ザントフォールト
ザントフォールト Zandvoort | |||||
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![]() ザントフォールト市庁舎 | |||||
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位置 | |||||
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位置 | |||||
座標 : 北緯52度22分 東経4度32分 / 北緯52.367度 東経4.533度 | |||||
行政 | |||||
国 | ![]() | ||||
州 | 北ホラント州 | ||||
ザントフォールト | |||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 33.82 km2 | ||||
人口 | |||||
人口 | (2024現在) | ||||
市域 | 17,469人 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | UTC+1 (中央ヨーロッパ時間) | ||||
夏時間 | UTC+2 (中央ヨーロッパ夏時間) | ||||
市外局番 | 023 | ||||
公式ウェブサイト : http://www.zandvoort.nl/ |
ザントフォールト (オランダ語: Zandvoort、 uitspraak ) は、オランダの北ホラント州の市 (ヘメーンテ)。人口は17,469人(2024年11月22日)、面積33.82km²。主要産業は観光業で、リゾート地であるほか、フォーミュラ1世界選手権(F1)のオランダグランプリの開催サーキットであるザントフォールト・サーキットがあることでも知られる。
歴史
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ザントフォールトの地名は砂 (zand) と洗い越し(voorde) の組み合わせである。
ザントフォールトは1100年にはすでに知られており、Sandevoerdeと表記されていた。1722年まで、ブレデローデという領主の支配下であった。何世紀にもわたって、村は漁業で生計を立てていたが、イギリスの影響で海辺のリゾート地に変貌した。
1881年、ザントフォールト~ハールレムの路線が開通。その後世界で2番目の電気路面電車の路線が開通したが、すぐにより信頼性の高い馬車鉄道に改造された[1]。
週に一度、バーゼルから国際列車が到着し、多くの富裕層を乗せて運行した。その中にはオーストリア皇后エリーザベトがおり、彼女の訪問を記念して、2004年に胸像が作られた。
既存の駅が古い村から離れていたため、1889年にザントフォールト・ドルプ駅が開業、1908年には馬車鉄道が廃止。1935年には電化された。
その路線は廃止され、バスに置き換わったが、鉄道の開通により多くの観光客がこの地を訪れた。その反面、外国人の割合が増加し、ザントフォールト方言や文化は徐々に衰退していった。
世界大戦とその後
[編集]1930年代、ザントフォールトはオランダで最もオランダ国民社会主義運動 (NSB) の支持者の割合が高かった。第二次世界大戦でドイツ軍の侵略により被害を受け、1942年5月23日にはビーチへのアクセスが禁止された。海岸に近いすべての建物は、大西洋の壁の建設のために取り壊された。この地域にはまだ数十の掩体壕の跡が存在する。 1948年、戦時中に取り壊された家屋の瓦礫などが使われザントフォールト・サーキットが建設された。1952年からF1レースのオランダグランプリがここで開催されたが、騒音により1985年を最後に開催されなくなった[2]。しかし、2020年に35年ぶりの開催を発表。新型コロナウイルスの流行により延期されたが、2021年オランダグランプリが開催された[3]。
スポーツ
[編集]前述のように、ザントフォールト・サーキットでオランダグランプリが開催されるほか、サーキットをルートの一部としたザントフォールト・サーキット・ランが開催される[4]。
その他サッカー、テニス、ホッケーなどのプロチームがある。
脚注
[編集]- ^ “Home”. www.oudzandvoort.nl. 2025年4月20日閲覧。
- ^ AT&A (2024年11月12日). “ザントフォールト・サーキット | F1レース競技場ガイド | Formula1-Data”. Formula1-Data / F1情報・ニュース速報解説. 2025年4月20日閲覧。
- ^ “F1オランダGP、2021年は開催へ。主催者が収容率3分の2での実施を発表”. autosport web (2021年8月14日). 2025年4月20日閲覧。
- ^ “Zandvoort Circuit Run – Zandvoort Circuit Run”. www.zandvoortcircuitrun.nl. 2025年4月20日閲覧。