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サーターラー包囲戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サーターラー包囲戦
Siege of Satara
デカン戦争

サーターラーを攻撃するアウラングゼーブ
1699年12月8日 - 1700年4月21日
場所インドサーターラー
結果 ムガル帝国の勝利
衝突した勢力
ムガル帝国 マラーター王国
指揮官
アウラングゼーブ
シカンダル・アーディル・シャー
ラージャーラーム
戦力
不明 不明

サーターラー包囲戦(サーターラーほういせん、英語:Siege of Satara)は、1699年12月8日から1700年4月21日にかけてインドサーターラーにおいて、ムガル帝国マラーター王国との間に行われた戦い。

戦闘に至る経緯と包囲戦

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1698年1月ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブは8年にわたる戦いの末にマラーター王国シェンジを落とした(シェンジ包囲戦)。だが、難を逃れたマラーター王ラージャーラームサーターラーに逃げ、この地を王都とした。

そのため、アウラングゼーブはサーターラーへ軍勢を進め、1699年12月8日にサーターラーを包囲した[1]。とはいえ、ラージャーラームはシンハガドへ逃げいていた。

1707年3月3日、ラージャーラームがシンハガドで死亡した。後を継いだのは幼少の息子シヴァージー2世であった。

また、同年4月13日にこの包囲戦に参加していた元ビジャープル王国の君主シカンダル・アーディル・シャーが帝国の陣営で死亡している[2]

4月21日、サーターラーはムガル帝国の攻撃の前に陥落した[1]

出典・脚注

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関連項目

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