シェーンブルン宮殿

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座標: 北緯48度11分7秒 東経16度18分45秒 / 北緯48.18528度 東経16.31250度 / 48.18528; 16.31250

世界遺産 シェーンブルン宮殿と
庭園群
オーストリア
シェーンブルン宮殿
シェーンブルン宮殿
英名 Palace and Gardens of Schönbrunn
仏名 Palais et jardins de Schönbrunn
登録区分 文化遺産
登録基準 (1), (4)
登録年 1996年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
シェーンブルン宮殿の位置
使用方法表示

シェーンブルン宮殿(シェーンブルンきゅうでん、ドイツ語:Schloss Schönbrunn)は、オーストリアの首都ウィーンにある宮殿ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。

現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。

概要[編集]

神聖ローマ皇帝マティアス(在位:1612年 - 1619年)が狩猟時に美しいschönBrunn)を発見したためにシェーンブルンと命名したと伝えられている。シェーンブルン宮殿は、ウィーンの中心部シュテファン大聖堂から西に直線で約5kmの位置にある。市内からは地下鉄U4号線に乗りシェーンブルン駅下車。庭園は東西約1.2km、南北約1kmの規模で、1779年頃から公開されている。

建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場がある。また、広いフランス式庭園を挟んで宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテドイツ語版という対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為に立てたギリシャ建築の記念碑(未完成)があり、ここからは周囲が一望できる(写真はこの丘からの眺望)。オーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人。さらに公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると年間には670万人が訪れる。外壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にした、これをテレジア・イエローと云うが、彼女が好んでいた色というわけではない。

沿革[編集]

ローマ遺跡風に作られた建造物
宮殿内部
この時宮殿内で転んだモーツァルトをマリー・アントワネットが助け起こしたところ、モーツァルトが「僕と結婚して」とプロポーズした、という伝説がある。

世界遺産[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

シェーンブルン宮殿の日本庭園[編集]

修復された石庭

シェーンブルン宮殿には日本庭園がある。これは1913年に皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が日本訪問から帰国後、オーストリアの庭師たちが1913年のイギリスでの国際庭園展示会で日本庭園を見た感動をもとに、ジャポニズムの影響で造営させたものである[2]

オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後は、多くの庭師たちも世界大戦に参戦、戦死し、庭園は荒廃して、「アルプス風庭園」と呼ばれるようになった。1996年3月にペーター パンツァー、ユリア・クレイサ著『ウィーンの日本―欧州に根づく異文化の軌跡』(1990年、佐久間穆訳、サイマル出版会刊)に出ていた明治天皇が贈ったシーボルトの碑を見にここを訪れた日本人で、当時ウィーン在住の山田貴恵(日本ガルテン協会国際部長)は、蔦に覆われたアルペン庭園と呼ばれているところから、立石などを垣間見て日本庭園ではないかと指摘した[3]。その後、次女、山田からの連絡を受け、原田榮進夫妻が見にウィーンを訪れた。日本庭園学会員でもある原田榮進は、調査団を結成し、中村静夫(大妻女子大学)、仲隆裕(京都造形芸術大学)、戸田芳樹(戸田芳樹風景計画代表取締役)、小口基實(小口庭園グリーンエクステリア主宰)[4]らとともに現地で調査を行った。その結果、作庭された頃の写真や手水鉢と思われる石などが決め手となり、日本庭園ということが断定された。これを受けてオーストリア庭園局が、原田榮進に修復を依頼した。NPO日本ガルテン協会(会長:原田榮進)が設立され、調査、修復事業が行われた。特定非営利活動法人 日本ガルテン協会をこのプロジェクトをきっかけに設立して、NPO団体として認証を受けた。外務省、日本万国博覧会記念協会国際交流基金などの助成、支援を得て、日本の京都、大阪、長野、東京などからの庭師9組が参加してシェーンブルン宮殿内日本庭園の修復に加えて、日本の枯山水、茶庭の二つの庭園を両脇に作庭し、シェーンブルン宮殿日本庭園として開園式を行った。シェーンブルン宮殿日本庭園修復事業実行委員長は、鹿取泰衛で、1999年に行われた開園式には、高島有終大使、黒川剛元大使、矢田部厚彦元大使、青木秀西日本新聞社会長や佐久間穆朝日新聞社元ウィーン支局長、モルタラーオーストリア農業大臣、フィッシャー・コルブリーオーストリア庭園局長らなど両国から多くの出席を得て行なわれた。

