シドニー・ダーリントン

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シドニー・ダーリントン(Sidney Darlington, 1906年7月18日 - 1997年10月31日)は、アメリカ合衆国電子工学者であり、1953年のダーリントントランジスタの発明で知られている。挿入損失合成法の開発してネットワーク理論の地位を向上させ、パルス圧縮、爆撃照準器、ロケットやミサイルの誘導方式の発明等も行った。

ダーリントンは1929年からベル研究所に勤務し、最初の上司はヘンドリク・ウェイド・ボードであり、1971年まで勤めた。

1945年、彼は第二次世界大戦での貢献に対して、アメリカ合衆国で最も名誉ある大統領自由勲章を受章した。電子ネットワーク、レーダー、誘導システム等への貢献の業績で全米技術アカデミーのメンバーにも選ばれた。1975年には「ネットワーク理論への基礎的な貢献とレーダー及び電子回路の重要な発明」に対してIEEEからエジソンメダルが贈られ、1981年には「チャープレーダーに繋がるフィルタリングと信号処理への基礎的な貢献から、IEEE栄誉賞が贈られた。

91歳の時に、ニューハンプシャー州エクセターの自宅で死去した。

特許[編集]

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