ゴドレイ&クレーム

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ゴドレイ&クレーム
Godley & Creme
Godley & Creme.jpg
ケヴィン・ゴドレイ(左)とロル・クレーム(右)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド
ストックポート
ジャンル ロック
ポップ・ロック
アヴァン・ポップ
実験音楽
活動期間 1977年 - 1989年
レーベル マーキュリー・レコード
ポリドール・レコード
共同作業者 10ccグレアム・グールドマンフィル・マンザネラ
旧メンバー ケヴィン・ゴドレイ
ロル・クレーム

ゴドレイ&クレーム(Godley & Creme)は、元10ccケヴィン・ゴドレイロル・クレームによるアヴァン・ポップ・デュオ、また80年代MTVを代表するミュージック・ビデオのディレクターである。10cc時代の実験性とスタジオワーク技術を更に深化させた、先進的でオリジナリティー溢れるアルバムを発表しながらも、ポリスデュラン・デュランハービー・ハンコック等のミュージック・ビデオを数多く手掛けたことでも知られ、その斬新な感性を持った表現でMTV創成期に多数の賞を受賞、大きな評判を呼んだ。

経歴[編集]

出会い[編集]

1960年、8mmフィルムで自作のドラキュラ映画を作っていたケヴィンは、せむし役を探していた。その時適任だとして名が挙がり採用したのがロルであった。絵を描くことや音楽が同じく好きで、近所に住んでいた二人は意気投合し、親友となる。

美大生として、ミュージシャンとして[編集]

1960年代前半、ケヴィンとロルは、アマチュア・ホワイトR&Bバンドのザ・セイバーズ(The Sabres)に中途参加した[1]。セイバーズはケヴィン脱退後マジック・ランタンズと改名し、プロのバンドとしてヒットを放っている[2]。1963年2人はアートスクールに入学し、グラフィック・デザインなどを学ぶ。1965年、ケヴィンは、同郷のグレアム・グールドマンらと共にザ・モッキンバーズを結成しプロとしてレコードデビュー。5枚のシングルを発表するもヒットを生み出せずにバンドは解散。アートスクールを卒業したケヴィンとロルは再びコンビを組む。この頃二人はペーパースカルプチャー本に絵を描くなど、アート系の仕事をしながら、曲作りにも取り組んでいた。1967年、グレアム・グールドマンのマネージメントで「Yellow Bellow Room Boom」名義でシングルをリリース。その後グレアムが元マインドベンダーズのエリック・スチュワートとレコーディング・スタジオ「ストロベリースタジオ」の共同出資者となったことから、スタジオ・ミュージシャンとして出入りを始め、やがてエリック、グレアム、ロル、ケヴィンの4人でバンド活動を開始する。


1969年、ヤードバーズのマネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキーの設立したレーベル「Marmalade」から、「Frabjoy & Runcible Spoon」名義でシングルをリリース。1970年にはロル、エリック、ケヴィンの3人でレコーディングした「ネアンデルタール・マン」を「ホットレッグス」名義でリリース。世界で200万枚以上を売り上げるヒットを記録するも以降不発に終わる。その後も4人は「Doctor Father」「Fighter Squadron」「Amazon Trust」「The New Wave Band」などとバンド名を変えながらシングルを次々とリリースし次のヒットを狙っていく。その前後、スタジオ・ミュージシャンとしてオハイオ・エキスプレス、ラマセス、ニール・セダカ[3]など数多くのアーティストのレコーディングを行った。

10ccの成功、そして脱退[編集]

1972年、4人は、ジョナサン・キングのUKレコードから「10cc」名義でシングル「ドナ」[4]をリリース。これが全英2位の大ヒットとなり以降バンドの活動は10cc名義が中心となっていく(1974年以降は10ccに固定)。3枚目のシングル「ラバー・ブレッツ」で全英チャート1位を獲得、次々とヒットを飛ばす。1975年にマーキュリー・レコードに移籍、「アイム・ノット・イン・ラヴ[5]「人生は野菜スープ」等のヒット曲を生むものの、1976年に音楽性の違いから(公式にはギターアタッチメント「ギズモ」の開発のため)10ccを脱退。バンドという形態に限界を感じ、スタジオワークに専念したかったこと、ライブ活動に疲弊し嫌気が差していたこと(脱退後およびゴドレイ&クレームとしてライブを行ったことは現在まで一度もない)、元々関心のあった映像業に進出したかったこと、それらも脱退理由に挙げられる。

『ギズモ・ファンタジア』の失敗と再出発[編集]

