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シテール島の巡礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『シテール島の巡礼』
フランス語: Le Pèlerinage à l'île de Cythère
英語: The Embarkation for Cythera
作者アントワーヌ・ヴァトー
製作年1717年
素材キャンバス油彩
寸法129 cm × 194 cm (51 in × 76 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ
『シテール島への巡礼』
ドイツ語: Einschiffung nach Kythera
英語: The Embarkation for Cythera
作者アントワーヌ・ヴァトー
製作年1718-1719年ごろ
素材キャンバス油彩
寸法129 cm × 194 cm (51 in × 76 in)
所蔵シャルロッテンブルク宮殿ベルリン

シテール島の巡礼』 (シテールとうのじゅんれい、: Le Pèlerinage à l'île de Cythère)、または『シテール島への巡礼』 (シテールとうへのじゅんれい、: L'Embarquement pour Cythère: Einschiffung nach Kythera: The Embarkation for Cythera) は、フランスロココ期の画家アントワーヌ・ヴァトーが1717年に制作した油彩画である。この作品は同年、王立絵画彫刻アカデミーに受理されて以降ずっとルーヴル美術館に所蔵されている。また、ベルリンシャルロッテンブルク宮殿にも1718-19年頃に制作された類似した作品が所蔵されているが、この作品は1756年にプロイセンフリードリヒ2世に売却されたものである[1][注 1]。なお、ヴァトーは、ルーヴル美術館の作品に先立って、現在シュテーデル美術館 (フランクフルト) に所蔵されている『シテール島への巡礼』も描いている[5]

概要

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ヴァトー『シテール島への巡礼』 (1709-1710年ごろ)、シュテーデル美術館

王立絵画彫刻アカデミーは、1712年以来ヴァトーに対して正会員になるための「資格作品」の提出を求めていた。作品の主題は自由という当時としては例外的な好条件がついていたが、ヴァトーは正会員になる意欲がそれほどなかったのか作品の提出を引き伸ばしていた。1717年にアカデミーに提出されたルーヴルの作品は、アカデミーの議事録では当初『シテール島の巡礼』と題名がつけられたが、後に雅宴画英語版とされた。しかし、この題名はずっと知られず、ベルリンの作品を復刻したタルディウ(en:Nicolas-Henri Tardieu)の版画につけられた題名『シテール島への船出』がその後2世紀の間通用することとなった[1][注 2][注 3]

シテール島ギリシャの島で、古代のギリシャ神話では愛の女神ヴィーナス (アフロディーテ) が上陸したとされ、ヴィーナス崇拝の中心ともなっている。独身者が巡礼に行けば必ず良き伴侶が得られるという[7]愛と至福の島として古代以降人々の想像力を刺激し、画家たちの主題ともなってきた。ヴァトーもこの主題を選んで、アカデミー入会用の作品を描いたのである[8]

画面の右に、石柱の上にあるヴィーナス像があり、石柱の根元にはアモールの矢筒が置かれている。右端の2人はヴィーナス像の前に座って、愛の語らいにふけっている。その左にいる紳士は女性の手を取って立ち上がらせようとし、その左にいる2人は出発しようとしている。他の人々はすでに船の上に並び、アモールがその頭上を舞っている。ルーベンス風の牧歌的風景は、愛の巡礼たちの心中を表したものである[8]。以前一般的であった解釈では、本作の場所はシテール島ではなく、目的地であるシテール島は左の遠方に描かれているというものであった。しかし、1961年の美術史家マイケル・リヴィ英語版による論文以来、本作の場所はシテール島そのもので、人々は名残惜しい気持ちで、船に乗って家路につこうとしているところであるという解釈が認められている[1][2][3]

絵画にはもう一つの解釈があり、一組の男女の心理の推移と時間の流れを描いているというものである。すなわち、少しずつ醒めていく恋愛心理を描いたものという解釈である。確かに画面には、消えそうな、そこはかとない哀愁、夢か幻のような詩的な風情が感じられる[7]。とはいえ、このようなメランコリーな雰囲気はルーヴルの作品には明らかであるが、ベルリンの作品はより若さと喜びを表しているようである。実際、ベルリンの作品はルーヴルの作品のレプリカとはいえない。ヴァトーは、同じような作品を繰り返し描きたくなかったのかもしれない[1]

なお、ヴァトーは若くして結核にかかり、ずっと病身で、愛人がいたという記録もない[7]

脚注・出典

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注釈

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  1. ^ ヴァトーが友人ジャン・ド・ジュリエンヌ (fr:Jean de Jullienne) のために描いたとされ[2][3]、ジュリエンヌからフリードリヒ2世に売却[4]
  2. ^ "ルーブル版のタイトルは、最初の〈シテール島の巡礼〉から〈雅やかな宴〉、〈シテール島への船出〉、そして一部の研究者の間で再び〈シテール島の巡礼〉に戻されるという複雑な経緯を辿っている。……ルーブル版、ベルリン版の両作品を〈シテール島の巡礼〉と呼ぶ研究者も存在する"[6]
  3. ^ "ベルリン版の版画化された作品に付けられた〈シテール島への船出〉というタイトルがルーブル版の方にも適用された……1972年にローザンベール(en:Pierre Rosenberg)等によって編集された『ルーブル美術館の絵画,挿図付目録』の17-18世紀フランス絵画編では,ルーブル版について「シテール島の巡礼,通称シテール島への船出」と記されている"[3]

出典

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  1. ^ a b c d 『カンヴァス世界の大画家 18 ヴァトー』、1984年、88頁。
  2. ^ a b ヴァトーと「シテール島」 2004, p. 5.
  3. ^ a b c 〈喜びの島〉伝説の真偽 2007, p. 75.
  4. ^ シテール島への船出 サルヴァスタイル美術館。2024年9月19日閲覧
  5. ^ 『週刊西洋絵画の巨匠 45 ヴァトー』、2010年、26-27頁。
  6. ^ 〈喜びの島〉伝説の真偽 2007, p. 77.
  7. ^ a b c 『NHKルーブル美術館VI フランス芸術の華』、1985年、79頁。
  8. ^ a b 『ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて』、2011年、549頁。

参考文献

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外部リンク

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