コリン・ベル

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コリン・ベル Football pictogram.svg
Colin Bell.jpg
名前
ラテン文字 Colin Bell
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1946-02-26) 1946年2月26日(73歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ダラムヘスレデン英語版[1]
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1963-1966 イングランドの旗 ベリーFC 82 (25)
1966-1979 イングランドの旗 マンチェスター・シティFC 394 (117)
1980 アメリカ合衆国の旗 サンノゼ・アースクエイクス 5 (0)
代表歴
1968-1975 イングランドの旗 イングランド 48 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

コリン・ベル(Colin Bell、1946年2月26日 - )は、イングランドの元プロサッカー選手。ニックネームはザ・キング・オブ・キパックスや、ニジンスキー(無尽蔵のスタミナから)など。マンチェスター・シティFCではセルヒオ・アグエロエリック・ブルックトミー・ジョンソンに次ぐ公式戦152得点を挙げている。マンチェスター・シティの歴代最高の選手として広く認められている。エティハド・スタジアムのコリン・ベル・スタンドはベルの栄誉を讃えて名付けられた。

初期[編集]

ベリーFCでキャリアを始め、若くしてキャプテンを務めた。1966年にマンチェスター・シティFCに移籍すると、同年の1部昇格に貢献した。マンチェスター・シティと契約しようとした時、マルコム・アリソンコーチはベルに興味を示した他のクラブに対して、「ヘディングができず、パスもできず、見込みがない」と言って欺いた。アリソンの策略は成功し、ベルはシティと契約した。1968年にはシティの2度目のリーグ優勝に貢献した。 同年、ベルはイングランド代表にも選ばれ、スウェーデン戦に出場した。1969年にはオランダ戦、ブラジル戦でゴールを決め、代表でも名が知られるようになった。1970年にはリーグカップUEFAカップウィナーズカップで優勝した。

メキシコワールドカップ[編集]

1970年、ベルはメキシコで開催される1970 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれた。準々決勝の西ドイツ戦(2-3で敗戦)でボビー・チャールトンに代わって途中出場した。この交代はイングランドにとって試合の流れを悪くしたターニングポイントだと思われていた。しかしチャールトンは交代によって試合の流れが変わったのではなく、交代前に西ドイツが挙げた1点目の得点が流れを変えたのだと指摘した。

晩年[編集]

イングランド代表としては通算48試合に出場し、9得点を挙げた。1972年の北アイルランド戦ではキャプテンを務めた。これらの成功にもかかわらず、イングランドが1974ワールドカップ予選で敗れ本大会に出場できなかったため、世界の舞台では名声を上げられなかった。

代表で最も良いパフォーマンスを見せた試合としては、7-0で勝利したオーストラリア戦や、1975年に当時の世界王者西ドイツを下した試合が挙げられる。西ドイツ戦の攻撃陣はミック・シャノンケビン・キーガンマルコム・マクドナルドアラン・ハドソンアラン・ボール・ジュニア、そしてベルが名を連ねた。 シャノンはこのイングランドの攻撃陣を1970年以来最も良いと考えていたが、当時のドン・レヴィー監督がこの起用を続けないのは理解できないとコメントしていた。

怪我と引退[編集]

1975年、29歳の時、ベルはリーグ・カップのマンチェスター・ユナイテッドFC戦でマーティン・バカンと接触し、右膝に深刻な怪我を負った。シティのピーター・スウェールズ会長はベルのことを「替えが利かない」と表現していた。マルコム・アリソン監督が1970年代後半に再びシティを率いたとき、ベルやサマービー、フランシス・リーに代わるタレントを見つけられず、この言葉は本当であったと分かった。 1980年、ベルは復活を期して北米サッカーリーグサンノゼ・アースクエイクスに移籍した。ここではかつてマンチェスター・ユナイテッドでプレーしていたジョージ・ベストとチームメイトになった。移籍は成功せず、出場は5試合にとどまった。

引退後[編集]

後にベルはシティのユースチームでサッカーの仕事を続けた。1990年代にはクラブで初となるアンバサダーに就任した。2003年5月には、メイン・ロードで行われた最後の試合(対サウサンプトン)にゲストとして招かれた。2004年、ファンによる投票で、新しいスタジアム(シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム)のスタンドの名前がコリン・ベル・スタンドとなることに決まった。 これは唯一無二の栄誉であり、他のスタンドには選手の名前は付けられていない。ただし、スタジアムまで繋がるジョー・マーサー・ウェイはシティで最も成功を収めた監督から名付けられている。2005年にはイングランドサッカー殿堂大英帝国勲章を受賞した。同年には自伝『コリン・ベル: Reluctant Hero』を刊行した。この自伝では、母が大腸癌で39歳に亡くなったが、まだ幼すぎて覚えていないことなどが明かされた。

個人成績[編集]

所属クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ 国際大会 合計
所属リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ベリー 1963-64 セカンドディヴィジョン 10 2 0 0 0 0 - 10 2
1964-65 42 13 1 0 2 0 - 45 3
1965-66 30 10 1 0 0 0 - 31 10
マンチェスター・シティ 1965-66 セカンドディヴィジョン 11 4 0 0 0 0 - 11 4
1966-67 ファーストディヴィジョン 42 12 6 1 2 1 - 50 14
1967-68 35 14 4 2 4 1 - 43 17
1968-69 39 14 5 0 3 1 2 0 49 15
1969-70 31 11 2 0 6 5 9 5 48 21
1970–71 34 13 3 4 1 7 2 45 19
1971–72 33 12 2 0 1 2 - 36 14
1972–73 39 7 5 2 2 1 2 0 48 10
1973–74 41 7 2 0 11 3 - 54 10
1974–75 42 15 1 0 2 3 - 45 18
1975–76 20 6 0 0 5 1 - 25 7
1976–77 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1977–78 17 2 2 0 2 0 0 0 21 2
1978–79 10 0 2 0 1 0 4 1 157 1
サンノゼ・アースクエイクス 1980 北米サッカーリーグ 5 0 0 0 0 0 - 5 0
キャリア通算成績 481 142 36 9 42 18 24 8 583 177

タイトル[編集]

マンチェスター・シティ

脚注[編集]

  1. ^ Colin Bell: Reluctant Hero, p. 19 & p. 20.

外部リンク[編集]