デ・アンジェリスがアメリカグランプリで4位に入ったのが唯一のポイント獲得であった。

1980年、ドン・ニコルズは新型のDN11で失地回復を試みた。しかしながらマシンはデビュー間もなく戦闘力が不足していることが判明し、改良型を製作しなければならなくなった。だがチームはそれを完了させる前に破産の危機に瀕する。ニコルズは5月にイギリス人実業家のテディ・イップにチームを売却する。イップは自身のレーシングチームを所有し、同時にエンサインのスポンサーを務めていた。イップは6月にシャドウ・チームに加わり、自身のチームと統合、新たなチームはセオドール・レーシングの名でシャドウの器材を用いて1981年にF1に参戦した。

開発[編集]

DN11は、トニー・サウスゲートによって1978年に設計され、79年に改良されたDN9Bの代わりとして投入された。DN11の製作は非常に簡単に行われた[1]。チームは予算が無く、開発も殆ど行うことができなかった[2]

シャドウ・DN11はジョン・ジェントリーが設計した。ジェントリーはマシンの完成前、1979年末にチームを離脱し、仕上げなどの多くの細かな作業はリチャード・オーウェンとヴィック・モリスが引き継いだ。

リアサスペンションはDN9Bとよく似た構造であったが、フロントサスペンションは新たに設計された。ボディ形状も同様に再設計された。サイドポンツーンは長く、後方に向かって上昇ラインを描いていた。ラジエターはサイドポンツーンの前方に設置された。モノコックは低く直線的であった。マシンはエンジンカバー無しで製作された。DN11の一番の特徴は尖ったノーズコーンであった[3]。エンジンはコスワースDFV、8気筒を搭載した。ギアボックスはヒューランド製5速が採用された。

DN11は3台が製作された。最初の車、DN11/1は一度しか使用されなかった。

レース戦績[編集]

シャドウは1980年シーズン、アイルランド人ドライバーのデヴィッド・ケネディとスウェーデン人ドライバーのステファン・ヨハンソンを起用した。両名ともF1での経験は無く、シャドウでデビューを果たした。第3戦からヨハンソンに代わってジェフ・リースが起用された[4]

ヨハンソンは開幕戦から2戦連続で予選落ちした。後任のリースは予選を通過し、決勝は13位でフィニッシュした。続くアメリカでは予選落ちし、第5戦ベルギーで彼は新型のDN12を走らせた。

ケネディは開幕から6戦連続で予選落ちした。第7戦フランスから彼も新型のDN12を走らせた。

個々のシャシーは以下のように使用された:

グランプリ Shadow DN11/1 Shadow DN11/2 Shadow DN11/3
アルゼンチンの旗アルゼンチン デヴィッド・ケネディ ステファン・ヨハンソン
ブラジルの旗ブラジル デヴィッド・ケネディ ステファン・ヨハンソン
南アフリカの旗南アフリカ ジェフ・リース デヴィッド・ケネディ
アメリカ合衆国の旗アメリカ西 ジェフ・リース デヴィッド・ケネディ
ベルギーの旗ベルギー デヴィッド・ケネディ
モナコの旗モナコ デヴィッド・ケネディ

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション

チーム ドライバー No. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 ポイント 順位
ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
USW
アメリカ合衆国の旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
西ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
0 -
1980年 シャドウ
スウェーデンの旗ステファン・ヨハンソン 17 DNQ DNQ
イギリスの旗ジェフ・リース 13 DNQ
アイルランドの旗デヴィッド・ケネディ 18 DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ

参考文献[編集]

  • Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Autos, Strecken und Piloten. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
  • David Hodges: A – Z of Grand Prix Cars. Crowood Press, Marlborough 2001, ISBN 1-86126-339-2.(英語)
  • David Hodges: Rennwagen von A – Z nach 1945. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1994, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
  • Pierre Ménard u. a.: La Grande Encyclopédie de la Formule 1. 2. Auflage. Chronosports Editeur, St. Sulpice 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)

参照[編集]

  1. ^ Hodges: A - Z of Grand Prix Cars. 2001, S. 210.
  2. ^ Menard: La Grande Encyclopedie de la Formule 1. 2000, S. 502.
  3. ^ Zum Ganzen: Hodges: Rennwagen von A - Z nach 1945. 1994, S. 233.
  4. ^ リースは1978年にマリオ・デリオッティ・レーシングからデビューしたが、予選通過できなかった。1979年に彼はジャン=ピエール・ジャリエの代役としてティレルからドイツグランプリに出場、チームメイトのディディエ・ピローニを抑えて7位となった。

外部リンク[編集]