サムス・イルナ
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| サムス・イルナ | |
|---|---|
| バビロニア王 | |
| 在位 | 紀元前1749年 - 紀元前1712年 |
| 子女 | アビ・エシュフ |
| 王朝 | バビロン第1王朝 |
| 父親 | ハンムラビ |
サムス・イルナ(Samsu-Iluna)は、バビロン第1王朝の第7代王(在位:紀元前1749年 - 紀元前1712年)。名はサムスイルナ(Samsuiluna)とも表記される。
来歴
[編集]父ハンムラビの後を継いで王となった。サムス・イルナの治世に、バビロニアは多くの領土を失うこととなった。
サムス・イルナは、治世中に多くの戦争を行った。紀元前1742年、ラルサのリム・シン2世と戦った。リム・シン2世が捕らえられ処刑されるまでは、戦闘のほとんどはエラム地方やシュメール地方との境界域で行われた。ウルクではリム・アヌムが蜂起し、戦争でウルやウルクの市街の一部を破壊した。
同時期の前1741年、ザグロス山脈方面からバビロニアに初めてカッシート人が侵入した。
紀元前1731年にはエシュヌンナが反乱を起こしたため、鎮圧した。王を名乗るイルニ(Iluni)を捕らえて処刑し、自身の名を冠する城塞を建設した[1]。
治世後半の紀元前1721年頃には、「海の国」の勢力であり、イシン第1王朝最後の王ダミク・イリシュの後裔を名乗るイルマ・イル(Iluma-ilu)がシュメール地方で蜂起し、ニップル南部のシュメール地方の独立を勝ち取った。エラム王クティル・ナフンテ1世(Kuturnahunte I)もバビロニアに攻め込み、サムス・イルナを破って、エラムはバビロンから再び独立した。
次代のアビ・エシュフの即位時には、北バビロニアとユーフラテス中流域の一部のみを領有する領域国家となった[1]。
脚注
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