コミタス・ヴァルダペット
| コミタス Կոմիտաս | |
|---|---|
|
| |
| 基本情報 | |
| 生誕 |
1869年10月8日(ユリウス暦 9月26日) |
| 死没 |
1935年10月22日(66歳没) |
| ジャンル | クラシック音楽 |
| 職業 |
音楽学者、作曲者、合唱指揮者 |
ソゴモン・ソゴモニアン(アルメニア語: Սողոմոն Սողոմոնյան[注 1] ラテン文字転写の例:Soghomon Soghomonian[注 2] 1869年10月8日(ユリウス暦 9月26日) - 1935年10月22日)は、オスマン帝国アルメニアの僧侶、音楽学者、作曲家、編曲家、歌手、合唱指揮者。叙聖されてコミタス[注 3](アルメニア語: Կոմիտաս)という名前で知られ、アルメニア国民楽派の始祖と看做されている[2][5]。また民族音楽学の草分けのひとりであると認識されている[6][7]。
幼い頃に孤児となったコミタスはアルメニアの宗教の中心地であるエチミアジン大聖堂に引き取られ、大聖堂のゲヴォルギアン神学校で教育を受けた。1895年に叙聖されヴァルダペット(未婚の司祭)になり、ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム大学で音楽を学んだ。彼は以降「西側での訓練を用いて国民的伝統を築き上げ」ていく[8]。3,000曲を超えるアルメニアの民謡を収集して楽譜に起こしたものの半数以上が散逸し、約1,200曲しか現存していない。アルメニア民謡以外に加えて他の文化圏にも関心を示し、1903年には世界初となるクルド人の民謡集を『クルドの旋律集』(Քրդական եղանակներ)という題で出版した。コミタスの合唱団はヨーロッパの多くの都市でアルメニア音楽を紹介し、クロード・ドビュッシーらに称賛された。1910年にはコンスタンティノープルに居を構えるが、これは極めて保守的なエチミアジン大聖堂の司祭たちによる不当な扱いから逃れ、アルメニア民謡をより多くの人々に届けるためであった。彼はアルメニア人コミュニティーから広く受け入れられ、アルシャグ・チョバニアンからは「アルメニア音楽の救世主」と呼ばれた[9]。
アルメニア人虐殺においては、コミタスも他の多数のアルメニア系知識人らとともに1915年4月にオスマン帝国政府によって逮捕され、国外追放の上抑留されることになった。状況は不明確ながらも間もなく解放されることになった彼は、無差別な残虐行為やオスマントルコによる絶え間ないアルメニア人虐殺を目の当たりにし、精神不調をきたして深刻な心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症する。コンスタンティノープルでは敵意が広がりを見せており、大規模なアルメニア人の死の行進や虐殺が報じられると彼の繊細な精神状態はさらに悪化していった。はじめトルコ軍が運営する病院に1919年まで収容され、パリの精神病院に移送されると生涯最後の数年間を苦しみの中で過ごした。コミタスは広く虐殺の犠牲者であると看做されており、芸術分野におけるアルメニア人虐殺では象徴的人物のひとりとして描かれる[10]。作曲家としてのコミタスの作品群はユネスコの世界の記憶遺産に登録されている。
生涯
[編集]幼少期(1869年-1881年)
[編集]コミタスは1869年9月26日(グレゴリオ暦10月8日)にソゴモン・ソゴモニアンとしてオスマン帝国のキュタヒヤに生を受けた。両親はアルメニア人のケヴォルク(Kevork)とタクヒ(Takuhi)であった[11][12]。本人の自叙伝的スケッチによると、彼の両親の祖先は世紀の変わり目頃にナヒチェヴァンのGoghtn州にあるTsghna村から西アナトリアへと移ってきたのだという。彼の一家はオスマン帝国政府が課す規制に従ってトルコ語しか話さなかった。ソゴモンはひとりっ子であり、生後3日で受洗した。母はブルサの出身で息子を生んだ時は16歳だった。彼女を知る人はその人となりを憂鬱であると評する一方、父は陽気な人物であったとされる。両名ともに音楽に関心を持っていた。母はソゴモンを産んでわずか6か月後の1870年3月にこの世を去っている。彼は母の死により深い傷を負い、母へ捧げるためにはじめての詩作を行った。その後、文献によって父の義理のきょうだい、もしくは父方の祖母とされるマリアムが彼の面倒を見ることになった[13]。
