サルヴァトーレ・クオモ

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サルヴァトーレ・クオモ
生誕 (1972-07-14) 1972年7月14日(47歳)
イタリアの旗 イタリアナポリ
住居 日本の旗 日本東京
国籍 日本の旗 日本
別名 Salvatore Shigeta
教育 料理学校
職業 料理人 (C.O.O. Y's Table COrporation) Tokyo Stock Excange #2798
活動期間 1984年 -
テレビ番組 日本テレビ番組
配偶者 Pia Schallenberger (m. 2014)
子供 10人
公式サイト salvatorecuomo.com
www.salvatore.jp
ystable.co.jp
署名
Salvatore Cuomo Signature.jpg
サルヴァトーレ・クオモの経歴
教育 料理学校料理人ピザ料理人
公式サイト www.salvaotorecuomo.com
salvaotore.jp
料理人歴
様式 イタリアン料理、新鮮オーガニック

サルヴァトーレ・クオモ(Salvatore Cuomo、1972年7月14日 - )は、イタリアン料理レストラン・オーナーシェフとカリスマ料理人。クオモは料理番組、レシピ本そしてアジアにある数々のレストランで知られている。

日本で「The Pizza Man」と「The Grand Chef」と呼ばれ、彼はイタリアン料理を世界的に改善したいと心掛けている。サルヴァトーレクオモ・レストラン、ケータリン・サービス、レシピ本、と許諾製品はかなやま せいさぶろうとサルヴァトーレクオモを引き継ぐYstable Corporationに管理されている。

生い立ち[編集]

クオモは1972年にイタリアナポリに生まれた。父がイタリア人、母が日本人

クオモはナポリでイタリアンシェフとして勤めていた父に最初にあこがれました。料理人として始めたのはまだ幼い11歳の時に厨房で修行し、イタリアと日本、両方の国で過ごす。時間をかけてやがて伝統イタリアンの芸術的な料理を日本の完璧さとあわせることができた。

数年後、彼の父が1984年に千葉でイタリアンレストランを開き、クオモは父と一緒に日本に行くことになった。その時代のことに対してクオモはあまり良い経験ではなかったと言う。「日本のことがあまり好きでは無かったです。たった一年でイタリアに帰り2~3年間料理学校で修行をしました。18歳の時に父が重い病にかかったため日本に戻り、それからずっと日本にいました。」[3]

クオモによれば、その時期日本でイタリアン料理が流行り始めたころだったという。クオモと兄弟は日本でレストランを成功するには日本の食生活をまず知ることが大事だと考えた。二年間市場を研究し、クオモはオリジナルなナポリピザを作る新しいレストランを東京に開店した。

その時点からクオモはナポリピザを日本とアジアに広げたと思われている。[4]

経歴[編集]

クオモの初めての仕事はナポリのピザ店でピザやイタリアン料理の調理、そして父の指導につくことだった。

クオモはナポリのピザを日本とアジアに広げたと思われている。今では77店以上のPizza Salvatoreレストラン、5店のThe Kitchen Salvatore Cuomoレストラン(京都名古屋上海ソウル)、Salvatore Cuomo Bros(XEXの下に)、BOTTEGA Casual Dining、CAFE AL GRAZIEとItaliaichiba BARを管理している。 [5]

クオモは料理の鉄人や料理の鉄人のアメリカ版、そしてWOWOWのイタリアン料理番組Buono Seraにゲストとしてテレビ番組に何回も出演した。

今ではクオモは数え切れないほどにテレビ番組に出ていて、毎週番組や新聞で話題になっている。

クオモは本を3つも原作をしている。“Welcome to Neapolitan Dining Table” (1995)、 “Happy Pasta” (1997) と “Sun’s Dining Table” (1999)。

