コマンダンテ・カッペリーニ (潜水艦)

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マルチェロ級潜水艦
『コマンダンテ・カッペリーニ』
Comandante Cappellini(Classe Marcello)
Germany submarine UIT24 in 1944.jpg
1944年8月、瀬戸内海を航行するUIT24
艦歴
Naval Ensign of Italy.svg    War Ensign of Germany (1938-1945).svg    Naval Ensign of Japan.svg
概要
建造 1939年9月23日
イタリア王国リグーリア州ラ・スペツィア
ムッジアーノ造船所
設計 オデーロ・テルニ・オルランド社(Odero-Terni-Orlando、現OTOメラーラ
所属 イタリア王立海軍
1940-1943
ナチス・ドイツ海軍
1943-1945
大日本帝国海軍
1945-1946
母港 ヴィシーフランスボルドー
BETASOM及びイタリア南仏進駐領域参照) 
別名 独海軍『UIT24』(接収艦Uボートde
日本海軍『伊号第五〇三』
仕様諸元[1]
艦種 潜水艦
マルチェロ級
同型艦
排水量 1,060トン (浮上時)
1,313トン (潜航時)
全長 239.5ft(73m)
全幅 23.6ft(7.2m)
喫水 16.6ft(5.09m)
機関 2軸推進
FIAT製ディーゼル機関(6,000hp)/CRDA製電気モーター(1,100hp)
速力 17ノット(水上)/8ノット(水中)
総員 57名
兵装
機銃 OTO 100/47速射砲it)×2
ブレダ 13.2mm(75.7口径)単装機銃it)×2
魚雷 53.3cm水中魚雷発射管単装×8(前部4門、後部4門)
搭載魚雷12本

コマンダンテ・カッペリーニ (Comandante Cappellini) はイタリア海軍潜水艦マルチェロ級。1939年に就役するが、イタリアと連合国の講和後に日本軍に接収され、日本の同盟国のドイツ海軍に引き渡されドイツ海軍潜水艦UIT24となり、1945年5月にドイツが降伏すると今度は日本の潜水艦伊号第五百三潜水艦[2](いごうだいごひゃくさんせんすいかん)となった。

概要[編集]

イタリア海軍時代[編集]

イタリア海軍が1935年から多数整備した近海用潜水艦の系列に属する航洋型潜水艦「マルチェロ級」[3] の「コマンダンテ・カッペリーニ」として1939年(昭和14年)9月23日に就役した。

当初は地中海に配備されたが、1940年9月には大西洋での任務についた。1941年1月5日フリータウン沖でイギリスの貨物船「シェイクスピア[4]」、9日後[1]には武装商船「ユーミーアス」を沈めた[4]。また、英貨物船「ミゲル・デ・ラリネガ」(Miguel de Larrinaga、5,231トン)に損傷を与えている。

1942年9月、西アフリカ沖で起きたラコニア号事件では救助活動に加わった[5]

撃沈数(コマンダンテ・カッペリーニ[4]
哨戒 日時 沈没地点 船名 船籍 トン数 付記
2rd 1940年10月15日 北緯31度59分 西経31度20分 / 北緯31.983度 西経31.333度 / 31.983; -31.333
アゾレス諸島付近
Kabaro ベルギーの旗 ベルギー 5,186トン 貨物船、乗組員43名中42名生存
3rd 1941年1月5日 北緯52度45分 西経23度59分 / 北緯52.750度 西経23.983度 / 52.750; -23.983
カーボベルデ北東沖
Shakespear イギリスの旗 イギリス 5,029トン 貨物船、乗組員42名中22名生存
3rd 1941年1月14日 北緯8度55分 西経15度03分 / 北緯8.917度 西経15.050度 / 8.917; -15.050
コナクリ南西沖
Eumaeus イギリスの旗 イギリス 7,472トン 客船、乗組員23名死亡
7rd 1942年5月19日 北緯03度00分 西経33度00分 / 北緯3.000度 西経33.000度 / 3.000; -33.000
ブラジルトウロス北北東沖
Tisnaren スウェーデンの旗 スウェーデン 5,747トン 貨物船、死亡者なし
7th 1942年5月31日 南緯00度45分 西経29度50分 / 南緯0.750度 西経29.833度 / -0.750; -29.833
ペルナンブーコ北東沖
Dinsdale イギリスの旗 イギリス 8,214トン タンカー、乗組員13名死亡
合計: 5隻 31,648トン

1943年初頭にベニート・ムッソリーニ総統の令を受けて、伊独両国の同盟国である日本の東南アジアの占領地とドイツの占領地間の輸送用に改造され、5月11日ボルドーの基地を出発し7月14日にシンガポールに到着した。8月末に遣日潜水艦作戦に基づきドイツ軍向けの物資を積んで出港したが、イタリアが連合国に対して降伏したために9月13日に日本海軍に接収された[6]

日独への接収[編集]

1943年(昭和18年)9月のイタリア降伏後、日本海軍に接収されドイツ海軍に引き渡されUIT24と命名された。その後の1945年(昭和20年)5月三菱神戸造船所で整備中にドイツの降伏により接収され、『伊号第五百三潜水艦』[2]と改名され、1945年7月15日に日本海軍に編入され、伊五百一型の3番艦[7]呉鎮守府籍の特殊警備潜水艦に定められ[8]、呉鎮守府部隊付属となった。1945年8月の日本の敗戦後には、日本を占領下に置いた連合国の手に落ち、軍備解除を受けて1946年(昭和21年)4月に紀伊水道で海没処分された[9]

伊号第五百三潜水艦歴代艦長[編集]

艦長[編集]

  1. 廣田秀三 大尉:1945年7月14日[10] - 1945年10月30日[11]
  2. 田中千秋 大尉/第二復員官:1945年10月30日[11] - 1945年12月1日[12]

脚注[編集]

  1. ^ a b Regio Sommergibile Cappellini2010年10月23日閲覧。
  2. ^ a b 昭和20年7月15日付 内令第639号、同第643号ほか。五〇三ではない。
  3. ^ Regio Sommergibile Cappellini及びレオンス・ペイヤール(Léonce Peillard)著、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945 上』早川書房(ハヤカワNF文庫)、1997年、ISBN 4-15-050215-3 pp.53-54では「カッペリーニ級」としている。
  4. ^ a b c レオンス・ペイヤール(Léonce Peillard)著、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945 上』早川書房(ハヤカワNF文庫)、1997年、ISBN 4-15-050215-3 p.152
  5. ^ レオンス・ペイヤール(Léonce Peillard)著、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945 上』早川書房(ハヤカワNF文庫)、1997年、ISBN 4-15-050215-3 pp.319-323
  6. ^ レオンス・ペイヤール(Léonce Peillard)著、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945 下』早川書房(ハヤカワNF文庫)、1997年、ISBN 4-15-050216-1 pp.101-103
  7. ^ 昭和20年7月15日付 内令第639号。
  8. ^ 昭和20年7月15日付 内令第643号。
  9. ^ 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年、365頁。
  10. ^ 昭和20年7月24日付 秘海軍辞令公報 甲 第1866号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106300 
  11. ^ a b 昭和20年11月16日付 海軍辞令公報 甲 第1984号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072108200 
  12. ^ 昭和21年1月30日付 第二復員省辞令公報 甲 第47号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072158400 

関連項目[編集]