コスモス (玩具メーカー)

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当時の2連式自動販売機(2007年10月時点では他業者の商品が充填され現役)

株式会社コスモスは、かつて日本に存在した、玩具の製造と自動販売機による販売を行っていた企業である。

沿革[編集]

前身の「堀口産業」を株式会社に改組する形で、1977年8月設立。

玩具メーカーとしては規模は小さかったものの、同年より始めた、自社で生産した小型の玩具をカプセル型の手動式自動販売機(カプセルトイの一種・当時の俗称では「ガチャガチャ」ないし「ガシャガシャ」)を通じて販売するという独自の直販方式があたり、急成長を遂げた。

最盛期には栃木県佐野市埼玉県浦和市大宮市(現・さいたま市)、羽生市などに工場を所有し、設置自動販売機が6万カ所[1]、50万台[2]におよび、年商は180億円(1982年度)[3]に達した。なお1977年はバンダイも同種の自動販売機による玩具販売を始めた時期にあたる。

しかし、1988年2月に倒産。経営破綻の原因については、諸説があるが定かではない。

ビジネスモデル[編集]

同社の主力となったガチャガチャは駄菓子屋などの小売店の店頭に設置され、同社販売子会社の営業マンが週一度のペースで巡回して商品を補充、設置店に対して売上金の20%を設置委託料として支払っていた。これらは高価な電子ゲームやデジタル腕時計ないし人気のあるキャラクター商品が当たるとして子供らの射幸心を煽っていた。人気商品にはスーパーカー消しゴムキン肉マン消しゴムなどがあったが、知的財産権に関しての認識が甘く、数多くのコピー商品を販売していたことでも知られる。例えば機動戦士ガンダムのコピー商品として申し訳程度に名前を変えただけの「宇宙戦士ガンダム」シリーズや、さらにはガンダムを模して独自路線に突入した「ダンガム」シリーズ[4]チョロQを模した「チョロカー」などがあり、ほかにもなめ猫ルービックキューブなど当時時代の流行となった様々な製品のコピーを販売していた。

補足
この時代では日本国内の中小企業の多くが似たような状況にあり、ヒット商品の陰には必ずと言っていいほどにコピー商品が出回っていた。ローラースルーGOGOチョロQミニ四駆など子供の玩具も、例外なく大ヒット商品には日本国内で製造されたコピー商品が付きまとっている。『機動戦士ガンダム』に続くロボットアニメとそれらに関連したプラモデルブームでは、ザ★アニメージ太陽系戦隊 ガルダン超攻戦士 ザクレス銀河の鷲 メガロ・ザマックなどの中堅プラモデルメーカーらによる「ガンダムみたいな何か」的なプラモデルなど関連商品が発売されている。

「ロッチ」騒動[編集]

同社の数あるコピー商品の中で最も波紋を広げたものとして、当時製菓会社のロッテの大ヒット商品であったビックリマンシールの複製品であるドッキリマンシール(ロッチとつけて販売していた)がある。ドッキリマンシールは、5枚一組にしてガチャガチャで1個100円で販売され、1987年の発売から半年あまりで1,000万枚を売上げ、およそ3億5,000万円を稼ぐ[5]など同社空前のヒット作となった。しかしながら、所詮「ニセモノ」であることから、交換の際に「インチキ」だとして子供同士の喧嘩を誘発したりいじめに発展するなど社会問題化し、消費者からの苦情を受けたロッテ側から1987年に訴訟を起こされた。加えて、翌1988年6月には著作権法違反容疑で当時の社長、専務、印刷部長ら同社役職員7名が書類送検された。しかし、同社は同年2月にすでに倒産しており、ロッテは充分な賠償金を得られず、事件も有耶無耶のうちに終わっている。書類送検が行われた月に総合商社イトマンから出資を受けて「コスモス新社」が設立され、当時のイトマン常務が社長に就任した[6]。なお、このニセシール騒動は、『月刊コロコロコミック』連載の「少年ビックリマンクラブ」(なかのともひこ)でも取り上げられている。

同社にまつわる現象[編集]