2010年にYUCASEE NEWSPAPERがサルヴァトーレクオモと日本の名ショコラティエとして知られる辻口博啓コラボすると報告した。[6] 2014年3月にANAがサルヴァトーレクオモと手を組んだ。[7][8][9][10][11] クオモシェフは彼の個人の活動は厨房から身を離す時間はそれほどながくないように心がけてると保障した。「シェフのユニフォームから着替えないことは大事です。社長でもありますけど、厨房は私にとっての二番目のホームです。お客さんの気持ちをわかるにはその場にいないといけません。スタッフに聞くだけじゃあ足りません。」[12]

2013年12月にサルヴァトーレクオモが運営するLe Chocolat de Hの辻口シェフがパリで行われた世界パティシエ大会Salon Du Chocolatで最優秀賞を勝ち取る。[13]

2014年2月にクオモは台湾で初めてレストランを開店した。TVBSはシェフの行動により台湾の経済に$70,000,0000も打ち上げられると報じられた。[14][15]

2014年5月、クオモのピザシェフPaul Huangが台北市でCaputo Cupを受賞した。Paul Huangは史上初めてItalian Neoploitan Pizzaiolo Associtationから認識された台湾人ピザシェフとして知られている。(APN [16]). サルヴァトーレクオモもVogue Taiwan [17] や台湾のテレビ番組に出演し [18] 、初の台湾人ピザシェフの優勝者が話題になった。

2014年6月に台湾の雑誌Bazarがクオモを2014年に台湾に到着してきたもっとも重要な人物と認定した。[19]

現在クオモはワイズテーブルコーポレーション(TSE 2798番)の副会長、COO、とエグセクティブシェフを務めている。( Tokyo Stock Exchange Market N.2798 ).

テレビとメディア[編集]

クオモは日本で料理番組の司会としてメジャー [20] で活躍。 [21]

新しいレストランを開くたびに日本のメデェアはそれを報道する。 [22]

2010年6月に中国での初めてのVPNから認識されたナポリレストランの成功後に中国の雑誌Sina Fashiongがクオモを「ナポリからの贈り物」と名づけた。 China[23][24]

2013年2月、韓国の編集者ジュー・ヨングックは、韓国で初めてのSalvatore Cuomo Restaurantが開店したのを、まるで1985年に韓国に初めてピザが登場したのが繰り返されているようだと書いた。料理評論家は、クオモが韓国でもピザを焼くための本格的な木材オーブンを作るために地方の名工を訪ねたと述べ、彼を「大切なご褒美」と呼んだ。 [25]

2013年にクオモが運営するXEX Tokyo RestaurantがトラベルチャンネルのAnthony Bourdainの番組Anthony Bourdain: No Reservations Tokyoから日本のエリートの最後の行き先と断言した。[26]

受賞[編集]

2004年6月にICF Worldwide Italian Cuisine Ambassadorから賞を受賞した。新鮮なイタリアン料理の支持者としてクオモは日本でもっとも有力のあるイタリア人として認定された。

2006年、2007年と2008年にクオモシェフはNaples World Pizza Championshipで行われたInternational Pizza Festivalでトップスリーに入る。

2009年にクオモはイタリアとフランス商品をアジアに広めたためORDRE DES COTEAUX DE CHAMPAGNEから葡萄酒業界のプロモーション活動を認定された。

2010年に世界初Mozzarella Bufala Capanaの大使の称号をもらいました。 2013年に高質なレストランでParma Hamを取り使われたためParma Ham ProscuittoからParma Ham Specialist賞を受賞した。

その他[編集]

2010 N.1 日本ピザグループ: Pizza Salvatore Cuomo ( Oricon chart Japan )
2012 ORDRE DES COTEAUX DE CHAMPAGNE ( Officier )
2012 N.1 日本ピザグループ: Pizza Salvatore Cuomo ( Oricon chart Japan )
2013 APN アジア大使
2014 Parma Ham スペシャリスト

[編集]

  • NAPOLI―ナポリの食卓へようこそ (1995 ) - 日本語 (日本語)
  • パスタは陽気に―VIVA LA PASTA ( 1997 ) - 日本語 (日本語)
  • 太陽の食卓 ( 1999 ) - 日本語 (日本語)

参考文献[編集]

もっと知りたい[編集]

外部リンク[編集]