コンプトンズ・カフェテリアの反乱

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座標: 北緯37度46分59.6秒 西経122度24分38.9秒

サンフランシスコのターク・ストリートとテイラー・ストリートの角に据えられたジーン・ コンプトンズ・カフェテリアの反乱発生40年の記念碑

コンプトンズ・カフェテリアの反乱英語: Compton's Cafeteria Riot)は1966年8月に発生したサンフランシスコテンダーロイン地区で起きた事件。1969年に発生したストーンウォールの反乱の前に発生したトランスジェンダーの人々が起こした事件の一つである[note 1]

背景[編集]

コンプトンズ・カフェテリアは1940年代から70年代にかけてサンフランシスコに存在した Gene Compton がオーナーを務めるカフェテリアチェーンの一つであった。1954年から1972年まで営業していたテイラー・ストリート101番地のコンプトンズ・カフェテリアは、ゲイバーの招かざる客であったトランスジェンダーの人々にとって街中で集える数少ない場所の一つである、反乱の発生までは24時間営業している店であった。彼らにとってこの場所は Hair Fairies(50年代から60年代にかけてトランスジェンダーを指していた言葉)を表明できる場所になっていた。当時異性装は非合法とされ、トランスジェンダーの人々の存在を理由にバーの家宅捜索や閉鎖命令を警察が行っていた。

反乱に加わった闘争的なハスラーやストリート・クイーンはアメリカの初期のゲイ青年組織「Vanguard」のメンバーであった。この組織は前年の早い時期に Glide Memorial Church の急進的な牧師の助けによって設立され、数年に渡ってテンダーロイン地区の社会運動を押し進める団体となった。ストリートのレズビアングループもまた「Street Orphans」と呼ばれる団体を組織した[1]

反乱の発生[編集]

反乱の初日、カフェテリアに居合わせたトランスジェンダー客の一部が騒ぎ出したため、店のマネージャーは警察に通報を行った。警察官がトランス・ウーマンの一人を逮捕しようとした際に、持っていたコーヒーを警官に掛けたことで騒動が始まった。食器や家具が飛び交い、レストランの窓ガラスが割られた。騒動が店外にも及んだため警察官は応援を呼ぶが、パトカーのガラスは全て割られ、新聞スタンドが焼け落ちた[要出典]

翌日夜、さらに多くのトランスジェンダーやハスラー、テンダーロイン地区の人々およびLGBTコミュニティのメンバーがトランスジェンダーの入店を拒むカフェテリアへのピケに加わった。修繕されたばかりの窓ガラスが再び割られたが、これによってデモは終わった[1]

反乱の影響[編集]

反乱はLGBTムーブメントのターニングポイントとなった。オンライン・エンサイクロペディアのglbtq.com[2]は、

コンプトンの反乱の余波はトランスジェンダーの社会ネットワークや心理的・医学的なサポートサービスの設立に影響を与えた。1968年の世界で最初のピア・ラン型サポート組織「National Transsexual Counseling Unit」(NTCU)の設立がその頂点である。

と記述している。1962年にはTTCUの監督官にサンフランシスコ市警察の巡査部長 Elliott Blackstone が指名された。

注釈[編集]

  1. ^ 1959年のロサンジェルスの Cooper's Donuts にてロサンゼルス市警察の度重なる嫌がらせにドラァグクイーンや路上売春の男性らによる小規模の暴動が起き、John Rechyら3人が拘束される事件が起きている。(Faderman and Timmons, pp. 1–2).

脚注[編集]

  1. ^ a b Screaming Queens: The Riot at Compton's Cafeteria Victor Silverman and Susan Stryker, 2005.
  2. ^ glbtq >> social sciences >> San Francisco

関連項目[編集]

外部リンク[編集]