ザコパネ

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ザコパネ
Zakopane
ザコパネの夜景
ザコパネの夜景
ザコパネZakopaneの市章
位置
ポーランドにおける位置の位置図
ポーランドにおける位置
座標 : 北緯49度18分 東経19度58分 / 北緯49.300度 東経19.967度 / 49.300; 19.967
歴史
成立日 1578年
市長 Janusz Majcher
地理
面積  
  域 84,26 km2 (32 mi2)
標高 750m - 2,301 m
人口
人口 (2010現在)
  域 27,481人
    人口密度   315人/km2
その他
等時帯 CET (UTC+1)
夏時間 CEST (UTC+2)
郵便番号 34-500 〜 34-504
市外局番 (+48) 18
ナンバープレート KTT
公式ウェブサイト : http://www.zakopane.pl/

ザコパネポーランド語Zakopane)はポーランドの都市。マウォポルスカ県に属する。ポーランド屈指の避暑地、保養地であり、ウィンター・スポーツも盛んである。人口は約2万7千人(2005年)。

地勢・産業[編集]

タトラ山脈

タトラ山脈の山麓に位置しており、ポーランド屈指の避暑地、保養地として知られる。近隣の都市としては、約85キロ北のクラクフが挙げられ、鉄道とバス路線で結ばれている。タトリ山脈の南麓はスロヴァキア領となっている。

歴史[編集]

カロル・シマノフスキの別荘
ヴィトキエヴィッチの墓

小さな山間の集落であったが、19世紀末になると、鉄道網の整備や庶民に旅行を楽しむ習慣ができたことで、ザコパネの開発が進むことになった。この頃、初のホテルも建てられている。20世紀になると、ポーランドの建築家、芸術家らの注目を集め、この地で活動を行う者が増えた。現在は、ポーランド有数のリゾート地へと成長を遂げている。

文化[編集]

ザコパネは、多くの芸術家を魅了した。1907年にザコパネに居を移した音楽家ミェチスワフ・カルウォーヴィチは、この地で多くの作品を作り上げた。音楽家カロル・シマノフスキも、この地の民族音楽に関心を抱き、一時この街にとどまった。

社会主義運動にも関わった詩人ヤン・カスプローヴィチも、ザコパネの山岳民の生活に共感を抱いた人物である。その晩年はザコパネで生活し、この地で没した。建築では、スタニスワフ・ヴィトキエヴィッチが、いわゆるザコパネ・スタイルと称される木造建築様式を創始している。息子のヴィトカツィは画家として活躍した。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した民族運動家、文化人類学者であるブロニスワフ・ピウスツキ(ポーランドの民族的英雄ユゼフ・ピウスツキの兄)は、ロシア皇帝暗殺計画の容疑で逮捕され、樺太へ流刑となった。この際に樺太などの極東地域に関心を抱き、再度樺太に渡り樺太アイヌの言語研究を行った。1980年代になって、その際の蝋管レコードがザコパネで保存されているのが発見されており、アイヌ研究に大きな寄与をもたらした。

オスツィーペックと称されるスモークチーズがザコパネの名産品である。動物や樽の形をしており、形状を眺めるだけでも楽しめる。ただし味はかなり特徴的。

スポーツ[編集]

競技会場

ポーランドにおけるウィンター・スポーツの中心地である。1929年1939年1962年と3度ノルディックスキー世界選手権の開催地となっており、1993年2001年と2度にわたってユニバーシアード冬季大会の開催地にもなっている。冬場には多くの観光客が訪れ、スキーなどを楽しむ。

交通[編集]

ポーランド国鉄のザコパネ駅があり、クラクフと結ばれている。ただし、ポーランドの列車は総じて所要時間が長く、最長で4時間以上かかる。バス路線でもクラクフとザコパネが結ばれており、所要時間はその半分程度。本数、所要時間ともにバスの方が合理的。

観光[編集]

タトラ博物館の内部
クルプフキ通り(中心街)
  • タトラ博物館
ザコパネ最古の博物館。民族衣装やタトリ山脈の自然について展示がある。
  • 旧木造教会
ザコパネ様式の教会。
  • ザコパネ・スタイル博物館(ヴィラ・コリバ)
  • クルプフキ通り
ザコパネのメインストリート。
  • グバウフカ山、大カスプロヴィ山
ケーブルカーが運行している。

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]