当時の大型自動販売機

自動販売機では手動式の20円タイプ、50円タイプ、100円タイプ、200円タイプ、そして500円タイプがあった。コスモス社の大きな特徴として、それまでのガチャガチャ(一部地域ではピーカップとも呼ばれた)がすべてインカプセルでの販売だったのに対し、カプセルに入らない大きな景品(例えばヌンチャク、モデルガン、カイト等)を「当り玉と交換」という手法を取り入れ、一気に当時の子供たちの心を掴んだ事にあり、それが同社の全国展開への大きな要因となった。100円タイプはほぼ当りだけであったが50円や20円のタイプは専らスーパーカー消しゴムやキャラクタースタンプ、キャラクター消しゴムなどをそれぞれの単価によって「ハズレ」として使用していた。しかし、中には高価な景品に射幸心を煽られ、「当たり」を得ようとして親の財布から金銭を盗んだり、身の回りの物品で機械を騙そうとする・果ては機械を壊して中身を奪おうとする者まで出て、PTAをはじめ保護者層から問題視する声も度々上がっており、しつけに厳格な家の子供ともなると、これで遊んでいるだけで叱られることすらあった。

同社は人気商品の安価なコピーを作って流行に便乗して収益を伸ばし、最盛期の1983年には従来の手動式カプセル自動販売機と平行して紙箱式自動販売機を投入している。[7]これは幅64cm、奥行き40cm、高さ180cmと、当時の清涼飲料水の自動販売機と同じくらいの大きさであり、その販売を行なう機構は米国のタバコ自販機を模した物で、所定コインが機構内に入ることで可能となるレバー操作によって、内部にランダムにストックされた商品が一個ずつ受け取り口に落下するように作られていた半手動式とでも呼べる構造であった[8]ほか、大きな押しボタン(これも押し込むことでレバー操作に相当する機構が動作する)のもの[9]も登場している。

またアーケードゲームが人気を集めるとゲーム業界に参入するべく自社でアーケードゲーム機を開発したが、コナミの『スクランブル』のキャラクターグラフィックを差し替えただけのデッドコピー作品『フライングトレイン』であったりといったことも、同社がテレビ放映したCM内で見られたという。

広告宣伝[編集]

同社は国際映画社制作のテレビアニメめちゃっこドタコン』や『魔境伝説アクロバンチ』などのスポンサーにもなり、テレビCMを流していた。この中でよく知られているものでは「白ボカシされたコスモス畑の中を全裸の白人少年少女(複数)が走る」があり、バックグラウンドは「ぼくらもほしい~コスモス~♪」というコーラスであったほか、画面下には「類似品にご注意ください」という趣旨のキャプションが入れられていた。

残存自販機[編集]

最盛期には50社を数えた販売子会社はコスモス本社倒産後もその一部が各地で存続しており、そのうちの栃木県宇都宮市にあるヤマトコスモス、同県足利市にある足利コスモスの2社はコスモスとして営業を継続している。そのため東京都、埼玉県、神奈川県、山梨県、長野県、群馬県、栃木県、茨城県には現在も購入可能なコスモス自動販売機が60台ほど残っている。しかし、最盛期には約10万台(コスモス社製押しボタン式タイプ4万台、レスター社製レバー式タイプ6万台)製造されたコスモス自販機も、日本各地に現存する台数は100台を切っていると推測される[10]。(平成28年4月現在)

脚注[編集]

  1. ^ 1982年11月15日日経産業新聞「コスモス、羽生工場完成で積極策――がん具の自販機網を増強、20%の成長見込む」
  2. ^ 1982年11月12日日経産業新聞「がん具のコスモス、カシオ・シャープと提携」
  3. ^ 1983年4月5日日経産業新聞「コスモス、がん具用自動販売機を開発--2年で1万カ所に」
  4. ^ ワッキー貝山公式サイト内「趣味の部屋(ガチャガチャ)」参照
  5. ^ 1988年6月1日朝日新聞夕刊「にせビックリマンシール、1,000万枚 「ロッチ」製!」
  6. ^ 1990年6月1日日本経済新聞「伊藤万(会社人事)」
  7. ^ 1983年4月5日日経産業新聞「コスモス、がん具用自動販売機を開発--2年で1万カ所に」
  8. ^ ワッキー貝山個人所蔵品
  9. ^ 81+DIGITAL-SKY記事「コスモス・COSMOS特集」自販機写真
  10. ^ 『愛しのインチキ・ガチャガチャ大全〜コスモスのすべて』参照。

関連書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]