シドニー・ブレナー

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シドニー・ブレナー
Sydney Brenner
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シドニー・ブレナー(1965年, 右から二人目)
生誕 Sydney Brenner
(1927-01-13) 1927年1月13日(90歳)
南アフリカの旗 南アフリカ連邦 ハウテン州
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究分野 生物学
研究機関 ケンブリッジ大学
カリフォルニア大学バークレー校
ソーク研究所
MRC分子生物学研究所
出身校 オックスフォード大学
博士課程
指導教員
シリル・ヒンシュルウッド
主な受賞歴 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞(1971)
ロイヤル・メダル(1974)
ガードナー国際賞(1978)
コプリ・メダル(1991)
ノーベル生理学・医学賞(2002)
旭日大綬章(2017)
プロジェクト:人物伝
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2002年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:器官発生と、プログラムされた細胞死の遺伝制御に関する発見

シドニー・ブレナー (Sydney Brenner, 1927年1月13日 - )はイギリス人の生物学者。現在はアメリカで活動する。

線虫を用いたアポトーシス研究によりロバート・ホロビッツジョン・サルストンとともに2002年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

経歴[ソースを編集]

現在の南アフリカ共和国 ハウテン州ジャーミンストン生まれ。1960年代に登場した分子生物学の分野において、フランシス・クリックらとともに、翻訳における遺伝子暗号の解読をはじめとした独創的な貢献をした。

その後、MRC分子生物学研究所にて線虫 C. elegansモデル生物として用いた動物発生研究を樹立し、神経系形成などを解明した。C. elegans は 体長 1 mm ほどの小さな土壌動物で、透明な体に単純ながら一通りの多細胞体制をもち、発生生物学研究に適した生物であった。また飼育が容易であり、生活環が短く、遺伝学用いた研究手法も行いやすい。ブレナーはこの生物を用いてゲノムプロジェクトを立ち上げ、多細胞生物におけるゲノミクスの先駆けとなった。その後、トラフグゲノム解読も手がけた。

ブレナーは分子科学研究所を設立し、現在はソーク研究所とジャナリアファーム(HHMI)に所属している。また、独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構理事長も務めているが、海外でこの所属を用いることはなく、主要な所属ではない。1965年王立協会フェロー選出。

2004年2月衆議院沖縄・北方特別委員会において茂木敏充内閣府特命担当大臣(沖縄担当)が「(沖縄県恩納村に建設が予定されている)沖縄科学技術大学院大学の学長に内定している」と答弁していたが、ブレナー本人は辞退の意向を示した。

2017年4月29日付の春の叙勲で、「日本の科学技術研究教育の発展に寄与した」として旭日大綬章を受章した[1]

主な受賞歴[ソースを編集]

出典[ソースを編集]

  1. ^ 読売新聞 2017年4月29日 13面

外部リンク[ソースを編集]