修復に伴い当時の資料調査などを現地の山田を中心に行い、それをもとに、なぜハプスブルク帝国の離宮に誰が、いつ、どのようにして庭園を作ったのかを迫ったテレビ番組NHK地球に好奇心[5]で「よみがえった日本庭園の謎~ウィーン・シェーンブルン宮殿」や、さらに好評を得て、NHK地球に乾杯でもダイジェスト版が再編集され放送された。 シェーンブルン宮殿日本庭園の場所は、宮殿の正門ではなく、ヒーティング門<Hietzinger Tor>から入り真っ直ぐ行ったパルメンハウス(温室)と動物園の間となる。

見学[編集]

  • 見学できる場所は居室1,441室のうち40室である
    • 4月1日 から 6月30日 8:30-17:30
    • 7月1日 から 8月31日 8:30-18:30
    • 9月1日 から 10月31日 8:30-17:30
    • 11月1日 から 3月31日 8:30-17:00

庭園のツアーは時間があればロング・ツアー、なければショート・ツアーを勧めている。

建物の見学料金[編集]

  • インペリアル・ツアーは22室 音声ガイド付き 12.9ユーロ、子供(6-18歳)9.5ユーロ、学割(-25歳)11.9ユーロ
  • グランド・ツアーは40室 音声ガイド付き 15.9ユーロ、子供(6-18歳)10.5ユーロ、学割(-25歳)14.6ユーロ

尚、音声ガイドはトランシーバー型の端末で日本語でのガイダンスも聞ける。

  • クラシック・パス は40室に加え、庭園の施設に入ることができる 18.5ユーロ

他にも、ゴールド・パスやシシィ・パス、ファミリー・パス、シングル・パスなど種類がある。

利用[編集]

賃貸住宅になった宮殿[編集]

シェーンブルン宮殿は観光客に公開されている2階部分を除いた居室が、文化財管理公社によって賃貸住宅として一般に貸し出されており、住民がいる。これは1960年代にウィーンの住宅問題を解決するために考え出されたものである。居住者は建物の性質を変えない程度のリフォームは許されている。現在では居住に不便な部分も多数あるといわれ、ウイーン市民にとっての住宅物件としての人気は低い。官舎であるため、公務員であることが入居の条件であったが、1992年にその制限は撤廃された。2LDKで120m2、家賃は日本円で約4万円。

ホテル[編集]

2014年よりオーストリアのホテルグループが宮殿の一部を改装し、宿泊可能な施設とした[6]

脚注[編集]

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  1. ^ ダグラス・ボッティング著 西川治・前田伸人訳 『 フンボルト -地球学の開祖- 』 東洋書林 2008年 53ページ
  2. ^ アントン・ヘフカ(Anton HEFKA)が「庭園と庭の友」誌に石庭のことを記述。
  3. ^ 原田京子 「武義高等学校90周年記念「○△□の庭」の作庭」 <作庭1>シェーンブルン宮殿日本庭園の発見
  4. ^ ウィーン シェーンブルン宮殿内 日本庭園 発見・復元・作庭(小口庭園グリーンエクステリア(株))
  5. ^ 人と庭物語り会 ウィーンから「壁を越えて」~シェーブルン宮殿の日本庭園、 そして・・・/ 多胡吉郎
  6. ^ “ウィーンの宮殿が宿泊可能に、1泊10万円から”. ロイター (ロイター通信社). (2014年3月27日). http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYEA2Q04620140327?rpc=188 2014年3月31日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 「宮殿内に日本庭園 ウィーン 専門家が発見 造園1913年、江戸時代の様式」読売新聞夕刊 1997年6月6日11面  
  • 「修復へ85年目の懸け橋 ウィーンの離宮 ひょっこり日本庭園 シェーンブルン宮殿 技術・費用面で全面協力」朝日新聞 1997年11月21日3面
  • 「ウィーンがめでた日本庭園」原田榮進 日本経済新聞 1997年12月2日
  • 「日本庭園から「出会い」を」原田榮進 西日本新聞 2003年8月21日
  • 「シェーンブルン宮殿の日本庭園」高島有終(駐オーストリア大使)外交フォーラム 1999年2月
  • アントン・ヘフカ(Anton HEFKA)が「庭園と庭の友」誌に記述。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]