キュタヒヤの小学校を卒業して4年が経過した1880年、ソゴモンは父により教育の継続のためにブルサへと送られた。彼は同市で母方の祖父母の許に身を寄せていた可能性がある。しかし、彼はわずか4か月後にキュタヒヤへと送り返されることになる。アルコール依存となった父が他界したのがきっかである。ソゴモンは父方のおじであるハルチュンの養子となるが、彼の「家族的、社会的構造は崩壊してしまった」のであった。幼少期の友人は彼を「実質的にホームレス」であったと評する。父性的な養育を完全に失って「置かれた環境により、彼は後年苦しめられるような精神の不調に対して脆弱となってしまった」のである[14]。
エチミアジン (1881年-1895年)
[編集]ソゴモンの人生は1881年の秋に大きな転換点を迎える。9月に12歳の彼はエチミアジンに迎え入れられる。これはアルメニアの地元の主教であったケヴォルク・ヴァルタベド・テルツァギャン(Kevork Vartabed Tertsagyan)の手引きによるもので、テルツァギャンはエチミアジン司教座の指示により栄えあるゲヴォルギアン神学校に入学させるべく、よい歌声を持つ孤児を探していたのである。1881年10月1日にはカトリコスのゲヴォルグ4世に紹介された。カトリコスはソゴモンがアルメニア語を扱えないことに落胆しつつもその歌声にはいたく感銘を受け、しばしば客人をもてなすために彼に歌わせていた。恵まれない幼少期を過ごしたソゴモンは神学校で「情緒面と知性面での安定」を見出していく[15]。
1881年から1910年にかけてのソゴモンはエチミアジンを拠点としつつも、多くの時間をヨーロッパで過ごしていた[16]。神学校1年目には古代のネウマ譜を基にして19世紀はじめにハンパルツォウム・リモンジャンと弟子によってまとめられたアルメニア音楽の記譜法(ハズ)の仕組みを学んだ。彼の音楽への情熱は次第に高まっていき、エチミアジン近くのアルメニアの村人が歌う歌を書き留める活動を開始した。村人たちはそんな彼を愛着をこめて「メモを取る司祭」を意味する「Notaji Vardapet」と呼んだ[17]。
1890年代の初頭には、ソゴモンはハチャトゥル・アボヴャン、ホヴハンネス・ホヴァニシャン、アヴェティク・イサハキャン(彼の年少の同窓生)ら他の詩に曲をつけることを試みた[11]。1891年には司教座の公式新聞であった『Ararat』誌から彼が多声部の合唱のために作曲した『国歌』(Ազգային Օրհներգ、歌詞は神学校生のA.タシュジャン)が出版された。彼は1893年に神学校を卒業し、音楽教師になるとともにアルメニアの総本山であるエチミアジン大聖堂の合唱指揮者に任用された[11][18]。
ソゴモンへはじめに大きな影響を与えた人物は1892年に1年だけ神学校で教えたクリスタポル・カラ=ムルツァであった。カラ=ムルツァは教育目的でアルメニア人の共住地域全域の学童に向けて作曲をしたりヨーロッパ音楽の演奏を企画するなどしていた。ソゴモンはカラ=ムルツァの作品が正統なアルメニア音楽でないと批判していたものの、彼が音楽的業績をあげた多声的合唱曲の構造はカラ=ムルツァから学んだものだったのである[19]。
1894年、ソゴモンは修道司祭(կուսակրոն աբեղա)へと叙聖され、7世紀の詩人で音楽家のカトリコス、コミタス・アグツェツィの名前を与えられた[11]。1895年2月[20]、ヴァルダペット(未婚の司祭)へと昇叙されて以降はコミタス・ヴァルダペットという名前で知られるようになった[18]。同年、彼の初となる採集民謡の楽譜集『アグン歌曲集』(Շար Ակնա ժողովրդական երգերի)が完成し、25曲の恋の歌、婚礼歌、子守歌、舞踏曲が収められた。この作品はエチミアジンの司祭の中の反動的で極めて保守的な一団から認められず、彼らはコミタスに嫌がらせを行うと同時に皮肉を込めて彼を「愛を歌う司祭」と呼んだ。性的非行の噂もまことしやかに広まり、これによってコミタスはアイデンティティ危機に陥ることになる[21]。
ティフリスとベルリン (1895年-1899年)
[編集]
