サンディ・ショー

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1967年撮影

サンディ・ショー(Sandie Shaw MBE、出生名:Sandra Ann Goodrich、1947年2月26日 - )は、イングランドの歌手である。エセックス州ダゲナム生まれ。

“裸足の女王”として人気を博したスウィンギング・ロンドン時代の歌姫。誕生名「Sandra Ann Goodrich」で女性ポップシンガーとして活動。デビュー以降英国、フランスなど欧州各国及びカナダ、オーストラリアなどでも人気を博し、1967年の『Puppet On A String/パリのあやつり人形』は、ユーロヴィジョン・ソング・コンテストの優勝曲となる。

1964年、パイレコードと契約してシングル『As Long As You're Happy Baby』でデビュー。同曲は不発に終わるが2曲目『(There's) Always Something There To Remind Me/恋のウェイト・リフティング』が米国52位、英国1位を記録。1967年のユーロヴィジョン・コンテストで優勝。

以降1964年から1994年にかけて通算で米国で3曲、英国で22曲がチャートイン。英国では8曲(1位3曲)がトップ10ヒットを記録するなど、1960年代後半の英国を代表する女性ポップシンガーとして成功を収める。1970年代以降は子育てに専念し、表立った活動はあまりなくなったが1980年代からはアルバムもリリースした。

17歳のファースト・アルバムは、全英チャート第3位を記録した彼女の代表作。ボーナス・トラックには、全英ナンバーワン「恋のウェイト・リフティング」ほかの傑作シングルを収録。デビューアルバムと2枚目のアルバム現在はデジタルリマスター盤となっている。

作詞・作曲家の「Chris Andrews」は英国でのトップ10ヒット中5曲を提供。

人物[編集]

学校卒業後、地元の自動車会社のオペレーターとして働きつつ、歌手になることを夢見ていた。1964年、17歳の時にアダム・フェイスのコンサート後に行われたオーディションで合格。歌手への道が本格的に開かれた。そしてアダム・フェイスのマネージャー、イヴ・テイラーと契約するが、彼女に"サンディ・ショウ"という芸名を与え、裸足で歌うよう指示したのも彼であった。

同年7月、クリス・アンドリュース作のシングル『As Long As You're Happy Baby』でデビュー。チャート入りを逃すが、9月リリースのセカンド・シングル『恋のウェイト・リフティング英語版』(作詞ハル・デヴィッド、作曲バート・バカラック。ルー・ジョンソンのカバー)がイギリスでNo.1に輝き、一気にスターへの仲間入りを果たす。その後も11月リリースのサード・シングル『I'd Be Far Better Off Without You』のB面曲『ガール・ドント・カム英語版』(全英3位)、1965年2月リリースのシングル『恋はノーストップ英語版』(全英4位)、5月リリースの『ロング・リヴ・ラヴ英語版』(全英1位)、9月リリースの『Message Understood』(全英6位)、1966年1月リリースの『明日はお別れ英語版』(全英9位)とクリス・アンドリュース提供楽曲でヒットを連発。

しかし8月リリースのシングル2枚『Run』(全英32位)と『Think Sometimes About Me』が全英トップ30入りを逃したこともあり、彼の楽曲をしばらく取り上げなくなる。そしてポール・ヴァンス&リー・ポックリスを起用した1967年1月リリースのシングル『I Don't Need Anything』(全英50位)もあまりヒットしなかったが、3月リリースのビル・マーティン&フィル・コウルター作のシングル『パリのあやつり人形英語版』でヨーロッパ最大の音楽コンテスト"ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト"(他にもジリオラ・チンクェッティやフランス・ギャル、ヴィッキー・レアンドロス等も優勝した由緒あるコンテスト)に出場して見事優勝。イギリスのチャートでも久々にNo.1を獲得する。その"ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト"優勝もあり、その後も7月リリースした同じくビル・マーティン&フィル・コウルター作の『Tonight In Tokyo』(全英21位)、9月にリリースしたクリス・アンドリュース作の『You've Not Changed』(全英18位)、1968年2月にリリースした同じくクリス・アンドリュース作の『Today』(全英27位)といったシングルもヒットとなった。

その後彼女は結婚しますが、その後4月と6月にリリースしたクリス・アンドリュース作の『Don't Run Away』と『Show Me』、8月にリリースしたハリー・ニルソン作の『Together』、9月にリリースされたジーン・ラスキン作でメリー・ホプキンのデビュー・シングルと競作となった『Those Were the Days(悲しき天使)』といったシングルはチャート入りを逃す。 しかし、イギリスのBBCテレビで彼女をメインにした番組が始まってからは1969年1月にリリースしたクリスチャン・ブルーン&ピーター・カレンダー作のシングル『Monsieur Dupont』(全英6位)がイギリスでトップ10に入る大ヒットとなり、続く5月にリリースされたクリス・アンドリュース作のシングル『Think It All Over』(全英42位)もチャート入りするが、9月にリリースしたトニー・マコーレイ&ジョン・マクロード作のシングル『Heaven Knows I'm Missing Him Now』はチャート入りを逃してしまい、1970年代に入ってからもチャートに姿を見せることはなかった。その後も育児を中心にしながらも歌手活動を続けるが、1984年に彼女の大ファンのモリッシーが在籍するスミスの『Hand In Glove』(全英27位)をカヴァーして再び注目を集め、現在もマイペースで活動を続けている。

脚注[編集]

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