コラアゲンはいごうまん

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コラアゲンはいごうまん
生年月日 (1969-09-29) 1969年9月29日(47歳)
出身地 京都府京都市
血液型 A型
身長 168cm
事務所 WAHAHA商店
活動時期 1988年 -

コラアゲンはいごうまん1969年9月29日 - )は、日本ピン芸人。本名、森田 嘉宏(もりた よしひろ)。

京都府京都市出身。WAHAHA商店所属。身長168cm。血液型A型。大阪NSC7期生。元相方は雨上がり決死隊蛍原徹[1]

人物・来歴[編集]

料理人である父と母の間に次男として生まれ、中高一貫の進学校に入学したが、勉強について行けず落ちこぼれた。16歳の時、教育熱心であった父は、落ちこぼれた嘉宏と、同時期に大学受験に失敗した兄を憂い、酒を飲み暴れ「皆殺しや」と包丁を振り上げた際に、身を挺した母の手の甲に包丁が刺さり、母は泡を吹いて倒れてしまう。この悲惨なエピソードを、ネタにして友達に話したとき、思わず笑いがあがった。笑ってもらった時に、気持ちが楽になり、その感覚が「芸人的な思想」であることを感じ、お笑いの道へ踏み込んだ。

吉本興業所属であり、オール阪神・巨人の二番弟子(1989年6月 - 1990年8月)をしていた。NSC養成所時代に蛍原徹(後の雨上がり決死隊)と「メンズホワイト」というコンビを組んでいた。その後、弟子修行を終え、NSC同期生で当時NGKの進行係をしていた大塚修司と1990年9月に「電光石火」を結成。NGK(なんばグランド花月)など、早い段階で舞台に出演していた。1993年3月の「電光石火」解散後、同年4月に「I少年D」を結成。1995年9月に「I少年D」[2]を解散し、1999年にフリーとなり上京。2001年喰始との出会いで「売れることは無理でも、唯一無二の芸をやればお笑いで食べていける」と説かれて考えた結果、現在の芸風を確立。2003年4月より猫ひろしらと共に、WAHAHA商店に参加。

芸風[編集]

  • ノンフィクションスタンダップコメディ、あるいは体験ノンフィクション・スタンダップと称して自分の体験を長時間たたみかけるようにひたすら語り続けるという、短い尺で笑わせなければならないテレビでは使いづらいと本人も断言する芸を持ちネタとしており、極めてテレビでは露出が少ない。だが、そのスタイルを変える事なく全国をライブで回る地道な活動を続けている。
  • そのネタは、瞬発力や感覚的、更には極めて表面的な笑いを基軸をする芸が主流の昨今のお笑い界においては異端ともいえる。これはWAHAHA本舗社長の喰始から与えられる「普通ではない」テーマをもとに、リサーチと取材を繰り返し、そこで出会った人々との交流を語るという、一筋縄ではいかない経験談の数々が彼の漫談のトピックとなっていることに起因する。こうしたことから、お笑いであるにも関わらず涙を誘い、感動できたり、また採り上げられたトピックに関して考え始めるきっかけとなるような内容であることもしばしばある。

出演[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

Vシネマ[編集]

CM[編集]

作品[編集]

DVD[編集]

  • コラアゲンはいごうまん 実録・体験ノンフィクション漫談(ハピネット、2012年9月4日)
  • コラアゲンはいごうまん 実録・体験ノンフィクション漫談 <弐>(ハピネット、2012年12月21日)

著書[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ たけしの誰でもピカソ出演時の発言より
  2. ^ 第25回「NHK上方漫才コンテスト」優秀賞を受賞

外部リンク[編集]