1895年10月、コミタスは作曲家のマカル・ヤクマリャンの下で和声を学ぶためにエチミアジンを離れてティフリスへ向かった。ヤクマリャンが多声体に書き換えたアルメニアの祈祷文は最も広く用いられているものであり、ヤクマリャンはコミタスに有数の大きな影響を与えた教師となった[11]。この時期のコミタスにとって、アルメニアの領土から比較的近く、滞在可能な牧師館のあるティフリスは最も適した選択肢だった。ヤクマリャンと共に過ごした6か月間にコミタスのヨーロッパ的和声原理への理解を深め、ヨーロッパの音楽院でさらなる勉強をするための下地を築く。コミタスの入学試験への準備が整うと、カトリコスのムクルティチ・フリミアンの要請を受けて裕福な石油探索者のアレクサンデル・マンタシェフが3年分の学費に相当する1,800ルーブルの支払いに合意したのだった[22]。
コミタスは1896年6月初頭にベルリンに到着するが、まだどの大学の入学許可も得ていなかった。アルメニア人の同胞たちの助けによりアパートを見つけた彼は、はじめの数か月リヒャルト・シュミットから個人的にレッスンを受けていた。その後、栄えあるフリードリヒ・ヴィルヘルム大学への入学を認められる[23]。家の賃料と家財道具を引くとマンタシェフの資金は少ししか残されておらず、コミタスは食費を切り詰めて日に1食、もしくは食べない日もあった[24]。しかし、これによって勉学から気を逸らすことはなく、彼は非常に熟達したドイツの教師陣の学識を効果的に吸収していった。教授たちとしては18世紀、19世紀の民謡の専門家であるハインリヒ・ベレルマン、マックス・フリートレンダー、オスカル・フライシャーらがいた。コミタスはフライシャーが1899年5月に設立した国際音楽協会ベルリン支部の会員となった。彼は支部でアルメニア民謡について講演を行い、アルメニアの民謡はキリスト教以前の異教の時代に遡ると唱えた。1899年7月に大学の課程を終えている[25]。
最盛期 (1899年-1910年)
[編集]1899年8月にエチミアジンに戻ったコミタスは、教育と作曲を再開した。彼は身に着けた知識に基づき、大規模な多声的合唱団を組織して特訓した。1906年までゲヴォルギアン神学校合唱団を率いていた[26]。彼が「民族音楽学の揺籃期に自らの位置づけを確立した理論と研究の論文の大半」を完成させたのはこの時期であった。コミタスは夏季にはアルメニアの田舎で過ごし、村人たちと独特の関係性を築いていった。これにより、彼はアルメニアの田舎に伝わる歌を楽譜に起こして保存するという学術的役割を請け負うことになる。1903年の秋には3年にわたる収集と譜面化の末、50曲の民謡を収めた楽譜を「千一歌」(Հազար ու մի խաղ)という題で出版した。作詞家のマヌク・アベギャンがこれら民謡の編纂に際して助力を行っている。この歌曲集は1904年に再版されており、1905年に次の50曲が新たに出版された[27]。
コンスタンティノープル (1910年-1915年)
[編集]

「アルメニア音楽への称賛をより広い聴衆に求め[18]」、コミタスは1910年にオスマン帝国の首都だったコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)へと移り住んだ[11]。「同地で学生たちにアルメニアの旋律の特訓を付けて合唱団を作り上げた彼は、アルメニア人コミュニティーを回って自ら4声部の合唱に編曲した民謡作品の演奏を行った[18]。」彼は数10人の音楽家から成る「グサン」合唱団(1912年以降は「ハイ・グサン」)を創設した[11]。プロの音楽家の育成を目論み、彼はバルセグ・カナチヤン、ミフラン・トゥマカン、ヴァガルシャク・スルヴァンディチャンなどに対して音楽学の指導も行った[11]。
国外追放と晩年 (1915年-1935年)
[編集]アルメニア人虐殺が公式に開始された1915年4月24日にコミタスは逮捕され、翌日に180人の他のアルメニアの著名人と共に列車に乗せられると480キロほど離れたアナトリア半島中央北部に位置するチャンクルへと移送された。トルコの民俗派の詩人メーメット・エミン・ユルダクル、作家のハリデ・エディプ・アドゥヴァル、アメリカ大使のヘンリー・モーゲンソウが政府にかけ合うとタラート・パシャによる特命が下り、コミタスは国外追放を受けた8名のアルメニア人と共に首都へ連れ戻されることになった[28]。グリゴリス・バラキアンが著した『アルメニアのゴルゴタ』には彼の国外追放の詳細が記されており、同書によると彼は追放の過程で大きな苦難を負って外傷性の神経症に苦しめられることになったという。ある個所でバラキアンはその様子を記している。
