ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー (1915-2006)

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ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー(Georg Wilhelm von Hannover, 1915年3月25日 - 2006年1月8日)は、ブラウンシュヴァイク公国の王族。全名はゲオルク・ヴィルヘルム・エルンスト・アウグスト・フリードリヒ・アクセルGeorg Wilhelm Ernst August Friedrich Axel)。ハノーファー王子、グレートブリテンおよびアイルランド王子、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公。ブラウンシュヴァイク公エルンスト・アウグストの次男。

1915年3月25日、ブラウンシュヴァイク公エルンスト・アウグストとその妃であったドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の王女ヴィクトリア・ルイーゼの間に第二子としてブラウンシュヴァイク公国の首都であったブラウンシュヴァイクで生まれた。1918年ドイツ革命が発生するとエルンスト・アウグストも皇帝や他の諸侯と同様に退位宣言へ署名し、公国はヴァイマル共和政ドイツ国ブラウンシュヴァイク自由州となった。

ゲオルク・ヴィルヘルムは1930年から1934年まで、ドイツ南部・バーデン自由州ユーバーリンゲン(現ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ボーデンゼー郡ユーバーリンゲン)のボーデン湖畔にあったボーディングスクールザーレム校で学んだ。ザーレム校は教育家のクルト・ハーンが、ゲオルク・ヴィルヘルムの義理の伯父であり最後のドイツ帝国宰相も務めたバーデン大公子マクシミリアンの援助を受けて創設したもので、ゲオルク・ヴィルヘルムも1948年から1959年まで代表となった。

ゲオルク・ヴィルヘルムは国際オリンピック委員会(IOC)やドイツオリンピックスポーツ連盟(DOSB)のメンバーも務めた。

2006年1月8日、ゲオルク・ヴィルヘルムは脳動脈瘤のためバイエルン州オーバーバイエルン行政管区ミュンヘンで死去した。

子女[編集]

ゲオルク・ヴィルヘルムは1946年ギリシャデンマーク王子アンドレオスの王女ソフィア(1914年 - 2001年)と結婚した。ソフィアはヘッセン=カッセル公子クリストフの未亡人だった。式は市民婚4月23日に、宗教婚が4月24日に行われた。彼女との間に以下の二男一女をもうけた。