シオニズム
ユダヤ人およびユダヤ教 |
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シオニズム(ヘブライ語: ציונות, Tsionot)、シオン運動、シオン主義は、イスラエルの地[注釈 1]に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動を興そうとするユダヤ人の近代的運動。後者の立場を「文化シオニズム」と呼ぶことがある。
シオニズムを掲げる・奉じる者を「シオニスト」と呼ぶ。
「シオン」とは聖書でエルサレムと同義として語られ、やがてイスラエルそのものを指すようになる[1]。
一方で、最も戒律を厳格に守るユダヤ教超正統派の多くは、イスラエルの建国の在り方やシオニズムを支持しておらず、「イスラエルをパレスチナへ返還すべきである」として反シオニズム活動を行っている[2][3]。
近年のイスラエルにおいては、ポスト・シオニズム(シオニズムは終焉しており、アラブ人やパレスチナとの友好を推進すべきという思想)に対抗すべく誕生したネオ・シオニズム(イスラエル人によるイスラム教徒や反ユダヤに対する報復や抑圧によって平和が到来するという思想)が政治的影響力を持つとされている[4][5]。
歴史[編集]
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シオニズムという呼称は、1890年代、オーストリアの同化ユダヤ人であるナータン・ビルンバウムにより考案された[6]。当時の19世紀末ヨーロッパでは反ユダヤ主義が吹き荒れていた。シオニズム運動の名前の由来は聖書のゼカリヤ書の言葉に由来する。
主はこう仰せられる。「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。」 — ゼカリヤ書 8章3節 、新改訳聖書
ドレフュス事件を取材していたオーストリア人記者テオドール・ヘルツルは、ユダヤ人自ら国家を建設し諸外国に承認させることを訴える。そして1897年バーゼルで第1回シオニスト会議[注釈 2]を主宰。後にヘルツルは建国の父といわれる。
1902年にはリトアニアのラビであるイツチャク・ヤコフ・ライネスの呼びかけにより、シオニズムはユダヤ教の教義であるとした宗教化シオニズムの組織であるミズラヒが結成された。ミズラヒという組織名は、イスラム圏に居住するユダヤ人を意味するミズラヒム(東)に由来している。ポーランドではラビのサイモン・フェダーブッシュが、イギリス委任統治領パレスチナではアブラハム・アイザック・クックが、アメリカ合衆国ではアメリカ宗教化シオニストがそれぞれ運動を拡大し、イギリスのユダヤ人慈善家であるナフム・ジーブ・ウィリアムズはイスラエル・ブリティッシュ銀行を設立してこれら運動を支援した。
1917年にイギリス外相が「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設とその支援」を約束したバルフォア宣言が出され、1922年に国際連盟はバルフォア宣言の条文を使った委任統治領パレスチナの決議案を採択した。1947年に国際連合によるパレスチナ分割決議を経て、1948年にイスラエルが建国され、ユダヤ国家が誕生した。
シオニズムの運動に全てのユダヤ人・ユダヤ教指導者が賛同したわけではなく、西欧社会で確固とした地位をえているユダヤ人[注釈 3]の中には関心を寄せない者もいた。また、伝統的なユダヤ教徒には、メシアによるイスラエルの再建というヤハウェの約束を信じてきた観点から、シオニズムをユダヤ教のメシア信仰に対する裏切りであるとみなし、反対する者が多かった。核心が政治的なもの、あるいは「民族的なもの」なのか[注釈 4]、宗教的なものなのか、様々な解釈の違いもある。
ヘブライ語の復興はシオニズム運動の大きな成果の一つといえる。イディッシュ語やドイツ語を公用語にしようとする計画もあったが、ホロコーストによってその望みは断たれた。
厳格なユダヤ教徒である歴史学者のヤコブ・ラプキンは、「寛大な古き良きユダヤ教徒の姿をシオニストは侮辱した」と批判している[7]。また、ラブキンは「シオニズムはユダヤ教の教義に反する」とも批判している[8]。
シオニズム指導者とアラブ民族指導者の言葉[編集]
「私はユダヤ教徒(ユダヤ人)であり、シオニストである。私にとってこの二つは切り離せない一つの拠り所である。またこれが、歴史的なユダヤ教の立場であるとも考えている」—ラビ・エマニュエル・ラックマン
「我々は、ユダヤ人が、ロシア・ドイツ・オーストリア・スペイン・アメリカなど外国から、パレスチナの地にたどり着くのを見てきた。深い判断力を持っているものならば、ユダヤ人の権利に目を閉ざすことはできない。我々は、あらゆる違っている点にもかかわらず、この土地が共に愛され、あがめられ、共通の祖国であり、同時に、この土地の本来の子らのものであることを知っている」
人物年譜[編集]
- ヤーコプ・バセヴィ Jakob Bassevi(1580 - 1634)
- ザームエル・オッペンハイマー Samuel Oppenheimer(1630 - 1703)
