ゲバ字

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1967年 東京教育大学筑波移転反対闘争のバリケード。「評言ギ会」「斗争」などの略字を使用。
1968年 神田カルチェ・ラタン闘争前の中央大学中庭の集会。
1991年 自動車雑誌NAVIによる湾岸戦争反対の立て看板。「反战」「万才」の略字を使用。
2005年 京都大学石垣カフェ撤去反対の立て看板。
書きかけのゲバ字。動や闘の字が略されている。スポンジを用いて一気に書き上げ、後から塗りつぶしていることがわかる。

ゲバ字(ゲバじ)とは、日本の学生運動でビラや立て看板などに使用された特徴的な字体[1]を指す呼称。ゲバ文字[2]全共闘文字全学連文字[2][3][4]トロ字[5]とも。

用語[編集]

「ゲバ字」や「ゲバ文字」の「ゲバ」はドイツ語のゲバルト(暴力)より。当時の新左翼は、ブルジョア国家の警察や軍隊といった暴力と、コミューン権力を目指した自らの暴力を区別して考えるためにゲバルトという言葉を多用していた。「トロ字」の「トロ」はトロツキストのことを指す。これは日本共産党が新左翼党派を「トロツキスト」と呼んでいたことにちなむが、日本共産党も当時はトロ字を用いていた。

概要[編集]

ゲバ字は、ビラ(アジビラ)や立て看板の他、旗やヘルメット(ゲバヘル)などにも使用される。

古くは第二次世界大戦前から政治運動などのビラやポスターには独特な文字が使われており、高橋錦吉の著作ではこの種の文字は「左翼不定文字」と呼ばれ、治安維持法など厳しい地下活動のなかで短時間で隠密裏に大衆に強烈な印象を残す目的で使用され、1920年代のモダニズムやプロレタリアな感じを持つ[6]

ゲバ字は1960年代に学生運動で活動家がガリ版でアジビラを作っていた中で生まれた書体である。ガリ版を用いても潰れにくく書きやすく、不鮮明な印刷でも文字を判別しやすくするため、下記のような工夫がされている。また筆跡によって執筆者を特定させないための対策としても発展した書体であり、党派や職場、学校、サークルなどグループ毎におおよその規格がある。大きな意味でのゲバ字は中華人民共和国簡体字の他、独自の作字法としてカタカナやローマ字や「X」などの記号文字を取り入れるなどして、できるだけ総画数を少なくするというやり方が採用されている[3]。字形は極端に角張り、文化大革命大字報の影響も見られる[7]

代表的な略字の例には以下などがある。なお、略字には手書きという煩雑な作業を簡素化する効果もあり、現在においても大学の講義などで板書に用いる講師は多い。「門」→「门」など、広く日本社会に根付いているものもある。

  • 「闘争」→「斗争」[7][2] (略字[8]
  • 「万歳」→「万才」[7](略字[8]
  • 「労働」→「労仂」[2](略字[9]
  • 「職業」→「耺業」[2](略字[10]
  • 「議会」→「言ギ会」[11](一部カタカナによる略字)
  • 「寮」→ (宀かんむりの下に「R」)[6](一部ローマ字による略字)
  • 「反戦」→「反战」[12](簡体字)

2000年代以降は使用頻度は減少したが、日本共産党(左派)[13]、革マル派、解放派(木元)など一部では使用され続けている。また2000年代よりインターネット上に「ゲバ文字フォント」なるものが公開されている[14]

線の太さを一定に揃える場合、看板等に書く際は毛筆ではなくスポンジ筆を用いる。用意できない場合、台所用スポンジを任意の太さにカットすれば代用可能である。

その他[編集]

ゲバ字が使用された主な作品には以下がある。

  • 映画『社長えんま帖』(1969年) - 女優の岡田可愛がゲバヘルをかぶる
  • ミュージシャン「ザ・タイマーズ」 - ゲバヘルをトレードマークとする
  • パワー・トゥ・ザ・ピープル』(1971年) - ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンドが1971年にリリースしたレコードのジャケットに、ゲバ字で「叛」の字が書かれたゲバヘルをかぶったジョン・レノンの写真が使われており、楽曲と同時にこのジャケット自体がオノ・ヨーコの作品として世界的に有名。
  • 表徴の帝国』(1970年) - ロラン・バルトの作品。「暴力の表現体」としてゲバヘルが取り上げられており、ヘルメットに書かれた「全学連」のゲバ字や、つぶれた「C」のようなマーク(中央大学のマークによく似ている)が登場する。
  • 『実録・連合赤軍・あさま山荘への道程』(2008年)-若松孝二監督。冒頭約30分間の記録映像と再現映像に、複数の立て看板や「战争宣言」などの表記が映る。

関連項目[編集]

参照[編集]

外部リンク[編集]