1977年に「ロル・クレーム&ケヴィン・ゴドレイ」名義で『ギズモ・ファンタジア』を発表。ギズモのサウンドに乗せて、離婚調停中の夫婦とその弁護士の他愛ない会話が続く中、世界各地でハリケーンが起こり人類滅亡の危機が迫るものの、音楽の力で世界が救われる、という終末論的なストーリーのナンセンス・ドラマが繰り広げられており、イギリスのコメディ俳優ピーター・クックが脚本と一人四役を務め、ジャズ・ボーカリストのサラ・ヴォーンが一曲、メル・コリンズが一曲客演している。16ヶ月ものあいだスタジオにこもり、ギズモの可能性を追求した三枚組の壮大なコンセプトアルバムだったが、「難解過ぎる」「自己満足に甘んじている」などと酷評され、パンクの台頭も災いして、チャート成績は全英52位にとどまった。そんな世評にケヴィンは意気消沈していたのに対し、ロルはどこ吹く風と両者でとらえ方は対照的であったという。この失敗でいわば吹っ切れた二人は、翌年の1978年「再出発」の意味を込め、「Learning driver」(ここ日本で言うところの「仮免許」)のプレートを模したジャケットのアルバム『L』を、「ゴドレイ&クレーム」名義で発表。本作は、ゲストにロキシー・ミュージックアンディ・マッケイを迎え、ジャズやソウルのスタイルを取り入れた、フランク・ザッパブライアン・イーノにも通じるアヴァンギャルドな音楽性で新境地を開いた。G&Cとしては珍しい自伝的な歌詞には、10cc時代を皮肉るような文句も見受けられる。なお、後に両者とも『L』が一番気に入っているアルバムだと明かしている。

ミュージック・ビデオ監督としての成功とシングル曲のヒット[編集]

1979年マーキュリーからポリドールに移籍し、『フリーズ・フレーム』を発表。ゲストにフィル・マンザネラとポール・マッカートニーを迎え、前作よりポップでカラフル、サイケデリックでミニマル色の強いアルバムとなった。ロルによると「『イギリス人』と『ゲット・ウェル・スーン』を除けば、スタジオワークの前に完成した曲は一曲もないんだよ!印象派的かつ抽象的な作業を行って、言葉と音の関連付けを試したかったんだ。 なぜって僕たちには常に問題と向き合い、解決することが必要だからね。今回はテープでのペインティングなのさ」。また、GCM(ゴドレイ、クレーム&マンザネラ)というバンドを結成する案もあったが、マンザネラのもとにロキシー・ミュージック再結成の申し出が舞い込んできたため、実現には至らなかった。


1980年、『フリーズ・フレーム』収録のシングル曲「ニューヨークのイギリス人」でミュージック・ビデオを初監督。オランダで3位を記録した。翌年アルバム未収録のシングル曲「ワイド・ボーイ」のMVを監督後、自らMV監督として売り出し始めたところ、ヴィサージスティーヴ・ストレンジの目に留まり、ヴィサージの「フェイド・トゥ・グレイ」を手掛ける。その後、ポリスやデュラン・デュラン等、他アーティストのビデオを数多く手掛けるようになり、MTVビデオ・ミュージック・アワードの賞を数多くさらうことになる。


1981年、ラップをいち早く取り入れた異色作『イズミズム』発表。当初アイディアが浮かばず制作は難航していたが、ケヴィンが椎間板ヘルニアで食事もままならなくなり何週間も寝込んでしまった間に、食べ物への執着心を描いた「スナック・アタック」の歌詞を書き上げたことで、アルバムの全体像がまとまった。本作からは、シンセポップ調の美しくもホラーな物語が語られる「アンダー・ユア・サム」が全英チャート3位、結婚のしがらみを恐れる新郎の思いを歌ったモータウン調の「ウェディング・ベルズ」が全英チャート7位を記録し、アルバムチャートは全英29位まで上昇。本国イギリスで最も商業的に成功したアルバムとなった。


また同年、ロック業界のネタを散りばめた、架空のロックスターの一生をブラックユーモアを交えて描いた画集『The Fun Starts Here - Out-Takes from A Rock Memoir』を出版。しかしあまりに猥雑な内容だったため、多くの書店が販売を拒否する事態となった。ピート・タウンゼントは「吐き気がする」と評した。


1983年『バーズ・オブ・プレイ』発表。古典的な男女のもつれ、すれ違いをテーマに、ボーカルを重視した、ダークかつソウルフルでファンキーな、比較的スタンダードな作風となった。前年に出したシングル「セイヴ・ア・マウンテン・フォー・ミー」がポリドールに好評だったため、不本意ながら制作に取り掛かったアルバムであり、G&Cのベストではないと当時ロルが語っている。本作はアメリカでは発売されず、積極的なプロモーションは行われなかった。