- ザムゾン・ヴェルトハイマー Samson Wertheimer(1658 - 1724)
- レーオポルト・ツンツ Leopold Zunz(1794 - 1886)
- ツヴィ・カリシャー(1795 - 1874);宗教シオニズム
- イェフダー・アルカライ Yehuda Alcalay(1798 - 1878)
- ルートヴィヒ・フォン・フランクル(1810 - 1894)
- モーゼス・ヘス(1812 - 1875)
- モーリツ・フォン・ヒルシュ Moritz von Hirsch(1831 - 1896)
- エドモン・ド・ロッチルド Edmond James de Rothschild(1845 - 1934)
- マックス・ノルダウ Max Nordau(1849 - 1923)
- アハド・ハアム Achad ha‘Am(1856 - 1927);精神的シオニズム
- ルイス・ブランダイス Louis Brandeis(1856 - 1941)
- エリエゼル・ベン・イェフダー(1858 - 1922)
- テオドール・ヘルツル Theodor Herzl(1860 - 1904);政治的シオニズム
- ヘンリエッタ・ソールド Henrietta Szold(1860 - 1945)
- イズレイル・ザングウィル Israel Zangwill(1864 - 1926)
- ナータン・ビルンバウム(1864 - 1937);政治シオニズムと文化シオニズムの融合
- アブラハム・クック Rabbi Abraham Issac ha-Kohen Kook (1865 - 1935);パレスチナ初代主席ラビ。宗教・世俗シオニズム
- マックス・ボーデンハイマー Max Bodenheimer(1865 - 1940)
- リヒャルト・ベーア=ホフマン Richard Beer-Hofmann(1866 - 1945)
- モルデカイ・エーレンプライス Mordecai Ehrenpreis(1869 - 1951)
- スティーヴン・サミュエル・ワイズ(1874 - 1949)
- ユダ・マグネス Judah Magnes(1877 - 1948)
- マルティン・ブーバー(1878 - 1965);文化シオニズム
- ヨセフ・トルンペルドール Joseph Trumpeldor(1880 - 1920)
- ヴラジミール・ジャボチンスキー Vladimir Jabotinsky(1880 - 1940)
- デビッド・ナイルズ David Niles(1888 - 1952);フランクリン・ルーズベルト・ハリー・S・トルーマン両人の政策顧問。
- ヨーゼフ・ロート(1894 - 1939)
- ナフーム・ゴルトマン Nahum Goldmann(1895 - 1982)
- ゲルショム・ショーレム Gershom Scholem(1897 - 1982)
- ピンカス・サピア Pinchas Sapir(1906 - 1975)
- アブラハム・ヨシュア・ヘシェル Abraham Joshua Heschel(1907 - 1972)
- ベンヤミン・ネタニヤフ Benjamin Netanyahu(1949 - )
イスラエル国内[編集]
中東現代政治を専門とする国際政治学者の立山良司の論文に拠れば、2018年時点でイスラエル政府調査上のイスラエル国内におけるユダヤ人全体では「自らをシオニストと思う」と答えているのは73%であり、24%はシオニストではないと答えている[9]。同論文では、イスラエルの現代正統派は24%、伝統派は14%、世俗派は24%、超正統派は63%が「自分はシオニストではない」と回答したとされる[9]。
中でも最も戒律を厳格に守る超正統派は反シオニズムとされ、日常生活を重んじる世俗派とはイスラエルでも対立している[10]。超正統派はイスラエル建国に関してモーセの十戒の第6・8戒「汝、殺すなかれ、盗むなかれ」に違反しているとし、「聖書の教えに反した行いは同胞といえど肯定できない」という認識を持つ。また、「メシア(救世主)が現れないと真のユダヤ国家は実現できない、しかし、まだメシアは現れていない、だから現在のイスラエル国家は偽物であり、認められない。」、「メシアが現れるまで建国は待つべきだ。」としている[11][12][13]。
脚注[編集]
註釈[編集]
- ^ 現在のパレスチナ
- ^ 米国の文豪マーク・トウェインは、1898年のハーパーズ・マガジンに「テオドール・ヘルツルの計画をお聞きになっただろうか。彼は世界中のユダヤ人をパレスチナに集め、彼ら自身の政府を立てるらしい。とはいっても、おそらくオスマン帝国の君主の管轄下になるだろう。昨年の第一回シオニスト会議には(中略)各地の代表が出席し、提案は圧倒的な指示を得て採択された。」と綴っている。
- ^ 特にディアスポラの傾向を示す改革派など。「西方ユダヤ人」とも呼ばれる
- ^ この場合、ユダヤ人を「民族」として定義する傾向が強まる
出典[編集]
- ^ ダニエル・コーディス 2018, p. 15.
