サン=シール=レコール

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Saint-Cyr-l'École
Blason Saint-Cyr-l'École01.svg
Saint-Cyr-l'École Mairie.JPG
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) イヴリーヌ県
(arrondissement) ヴェルサイユ郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 78545
郵便番号 78210
市長任期 ベルナール・ドゥバン 
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Seine Mauldre
人口動態
人口 17 401人
2010年
人口密度 3 473人/km2
住民の呼称 Saint-Cyriens
地理
座標 北緯48度48分03秒 東経2度03分48秒 / 北緯48.80083度 東経2.0633度 / 48.80083; 2.0633座標: 北緯48度48分03秒 東経2度03分48秒 / 北緯48.80083度 東経2.0633度 / 48.80083; 2.0633
標高 最低:99 m
最高:174 m
面積 5.01km2
Saint-Cyr-l'Écoleの位置(フランス内)
Saint-Cyr-l'École
Saint-Cyr-l'École
公式サイト Saint-Cyr-l'École, site officiel
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地図

サン=シール=レコール (Saint-Cyr-l'École)は、フランスイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県コミューン

地理[編集]

サン=シールはヴェルサイユの西およそ4km、パリの南西24kmの位置にあり、ヴェルサイユ、ギュイヤンクールモンティニー=ル=ブルトンヌー、ボワ=ダルシー、フォントネー=ル=フルーリーと接している。

コミューン全体が広大なヴェルサイユ平野の中に含まれ、北部のガリイ川に囲まれるところでは標高が115mとなり、徐々に南へ向かって市街地が広がり、台地上を標高が170mまで上昇していく。コミューンの西側ではA12と接し、東側はグランド・サンチュール(現在廃線)と呼ばれるヴェルサイユ-サン=ジェルマン=アン=レー間の路線が通り、北西部をアヴル水道橋が交差する。

コミューンの北部の都市化が遅れており、フランス最古の民営飛行場の1つでもあるサン=シール=レコール飛行場がある。南西は標高175mのガゼの森があり、ハイキング・コースとなっている。

交通[編集]

由来[編集]

サン=シルとは、4世紀にキリスト教徒迫害で殉教したタルススの聖クリオス(Cyr de Tarse)にちなむものである。

歴史[編集]

陸軍士官学校のリセ

1717年6月11日、ロシア皇帝ピョートル1世がサン=シルを訪問した。

1686年、マントノン侯爵夫人によって、貴族の少女たち250人を教育する学校メゾン・ロワイヤル・ド・サン=ルイ(fr)が創設された。1808年より、メゾン・ロワイヤル・ド・サン=ルイの建物がサン=シール陸軍士官学校に転用された。陸軍士官学校は1802年にナポレオン・ボナパルトによってフォンテーヌブローで創設されていたが、サン=シールに移転し1940年まで存続した。サン=シールの建物は1944年の連合国側による爆撃で損傷し、陸軍士官学校も1945年に再編された。しかし陸軍士官学校はモルビアン県のコエキダンに移転した。これらの建物は1964年に再建され、現在は陸軍士官学校のリセが使用しており、ColdoまたはVieux bahutの愛称で呼ばれている。1966年から1984年までは最初のコレージュも入っていた。

フランス革命時代、コミューンの名称は一時的にリーブルヴァル(Libreval)、そしてヴァル=リーブル(Val-Libre)と改名させられていた。

1874年3月27日、まちを防衛するためのサン=シール要塞建設の法令が公布された。サン=シールの名がつけられながら、実際の所在地は隣接するボワ=ダルシーにあった。2つのコミューンの境界が変更されたため、現在要塞はモンティニー=ル=ブルトンヌーの領域内にある。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
9309 16001 16537 14996 14829 14566 15778

参照元:1962年までEHESS[1]、1968年以降INSEE[2][3]

経済[編集]

サン=シールには、フランス国立工芸院に属する空気力学研究所(fr)がある。研究所には空力研究のための特別のトンネルがあり、多くの公営企業と提携して作品を作っている。

文化[編集]

コミューン付属のサン=シーリエンヌ(Saint-Cyrienne)楽団があり、まちの公式行事において年間20回ほど演奏を行っている。楽団は1877年にかつて軍所属の音楽家だった労働者たちによって結成された。第一次世界大戦においては30人の楽団員の一部が命を落とし、第二次世界大戦下では活動を禁止された。楽団は1944年にユニオン・ミュジカル・ラ・サン=シーリエンヌ(Union musicale La Saint-Cyrienne)の名称で復活した。現在は80人のメンバーで構成されている。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]