1983年、ハービー・ハンコックの「ロックイット」が英Music Week誌の「Top Music Promo」に選出、翌年MTVビデオ・ミュージック・アワードにて「最優秀コンセプト賞」「最優秀実験賞」「最優秀特殊効果賞」「最優秀芸術監督賞」「最優秀編集賞」の五部門を受賞。翌年の同アワードでは、MV界へ多大なる貢献をしたアーティストに送られる「ビデオ革新賞」を受賞した。CM業ではジーンズブランド、ラングラー社のために制作したCМ「Frozen Images」がカンヌ国際広告祭(現:カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル)にて銀賞を受賞。


1985年、コンビを組んで25周年となるのを記念して、10ccの原型ホットレッグスや10cc、G&Cの楽曲をまとめてセルフ・サンプリングした『ヒストリー・ミックス』を発表。アート・オブ・ノイズのJ.J.ジェクザリクやトレヴァー・ホーンなどの協力を得て、3週間ほどで完成した。白黒の映像の中、泣き顔の人の顔が次々とモーフィングで移り変わっていくミュージック・ビデオが話題となった「クライ」が全米チャート16位を記録し、G&C唯一の全米チャート入りとなった。

最終作『グッドバイ・ブルー・スカイ』[編集]

80年代終わりに近づくにつれ、G&Cはミュージック・ビデオが過剰に商業化し、大量に供給されるようになったがゆえ、オリジナリティを生み出しにくい膠着状態に陥ったと感じ、MV制作のペースを徐々に落としていった。


1988年、5作目『バーズ・オブ・プレイ』以来5年ぶりとなるフル新作アルバム『グッドバイ・ブルー・スカイ』を発表。核戦争後の世界を描いた終末観の立ち込める、それまでにないシリアスなコンセプトをとっている。前作までのエレクトロ路線から一転、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」で聞こえるバスハーモニカにヒントに、高低様々のハーモニカを全編に用いたアコースティックでゴスペル調のアメリカ的作風には賛否両論が巻き起こった。シングル曲「リトル・ピース・オブ・ヘブン」がオランダと西ドイツで小ヒットしている。

映画制作中止、解散[編集]

同年6月、かねてから計画していた、実在した無法者、ジョン・ウェズリー・ハーディンの最期の夜を題材にした長編映画『Howling At The Moon』の撮影が開始されたものの、主演俳優ゲイリー・ビューシーのオートバイ事故などから制作中止に終わる。ロビー・ロバートソンがサウンドトラックを務め、トレヴァー・ホーンがプロデュースする予定であった。

1989年に突如コンビ解消。ケヴィンから解散を切り出したという。1997年のインタビューでロルは、こう説明している。

89年、いや88年、あるいはその前に、ケヴィンは変わったんだ。人生において優先順位が変わったんだと思う。彼は僕や僕たちの仕事のやり方、やること、優先順位にうんざりしていたんだ。実際僕たち二人が優先されたことなんかでさ。仕事上の関係が、自分たちの生活を支配してしまっていたんだよ。すべてを転換すべき時が来たんだ。全く彼の言うとおりだったね。


2022年、「Frabjoy & Runcible Spoon」名義で発表されるはずであったアルバム音源を収録したコンピレーション・アルバム『Frabjous Days: The Secret World Of Godley & Creme 1967-1969』が発売され、半世紀の時を経て初めて、彼らの真のファーストアルバムの全容が明らかになった。

主なヒット曲[編集]

  • 「クライ」 - "Cry"

1985年全米チャート16位、全英チャート15位を記録したG&C最大のヒット曲。10cc結成前に既に書き上げていたヴァース部分が、トレヴァー・ホーンとのセッションによって15年越しで初めて形になった。白黒の映像の中、泣き顔の人の顔が次々とモーフィング(正確にはオーバーラップ)で移り変わっていくミュージック・ビデオで有名だが、当初は男女のペアスケーターが舞うMVにする予定であった。発表の翌年、米刑事ドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』の第12話「まさしくマイアミ」にて使用された。

  • 「アンダー・ユア・サム」- "Under Your Thumb"

1981年全英チャート3位。名機として名高いリズム・ボックスTR-808とシンセサイザーJupitar-8によってバックトラックが作られている。ロルがコード進行を考え出し、ケヴィンがメロディと歌詞を思い付いて、またたくまに完成したという。歌詞は「言いなりになんかなりたくない」と叫ぶ、列車から身投げした女性の怪談話で、リズムトラックが列車のリズムを描写しているところがポイント。MVは他アーティストのMV制作に忙しく作られなかった。

  • 「ウェディング・ベルズ」- "Wedding Bells"

