サンドウィッチ伯爵

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サンドウィッチ伯爵
Earl of Sandwich
Coronet of a British Earl.svg
Earl of Sandwich COA.svg

紋章記述

Quarterly, first and fourth, Argent, three lozenges conjoined in fess Gules, within a border Sable; for Montagu. Second and third, Or, an eagle displayed Vert, beaked and membered Gules; for Monthermer.

創設時期 1660年7月12日
創設者 チャールズ2世
貴族 イングランド貴族
初代 エドワード・モンタギュー
現所有者 ジョン・モンタギュー英語版(11代伯)
相続人 ルーク・モンタギュー(ヒンチンブルック子爵)
付随称号 ヒンチンブルック子爵
セント・ニーアッツのモンタギュー男爵
邸宅 マッパートン・ハウス英語版
旧邸宅 ヒンチンブルック・ハウス英語版
紋章標語 Post tot naufragia portum[1]

サンドウィッチ伯爵: Earl of Sandwich)は、イングランド貴族伯爵位。爵位名はケント州サンドウィッチに由来する。1660年にサー・エドワード・モンタギューが受爵されたことに始まる。

歴史[編集]

初代サンドウィッチ伯エドワード・モンタギュー(サー・ピーター・レリー画、1666年

初代伯エドワード・モンタギュー(1625年-1672年)は、初代ボウトンの初代モンタギュー男爵英語版エドワード・モンタギュー英語版モンタギュー公爵家英語版の祖)や初代マンチェスター伯爵ヘンリー・モンタギュー英語版マンチェスター公爵家の祖)らの末弟にあたるサー・シドニー・モンタギュー英語版の息子であり、したがってモンタギュー家の分流にあたる[2][3]

当初彼は陸軍の歩兵士官であったが、清教徒革命の際に議会派に属したことから第一次英蘭戦争では海軍の新設称号であるジェネラル・アット・シー(General at Sea)[Note 1]としてイングランド共和国艦隊を指揮した。王政復古の際は地方に隠遁していたが、先任のジェネラル・アット・シーであったスコットランド駐留軍司令官のジョージ・マンクに従って王党派に転じ、艦隊を率いてチャールズ2世を出迎えた。その功により[4]1660年7月12日にイングランド貴族爵位サンドウィッチ伯爵(Earl of Sandwich)ヒンチンブルック子爵(Viscount Hinchingbrooke)ハンティンドン州におけるセント・ニーアッツのモンタギュー男爵(Baron Montagu, of St Neots in the County of Huntingdon)に叙せられた[2][3]。その後、第二次英蘭戦争でも艦隊を率いたが、公費乱用の疑惑から議会の圧力で転任させられた。第三次英蘭戦争では再び艦隊の指揮を執ったが、ソールベイの海戦に於いて戦死した[4]

初代伯の息子である2代伯エドワード・モンタギュー英語版(1644年-1689年)は、ドーバー選出の庶民院議員、在ポルトガルイギリス大使、ハンティンドンシャーやケンブリッジシャー統監Lord Lieutenant; 知事)を務めた[2][5]。彼が没すると息子のエドワード・モンタギュー英語版(1670年-1729年)が3代伯となった。

第4代サンドウィッチ伯ジョン・モンタギュートマス・ゲインズバラ画、1783年)

3代伯は息子よりも長生きしたため、3代伯の死後は孫にあたるジョン・モンタギュー(1718年-1792年)が4代伯となった。4代伯は著名な政治家で、海軍卿First Lord of the Admiralty)や北部担当国務大臣Secretary of State for the Northern Department)を務めた[2][6]。彼はジェームズ・クックの探検航海を支援したことでも知られ、ハワイ諸島の旧名「サンドウィッチ諸島」や南大西洋サウスサンドウィッチ諸島は彼を記念して名付けられたものである。また賭博を中断することなく食べられる食事としてサンドイッチを考案した人物とされている[4]

4代伯の息子である5代伯ジョン・モンタギュー英語版(1744年-1814年)は、ブラックレイハンティンドンシャー選出の庶民院議員、王室副侍従長Vice-Chamberlain of the Household)、バックハウンド管理長官(Master of the Buckhounds)を務めた[2][7]

その息子である6代伯ジョージ・ジョン・モンタギュー英語版(1773年-1818年)は、トーリー党所属のハンティンドンシャー選出庶民院議員を務めた[2][8]