1916年の秋、コミタスはコンスタンティノープルにある病院Hôpital de la paixに収容され、1919年にパリへと移されると、1935年にヴィルジュイフの精神病院で生涯を終えた。翌年、彼の遺灰はエレバンに移され、彼の名にちなんで命名されたコミタス・パンテオンに埋葬された[30]。
遺産
[編集]

1950年代に、コミタスの遺稿もパリからエレバンへと移された。
バダラクは1933年にパリで初めて出版され、1988年にエレバンで初めてデジタルメディアへ録音された。多数の民謡を収集、出版したことで、コミタスは虐殺により失われていた西アルメニアの文化遺産を守った。彼の作品はアルメニアにおいてロベルト・アタヤンによるまんべんなく注釈を付した版で出版されている。ベルリン滞在中に書かれたドイツ語の詩への9つの歌曲がエレバンの文書庫から発掘され、ソプラノのハスミク・パピアンが歌っている。
エレバン音楽院はコミタスの名前をとって命名されている。世界的に名高いコミタス四重奏団も彼の名前にちなんでいる。
2008年7月6日、ケベック市の400周年の記念に合わせ、コミタスの音楽一般と特にアルメニアの大衆音楽、典礼音楽への多大な功績を讃えてケベック州議会近くに彼の銅製の胸像が除幕された。それ以前の1981年には偉大な作曲家の名誉を讃えるとともにアルメニア虐殺の悲劇を忘れないようにと、デトロイトにコミタスの花崗岩と銅を用いた彫像が建てられている。
2008年9月、イザベル・バイラクダリアンはアルメニア・フィルハーモニー管弦楽団所属の室内楽奏者とピアニストのセルージ・クラジャンの伴奏により『ゴミダス歌曲集』というCDをノンサッチ・レコードからリリースした。このCDはグラミー賞の最有声楽録音部門にノミネートされた[31]。バイラクダリアンが2008年10月に北米で行ったツアーはコミタスの音楽を中心としたものとなっており、トロント、サンフランシスコ、オレンジ郡、ロサンゼルス、バンクーバー、ボストン、ニューヨークのカーネギー・ホールでコンサートを開催した。伴奏はアン・マンソン指揮のマニトバ室内管弦楽団とセルージ・クラジャンであった。『リメンブランス・ツアー[32]』は国際ジェノサイド研究所と人権研究部(ゾリャン研究所の一部門)の後援により、全てのジェノサイドの犠牲者へと捧げられた。
コミタスのピアノ作品全集はシャハン・アルズーニの演奏で2010年にカラン・ミュージックより発表されている。他にもエフゲニー・キーシンやグリゴリー・ソコロフもコミタス作品を取り上げている。

2018年から10,000ドラム紙幣にはコミタスの肖像が描かれている。
2019年、グルジェフ・アンサンブルがコミタスの民謡楽曲を伝統楽器によって演奏してデビューを飾った[33]。
レウシャン・チェリケルやペルヴィン・チャカルといった現代の演奏家もコミタスが収集した作品を再解釈、普及に貢献しており、作品が聴かれるに値することを確かなものにしている[34][35]。
名を冠した施設
[編集]アルメニアでは以下の場所がコミタスの名を冠している。
コミタスに関する作品
[編集]- Kuyumjian, Rita Soulahian (2001). Archaeology of Madness: Komitas, Portrait of an Armenian Icon. Princeton, NJ: Gomidas Institute. ISBN 9781903656105
- Tahmizian, Nikoġos Kirakosi (1994) (アルメニア語). Komitasẹ ev hay žoġovowrdi eražštakan žaṙangowt'iwnẹ [Komitas and the Musical Legacy of the Armenian Nation]. Pasadena, California: Drazark Hrat.