- ^ (日本語) Rebel Rabbis: Anti-Zionist Jews Against Israel 2023年10月14日閲覧。
- ^ “Ultra-Orthodox & Anti-Zionist” (英語). My Jewish Learning. 2023年10月14日閲覧。
- ^ “Zionism? Post-Zionism? Just give arguments”. ハアレツ. (2007年12月20日) 2010年2月19日閲覧。
- ^ Morris, Benny, ed (2007). Making Israel. Ann Arbor, MI: University of Michigan Press. ISBN 978-0-472-11541-9
- ^ ヤコヴ・M・ラブキン著『イスラエルとは何か』平凡社新書、46頁
- ^ ムハンマド・ハーシム・カマリー(Mohammad Hashim Kamali)「イスラームとユダヤ教 ―法的・神学的視点から―」一神教学際研究 5,2010年2月
- ^ “A Threat from Within: A Century of Jewish Opposition to Zionism” (英語). fernwoodpublishing.ca. 2023年11月14日閲覧。
- ^ a b 「拡大するシオニズムの宗教的側面(2018)」- 防衛大学名誉教授立山良司 https://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2018-10_003.pdf?noprint
- ^ 貴生, 佐藤 (2022年11月1日). “「超正統派」に「世俗派」が反発 揺れるイスラエル”. 産経ニュース. 2023年10月14日閲覧。
- ^ “「パレード」から読み解くニューヨーク|橘宏樹 | 遅いインターネット”. 遅いインターネット BY PLANETS (2023年10月12日). 2023年10月16日閲覧。
- ^ (日本語) Rebel Rabbis: Anti-Zionist Jews Against Israel 2023年10月14日閲覧。
- ^ “Ultra-Orthodox & Anti-Zionist” (英語). My Jewish Learning. 2023年10月14日閲覧。
参考資料[編集]
- Arthur, Hertzberg (1997-01-01). The Zionist Idea: A Historical Analysis and Reader. Jewish Pubn Society. ISBN 978-0827606227
- アブラハム・J・ヘシェル『イスラエル 永遠のこだま』石谷尚子訳、ミルトス、1996年1月。ISBN 4-89586-127-9。
- ウリ・ラーナンほか『イスラエル現代史』滝川義人訳、明石書店〈世界歴史叢書〉、2004年3月。ISBN 4-7503-1862-0。
- テオドール・ヘルツル『ユダヤ人国家 ユダヤ人問題の現代的解決の試み』佐藤康彦訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス 330〉、1991年5月。ISBN 4-588-00330-5。
- モーリス・フリードマン『評伝マルティン・ブーバー 狭い尾根での出会い』 上・下、黒沼凱夫・河合一充訳、ミルトス、2000年12月。ISBN 4-89586-144-9 ISBN 4-89586-145-7。
- メイヤ・レヴィン『イスラエル建国物語』岳真也・武者圭子訳、ミルトス、1989年6月。ISBN 4-89586-106-6。
- メイヤ・レヴィン『イスラエル建国物語』岳真也・武者圭子訳、ミルトス、1994年10月。ISBN 4-89586-125-2。
- NHK総合テレビG『映像の世紀バタフライエフェクト』、「砂漠の英雄と百年の悲劇」(初回放送2022年6月22日)https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/6QMKZ59MM2/
- ダニエル・コーディス 著、神藤誉武 訳『イスラエル 民族復活の歴史』ミルトス、2018年4月19日(原著2016年10月18日)。ISBN 978-4-89586-162-5。