その息子である7代伯ジョン・ウィリアム・モンタギュー英語版(1811年-1884年)は、ハンティンドンシャー選出庶民院議員のほか、保守党の第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー第1次内閣ジェントルマン・アット・アームスの隊長(Captain of the Honourable Corps of Gentlemen-at-Arms)として、第2次内閣でバックハウンド管理長官(Master of the Buckhounds)として公職にあり、加えてハンティンドンシャー統監でもあった[2][9]

その息子である8代伯エドワード・ジョージ・ヘンリー・モンタギュー英語版(1839年-1916年)は、ハンティンドン選出の保守党所属庶民院議員やハンティンドンシャー統監を務めた。彼は生涯未婚で子がなかったため、弟のヴィクター・アレグザンダー・モンタギュー海軍少将の息子であるジョージ・チャールズ・モンタギュー英語版(1874年-1962年)が9代伯となった。9代伯も先祖と同様ハンティンドン選出庶民院議員やハンティンドンシャー統監を務めた[2][10]

9代伯の長男(アレグザンダー)・ヴィクター・エドワード・ポーレット・モンタギュー英語版(1906年-1995年)は、襲爵前の1941年から1962年まで南ドーセット選出の保守党庶民院議員を務めていた。父が死去すると、襲爵して貴族院議員に転じた。彼は1964年7月24日に爵位を一代放棄したが、庶民院に戻ることはなかった[2][11]

現在伯位を保持しているのは10代伯の長男で11代伯爵のジョン・エドワード・ホリスター・モンタギュー英語版(1943年-)である。1995年から襲爵している[2][12]。彼は1999年の貴族院法成立後も議席を保つ90人の世襲貴族院議員の一人で、会派は中立派(Crossbencher)に属する。「アール・オブ・サンドウィッチ」というサンドイッチ店の1号店を2004年3月19日ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートディズニー・スプリングスに開業している。その後、プラネット・ハリウッドの創業者であるRobert Earl英語版が出資し、アメリカにチェーン店を展開する他、ロンドンやディズニーランド・パリにも出店している。

邸宅[編集]

サンドウィッチ伯爵家の邸宅はドーセット州のマッパートン・ハウス英語版である。また17世紀から1960年代まではハンティンドンシャーヒンチンブルック・ハウス英語版も所有していた。従属称号のヒンチンブルック子爵はこれに由来する。伯爵家のいくつかの歴史的文書とヒンチンブルックの財産は、ハンティンドンの公文書館であるCambridgeshire Archives and Local Studiesが所持している。

現当主の保有爵位[編集]

現当主ジョン・モンタギュー英語版は以下の爵位を保有している[2][12]

  • 第11代サンドウィッチ伯爵 (11th Earl of Sandwich)
    (1660年7月12日勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • 第11代ヒンチンブルック子爵 (11th Viscount Hinchingbrooke)
    (1660年7月12日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • ハンティンドン州におけるセント・ニーアッツの第11代モンタギュー男爵 (11th Baron Montagu of St Neots in the County of Huntingdon)
    (1660年7月12日の勅許状によるイングランド貴族爵位)

サンドウィッチ伯爵(1660年)[編集]

家系図[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 革命の際、議会派に積極的に加わった提督が殆ど居らず、イングランド共和国では海軍を指揮する人材が不足したため、議会派の大佐クラスの陸軍軍人をジェネラル・アット・シーに任命し、艦隊の指揮をさせた。この制度は王政復古後も暫く続いた。

出典[編集]

  1. ^ De la Motte, Philip (1804) (英語). The Principal, Historical, and Allusive Arms, Borne by Families of the United Kingdom of Great Britain and Ireland, with Their Respective Authorities. J. Nichols and Son, and sold by F. and C. Rivington. p. 152. https://books.google.com/books?id=cD0RAQAAIAAJ&pg=PA152 2016年11月13日閲覧。. 
  2. ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Sandwich, Earl of (E, 1660)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年12月9日閲覧。
  3. ^ a b Lundy, Darryl. “Edward Montagu, 1st Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  4. ^ a b c 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 665.
  5. ^ Lundy, Darryl. “Edward Montagu, 2nd Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “John Montagu, 4th Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “John Montagu, 5th Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “George John Montagu, 6th Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “John William Montagu, 7th Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “George Charles Montagu, 9th Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  11. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Victor Edward Paulet Montagu, 10th Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  12. ^ a b Lundy, Darryl. “John Edward Hollister Montagu, 11th Earl of Sandwich” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]