映画
[編集]- 『コミタス』 1988年、ドン・アスカリアン監督、サムヴェル・オヴァサピアン出演[36][37][38]
- 『ソロモンの歌』、2019年、アルマン・ンシャニアン監督、サムヴェル・タデヴォシャンがコミタス役を演じた[39]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Lang, David Marshall (1980). Armenia: Cradle of Civilization. London: Allen & Unwin. p. 256. ISBN 9780049560079
- ^ a b “Komitas”. Encyclopædia Britannica. 2014年1月26日閲覧.
コミタスは(中略)アルメニアの特徴的な国民音楽様式の礎を築いた。.
- ^ “The Monthly Musical Record”. The Monthly Musical Record (London: Augener) 30: 15. (1900).
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, pp. 45–46.
- ^ Editorial Board (1969). “Հայ ազգային երաժշտության հիմնադիրը [The Founder of Armenian National Music”] (アルメニア語). Lraber Hasarakakan Gitutyunneri (Yerevan: Armenian Academy of Sciences) (11): 3–6. オリジナルの21 May 2017時点におけるアーカイブ。 2014年11月29日閲覧。.
- ^ Poladian 1972: "He was among the pioneers in ethnomusicology, a younger contemporary of Carl Stumpf (1848–1936)."
- ^ McCollum, Jonathan Ray (2004年). “Music, Ritual, And Diasporic Identity: A Case Study Of The Armenian Apostolic Church”. University of Maryland. p. 11. 2014年2月4日閲覧。 “民俗音楽学の先駆者であると考えられているコミタス・ヴァルダペットは、その注意を比較音楽学の人類学的、社会学的、歴史学的側面に注意を向けた。”
- ^ Crutchfield, Will (1987年10月5日). “Music Noted in Brief; Choir From Armenia at Avery Fisher Hall”. The New York Times 2014年1月26日閲覧。
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, p. 51.
- ^ Soulahian Kuyumjian, Rita. Archeology of Madness: Komitas, Portrait of an Armenian Icon. Edition: 2, Reading, England: Taderon Press; Princeton, NJ: Gomidas Institute, 2001, p. 3.
- ^ a b c d e f g h Atayan 1979, p. 539.
- ^ Nersessian, Vrej, ed (1978). Essays on Armenian music. Kahn & Averill. p. 13. ISBN 0-900707-49-6
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, p. 10–12.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, pp. 15–16.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, pp. 21–24.
- ^ Mooradian 1969, p. 61.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, p. 28.
- ^ a b c d Adalian, Rouben Paul (2010). Historical Dictionary of Armenia. Lanham, Maryland: Scarecrow Press. p. 391. ISBN 978-0-8108-7450-3
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, pp. 29–30.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, p. 32.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, p. 33.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, pp. 33–34.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, pp. 39–40.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, p. 41.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, pp. 43–44.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, pp. 44, 46.
- ^ Soulahian Kuyumjian 2001, p. 47–49.
- ^ “Kastamonu Vilâyeti'ne”. 2006年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年4月20日閲覧。
- ^ Balakian, Grigoris. Armenian Golgotha. Trans. Peter Balakian and Aris Sevag. New York: Alfred A. Knopf, 2009, p. 66. ISBN 0-307-26288-X.
- ^ “The memorial of Soghomonyan Komitas Soghomon (Կոմիտաս Սողոմոն Սողոմոնյան Գևորգի) buried at Yerevan's Komitas Pantheon cemetery”. hush.am. 2019年7月17日閲覧。
- ^ "Bayrakdarian's 'Gomidas Songs' Nominated for Grammy," Loussapatz Weekly (Canada), No. 772, 2009, p. 41.
- ^ “Songs of the homeland”. 2016年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月24日閲覧。
- ^ “The Gurdjieff Ensemble Celebrates Komitas at 150”. Symphony Space (2019年9月27日). 2020年11月24日閲覧。
- ^ (英語) Rewşan | Destmala Min 2024年3月19日閲覧。
- ^ “Turkey’s Kurdish opera singer inspires Kurds by singing in native tongue” (英語). Arab News (2020年10月13日). 2024年4月14日閲覧。
- ^ Films by Don Askarian Archived 11 February 2015 at the Wayback Machine.
- ^ Harvard Film Archive. Hieroglyphs of Armenia: Films by Don Askarian Archived 7 March 2015 at the Wayback Machine.
