コロンバス・ブルージャケッツ
コロンバス・ブルージャケッツ Columbus Blue Jackets | |
カンファレンス | イースタン・カンファレンス |
ディビジョン | メトロポリタン |
創設年 | 2000年 |
歴代チーム名 | コロンバス・ブルージャケッツ (2000 - ) |
ホームアリーナ | ネイションワイド・アリーナ |
ホームタウン | ![]() オハイオ州コロンバス |
チームカラー | ユニオンブルー, ゴールレッド, キャピタルシルバー |
メディア | |
オーナー | ジョン・P・マッコーネル |
GM | ヤルモ・ケカライネン |
ヘッドコーチ | ジョン・トートレッラ |
キャプテン | ニック・フォリーノ |
獲得タイトル(獲得年) | |
スタンレーカップ優勝 (0回) | |
なし | |
アブコワールド (0回) | |
なし | |
カンファレンス優勝 (0回) | |
なし | |
ディビジョン優勝 (0回) | |
なし | |
プレジデンツトロフィー (0回) | |
なし |

2002年ドラフト全体1番目で入団。2003-04シーズンに19歳の若さで41得点を挙げ得点王。チーム歴代最多得点記録を持ち、2008年からキャプテンを務めている。バンクーバー五輪ではカナダ代表として金メダルを獲得した。
コロンバス・ブルージャケッツ(Columbus Blue Jackets)は、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバスを本拠としているナショナルホッケーリーグ(NHL)所属のプロアイスホッケーチームである。
歴史[編集]
2000年にミネソタ・ワイルドと共にNHLに新規参入した。初試合は2000年10月7日の対シカゴ・ブラックホークス戦で、3対5で敗れた。チーム史上初ゴールは、ブルース・ガーディナー(Bruce Gardiner) が決めた。
チーム名は、ファン投票によって選ばれた。この名前が選ばれた理由として、以下の4つの点が指摘されている。
- オーナーの John H. McConnell の好みの色がブルーであり、彼が「選ばれる名前には『ブルー』の言葉が含まれていなければならない。」と指示したと、マスコミにより報道されたこと。
- 当初試作として発表されたチームのロゴには虫の姿がたたどられており、これは蜂の姿や様々なスポーツチームのニックネーム(例えば、ジョージア工科大学の愛称「Yellow Jackets」)などから「イエロージャケット」を想起させるものであった。虫のロゴは、その後チームが活動を開始してから鳴りを潜めて、2003-2004シーズンには全く使用されなくなった。わずかにチームのマスコット、「スティンガー (Stinger)」にその名残をとどめるばかりである。
- コロンバス地域に居住していたショーニー族の酋長Blue Jacketの名誉を称えること。ただし、チームは商業目的ではいかなるネイティブ・アメリカンの象徴をも使用してはいない。
- また、Blue Jacketは南北戦争の連合軍の軍服を表していること。なおチームは、積極的というほどではないが幾分は商業目的にそれを使用している。
2002年3月16日には悲劇がブルージャケッツを襲った。コロンバス対カルガリー戦でエスペン・クヌートセン(Espen Knutsen) の放ったショットがディフェンスマンのデレック・モリスのスティックに当たって方向が変わり、観客席で観戦していた13歳の少女、ブリタニー・セシルの頭部を直撃し、彼女は2日後の3月18日、頭蓋骨骨折で死去した。NHL史上、飛来するパックがファンに当たり死亡する事故が起きたのは初めてのことであった。この事故をきっかけに、観客を飛来するパックから保護するためNHLの全アリーナのゴール背後に位置する観客席の前面にナイロン製のネットが張られることとなった[1]。この事故により、NHLは各アリーナのゴール裏に、ナイロン製のネットを張ることを決定した[2]。
2008年までブルージャケッツはプレーオフ進出がなかったが、2008-2009年に悲願のプレーオフ初進出を果たした。 1回戦で敗れたものの、スティーブ・メイソン(Steve Mason)の活躍やオフシーズンのリック・ナッシュ(Rick Nash)の契約延長は未来への光明となった。
シーズン別成績[編集]
年 | GP | W | L | T | OL | GF | GA | PTS | 最終順位 | プレイオフ |
2000-01 | 82 | 28 | 39 | 9 | 6 | 190 | 233 | 71 | セントラル5位 | 不参加 |
2001-02 | 82 | 22 | 47 | 8 | 5 | 164 | 255 | 57 | セントラル5位 | 不参加 |
2002-03 | 82 | 29 | 42 | 8 | 3 | 213 | 263 | 69 | セントラル5位 | 不参加 |
2003-04 | 82 | 25 | 45 | 8 | 4 | 177 | 238 | 62 | セントラル4位 | 不参加 |
2005-06 | 82 | 35 | 43 | - | 4 | 223 | 279 | 74 | セントラル3位 | 不参加 |
2006-07 | 82 | 33 | 42 | - | 7 | 201 | 249 | 73 | セントラル4位 | 不参加 |
2007-08 | 82 | 34 | 36 | - | 12 | 193 | 218 | 80 | セントラル4位 | 不参加 |
2008-09 | 82 | 41 | 31 | - | 10 | 226 | 230 | 92 | セントラル4位 | 1回戦敗退 |
2009-10 | 82 | 32 | 35 | - | 15 | 216 | 259 | 79 | セントラル5位 | 不参加 |
2010-11 | 82 | 34 | 35 | - | 13 | 215 | 258 | 81 | セントラル5位 | 不参加 |
2011-12 | 82 | 29 | 46 | - | 7 | 202 | 262 | 65 | セントラル5位 | 不参加 |
2012-13 | 48 | 24 | 17 | - | 7 | 120 | 119 | 55 | セントラル4位 | 不参加 |
2013-14 | 82 | 43 | 32 | - | 7 | 231 | 216 | 93 | メトロポリタン4位 | 1回戦敗退 |
2014-15 | 82 | 42 | 35 | - | 5 | 236 | 250 | 89 | メトロポリタン5位 | 不参加 |
2015-16 | 82 | 34 | 40 | - | 8 | 219 | 252 | 76 | メトロポリタン8位 | 不参加 |
2016-17 | 82 | 50 | 24 | - | 8 | 249 | 195 | 108 | メトロポリタン3位 | 1回戦敗退 |
2017-18 | 82 | 45 | 30 | - | 7 | 242 | 230 | 97 | メトロポリタン4位 | 1回戦敗退 |
2018-19 | 82 | 47 | 31 | - | 4 | 258 | 232 | 98 | メトロポリタン5位 | 準決勝敗退 |
スタンレーカップ戦績[編集]
出場経験なし
脚注[編集]
- ^ “13-year-old fan killed after hit by puck at NHL game”. CBC (2002年3月20日). 2015年2月20日閲覧。
- ^ Greg Wyshynski (2012年3月15日). “Ten years after death of Brittanie Cecil, recalling backlash over NHL safety netting”. Yahoo! SPORTS. 2015年2月20日閲覧。