シアトル酋長
この項目「シアトル酋長」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:英語版 "Chief Seattle" 22:29, 13 January 2023(UTC)) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2025年11月) |


シアトル酋長(シアトルしゅうちょう、英語:Chief Seattle、ルシュツィード語IPA表記:siʔaɬ、1780年から1786年頃 - 1866年6月7日)は、アメリカ先住民スクワミシュ族及びデゥアミシュ族の酋長[1]。出身民族の中で主要人物となり、ドク・メイナードとの個人的関係を深め、白人入植者の要求を受け入れる方向性を探求した。アメリカ合衆国ワシントン州の都市シアトルは彼の名前にちなむ。生態系への責任やアメリカ先住民の地権への尊厳など広範囲に伝えられている彼の発言で著名である。
名前
[編集]「シアトル」という名前は彼の母語であるルシュツィード語で「(IPA表記で)siʔaɬ」[2]と言う発音である。アッパー・スカジット族の長老だったヴァイ・ヒルバート(Vi Hilbert)によると、伝統的には「siʔaƛ̕」と発音されていたとされる。1852年の洗礼後、洗礼名を得てノア・シアトル(Noah Seattle)[3]と言う名もあった。 英語では原音に忠実に「Si'ahl」、「Sealth」、「Seathl」、「See-ahth」と言う綴りも使用された(th音はルシュツィード語にはない)が、現在では「Seattle」が定着している。
経歴
[編集]母親はデゥアミシュ族で父親はスクワミシュ族だった[1][4]。シアトルはおよそ1780年から1786年の間に生まれた[5]。正確な生誕地には議論があるが、スクワミシュ族及び歴史家によるとブレーク島で生まれたとされる[5][4][6][7]。シアトル自身はブレーク島で生まれたと言っている[5]が、デゥアミシュ族によると現在のケントの辺りの母の出身の村で生まれたとされる[1][8] 。1792年、彼が6歳の頃にジョージ・バンクーバー率いるディスカバリー号とチャタム号に遭遇し、彼の父がバンクーバーの艦に招待された酋長のひとりだったかもしれないと言われている[3]。その後バンクーバー隊との交易が進み、彼は後にハドソン湾会社との交易でニスクァリー砦(Fort Nisqually)を訪問したことがあると回想している[3]。
脚注
[編集]- 1 2 3 “Chief Si'ahl and His Family”. Culture and History. Duwamish Tribe. 2009年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月24日閲覧。
- ↑ Bates, Dawn; Hess, Thom; Hilbert, Vi (1994). Lushootseed Dictionary. Seattle: University of Washington Press. pp. 203. ISBN 978-0-295-97323-4. OCLC 29877333
- 1 2 3 Watson, Greg Kenneth (2003年1月18日). “Chief Seattle (Seattle, Chief Noah [born Si?al 178?-1866)]”. HistoryLink. 2024年3月16日閲覧。
- 1 2 “Chief Seattle”. Suquamish Tribe. 2017年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月17日閲覧。Template:Self-published source
- 1 2 3 Buerge, David M.. “Chief Seattle and Chief Joseph: From Indians to Icons”. University of Washington. 2024年3月17日閲覧。
- ↑ Cummings 2020, p. 17-18.
- ↑ Waterman 2001, p. 133.
- ↑ Denny, Emily Inez (1899). Blazing the Way, or, True Stories, Songs, and Sketches of Puget Sound and Other Pioneers. Seattle: Rainier Printing Company (1909発行)