- ^ “Don Askarian”. 007-berlin.de. 2017年11月16日閲覧。
- ^ McNary, Dave (2020年12月15日). “Armenia's Songs of Solomon to Compete for International Feature Film Oscar”. Variety. 2020年12月16日閲覧。
参考文献
[編集]- Atayan, Robert (1979). “Կոմիտաս [Komitas]”. In Hambardzumyan, Viktor (アルメニア語). Armenian Soviet Encyclopedia. 5. Yerevan: Armenian Encyclopedia. pp. 539–541
- Mooradian, M. (1969). “Կոմիտասի վերջին այցելությունը Հայաստան [Komitas's Last Visit to Armenia]” (アルメニア語). Patma-Banasirakan Handes (Yerevan: Armenian Academy of Sciences) (4): 61–69. オリジナルの29 December 2014時点におけるアーカイブ。 2014年12月29日閲覧。.
- Poladian, Sirvart (January 1972). “Komitas Vardapet and His Contribution to Ethnomusicology”. Ethnomusicology (University of Illinois Press on behalf of Society for Ethnomusicology) 16 (1): 82–97. doi:10.2307/850444. JSTOR 850444.
- Soulahian Kuyumjian, Rita (2001). Archeology of Madness: Komitas, Portrait of an Armenian Icon. Princeton, New Jersey: Gomidas Institute. ISBN 1-903656-10-9
関連文献
[編集]- Atayan, Robert, ed (2001). Essays and Articles, The musicological treatises of Komitas Vardapet. Pasadena, California: Drazark Press. OCLC 50203070
- Begian, Harry (1964). Gomidas Vartabed: His Life and Importance to Armenian Music. University of Michigan
- Church, Michael (2011年4月21日). “Komitas Vardapet, forgotten folk hero”. The Guardian 2014年1月26日閲覧。
- Karakashian, Meline (2011) (アルメニア語). Կոմիտաս՝ Հոգեբանական Վերլուծում Մը [Gomidas: A Psychological Study]. Antelias, Lebanon: Armenian Catholicosate of Cilicia. ISBN 978-9953021638
- Komitas, Vardapet Edward Gulbekian訳 (1998). Armenian Sacred and Folk Music. Surrey, England: Curzon Press
- McCollum, Jonathan; Nercessian, Andy (2004). Armenian Music: A Comprehensive Bibliography and Discography. Lanham, Maryland: Scarecrow Press. ISBN 9780810849679
- Melikian, Spiridon (1932) (アルメニア語). Կոմիտասի ստեղծագործությունների անալիզը [Analysis of works of Komitas]. Yerevan: Melikian Fund
- Tahmizian, Nikoghos (1994) (アルメニア語). Komitas ev hay Zhoghovoordi Erazhshtakan Zharanguty'yun [Komitas and the Musical Legacy of Armenian Notation]. Pasadena, California: Drazark Press
- Terlemezian, Ruben (1924) (アルメニア語). Կոմիտաս վարդապետ: Կեանքը եւ գործունէութիւնը [Komitas Vardapet: Life and Activities]. Vienna: Mkhitarian Press
- Toumani, Meline (2008年10月17日). “Songs Lifted in Praise of an Armenian Hero”. The New York Times 2014年2月14日閲覧。
- Vagramian, Violet (1973). Representative Secular Choral Works of Gomidas: An Analytical Study and Evaluation of His Musical Style. University of Miami
- Wolverton, Cynthia Kay (2002年12月). “The Contributions of Armenian Composers to the Clarinet Repertoire”. University of North Texas. 2014年2月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- コミタス・ヴァルダペット/収集品の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- "Komitas Vardapet", Armenian National Music
- Komitas Museum
- Isabel Bayrakdarian: Gomidas Songs on Nonesuch
- Biography #1
- Biography #2
- Biography #3, Facebook
- Some songs in .rm format
- 36 Komitas-songs on Super Audio CD by German independent label Audite
- Short movie about Komitas Vartabed
- Ամպել ա ("Ambel a", "Clouded Over") - Vimeo, performed by the Dilijan String Quartet
- Շողեր ջան ("Shogher jan") - Vimeo, performed by the Dilijan String Quartet
- Կաքաւիկ ("Kakavik", "Little Partridge") - Vimeo, performed by the Dilijan String Quartet