ザンクト・フィート

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ザンクト・フィート
Sankt-vith
ザンクト・フィートの位置(ベルギー内)
ザンクト・フィート
座標: 北緯50度16分0秒 東経6度7分0秒 / 北緯50.26667度 東経6.11667度 / 50.26667; 6.11667
ベルギーの旗 ベルギー
地域 ワロン地域
言語共同体 ドイツ語共同体
リエージュ州
行政区 ヴェルヴィエ行政区
行政
 - 市長 Christian Krings
面積
 - 計 146.93km2 (56.7mi2)
人口 (2008年1月1日)
 - 計 9,242人
 - 人口密度 63人/km² (163.2人/mi²)
市外局番 080
ウェブサイト www.st.vith.be

ザンクト・フィートドイツ語:Sankt Vith、フランス語:Saint-Vith、ルクセンブルク語:Sankt Väit)は、ベルギーリエージュ州に属する基礎自治体

Alfersteg、Amelscheid、Andler、Atzerath、Breitfeld、Crombach、Eiterbach、Galhausen、Heuem、 Hinderhausen、Hunnange (Hünningen)、Lommersweiler、Neidingen、Neubrück、Neundorf、Niederemmels、Oberemmels、Recht、Rödgen、 Rodt、Schlierbach、Schoenberg (Schönberg)、Setz、Steinebrück、Wallerode、Weppelerの各町から構成されている。

公用語はドイツ語で、ドイツ語共同体に属する9つの基礎自治体の1つである。

地理[編集]

ザンクト・フィート

アルデンヌ高原アイフェル高原de:Eifel)の交差する地点に位置する。

日本における地名の表記について[編集]

当地はベルギーのドイツ語公用圏であり、公用読みの発音をカタカナ表記した場合、最も近いものは「ザンクト・フィート」となるが、日本ではフランス語表記に基づいて「サン・ヴィット」(もしくは「サン・ヴィト」等)と表記されていることがある。

日本語で記述されている第2次世界大戦を扱った戦史のうち、特に西暦2000年代以前のものではこの「サン・ヴィット」で表記されていることが多い。

歴史[編集]

12世紀以来の重要な市場町で、1350年には自治体として特権を授かった。1815年からプロイセン王国ラインラント州に属した。1917年にはリブラモン=バストーニュ=グヴィ線鉄道が敷かれ、重要な鉄道分岐点の地となった。

第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約により、ザンクト・フィートはオイペンマルメディとともにベルギー王国へ併合された。

イギリス空軍の爆撃機による攻撃を受けるザンクト・フィート
(1944年12月26日の撮影)

1940年5月10日、ザンクト・フィートを含むベルギー東部は侵攻してきたドイツ軍に占領され、ドイツ国のオストカントネ(Ostkantone)地方として併合された。1944年12月16日に始まったドイツ軍の冬季攻勢である「ラインの守り」作戦(「バルジの戦い」の呼称で知られる)においてザンクト・フィートは重要な作戦目標となり、連合軍とドイツ軍との間で当地を巡って激しい戦闘が行われた。地上戦の他、市街は爆撃を受け、90%以上の建物が破壊されるか甚大な損傷を受け、廃墟と化した。戦災からの復興には1960年代までかかった。

現在は商業、観光、木材加工業が主産業となっている。

交通[編集]

  • 道路 - A27のほか、N62、N626、N646、N659、N670、N675、N695

第二次世界大戦後にザンクト・フィートを通る鉄道路線は廃止された。現在、ワロン地域交通公社(fr)運営の、ザンクト・フィート=オイペン間のバス路線がある。

姉妹都市[編集]