1981年全英チャート7位。モータウン調の一聴すると明るいポップな曲調なのに対して、歌詞は結婚式を目前に控えていながら、泣き言を並べ立てる哀れっぽい新郎の告白であり、ペーソスとユーモアが入り混じる、ほろ苦さ漂う一曲。MVは「テンプテーションズみたいにしよう!」とのロルの一声で、それらしく踊りを交えたボーカルグループ風の華やかなものとなっている。

  • 「ニューヨークのイギリス人」- "An Englishman In New York"

1980年オランダにて3位、後にオーストラリアで8位。シロフォンの音色が耳を引く、どこか人懐こいミュージカル風の展開が鮮やかな一曲。英国人としてニューヨークという大都市に対して抱いた違和感を歌っている。俗語や洒落、けったいな表現が並んだ歌詞はなかなかに難解。ミュージック・ビデオ第一作目の楽曲である。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 『ギズモ・ファンタジア』 - Consequences (1977年)
  • 『L』 - L (1978年)
  • 『フリーズ・フレーム』 - Freeze Frame (1979年)
  • 『イズミズム』 - Ismism (1981年)
  • 『バーズ・オブ・プレイ』 - Birds Of Prey (1983年)
  • 『ヒストリー・ミックス Vol.1』 - The History Mix Volume 1 (1985年)
  • 『グッドバイ・ブルー・スカイ』 - Goodbye Blue Sky (1988年)

コンピレーション・アルバム[編集]

  • 『ミュージック・フロム・ギズモ・ファンタジア』 - Music From Consequences (1979年)
  • 『ベスト・オブ・10cc、ゴドレイ&クレーム - チェインジング・フェイセズ』 - Changing Faces – The Very Best of 10cc and Godley & Creme (1987年)
  • The Very Best of 10cc (And Godley & Creme) (1991年)
  • Images (1993年)
  • 『ゴドレー・アンド・クレーム / 素晴らしき日々:ザ・シークレット・ワールド・オヴ・ゴドレー・アンド・クレーム』 - Frabjous Days: The Secret World Of Godley & Creme 1967-1969 (2022年)

ボックスセット[編集]

  • 『ボディ・オブ・ワーク』 - Body Of Work 1978-1988 (2017年)

ペーパースカルプチャー本[編集]

アートスクール出身のケヴィンとロルは無名時代、ペーパースカルプチャー本(紙製の組み立て模型つきの本)で模型の厚紙に絵を描く仕事をしていた。

  • 「The Charge Of The Light Brigade」(1969年)

クリミア戦争中1854年のバラクラヴァの戦いでの「軽騎兵の突撃」を題材とした組み立て絵本。

  • 「Cromwell」(1970年)

清教徒革命で知られるオリヴァー・クロムウェルの立像をデザイン。完成すると高さは25インチ(約60センチ)にも達するらしい。

  • 「The Railway Children」(1970年)

同名映画に登場した2種類の機関車、グリーン・ドラゴン号とオールド・ジェントルマンズ号の描画を担当。グリーン・ドラゴンには貨車も付いている。

ミュージックビデオ監督作品[編集]

1980年

  • ゴドレイ&クレーム: 「ニューヨークのイギリス人」 "An Englishman In New York" (デレク・バービッジと共同監督)
  • ゴドレイ&クレーム: "Wide Boy"

1981年

1982年

  • エイジア: "Heat Of The Moment"
  • エイジア: "Only Time Will Tell"
  • ゴドレイ&クレーム: "Wedding Bells"
  • グレアム・パーカー: "Temporary Beauty"
  • ジョーン・アーマトレイディング: "The Weakness In Me"
  • ジョーン・アーマトレイディング: "When I Get It Right"
  • トーヤ: "Thunder In The Mountains"

1983年

1984年

1985年

1986年

1987年

  • ジョージ・ハリスン: 「FAB」 - "When We Was Fab"
  • ゴー・ウエスト: "I Want To Hear It From You"
  • ゴドレイ&クレーム: "A Little Piece Of Heaven"
  • ゴドレイ&クレーム: "10,000 Angels"
  • ピーター・ガブリエル: "Biko"

1988年

脚注[編集]

  1. ^ Kevin Godley.com, History2021年1月7日閲覧
  2. ^ 日本でも70年代初頭に「孤独の夜明け」(原題・ワンナイト・スタンド)が話題となった
  3. ^ ニール・セダカのショウでバック・バンドをつとめたこともある
  4. ^ フランク・ザッパの影響を受けたドゥーワップ調の曲
  5. ^ フランス映画「ガールズ」の挿入歌にも使われた

関連項目[編集]

外部リンク[編集]